「人は不味くないランチを求めてるのよ」
「人は美味しいランチを求めているわけじゃない。
人は不味くないランチを求めてるのよ」
「最終的にカップヌードル最強に行き着いた人が何を?」
「食べログみたいなグルメ系のアプリを開くと、
『◯◯駅のおすすめランチベスト20』とか出るじゃない」
「あれって信用できるんですかね」
「『◯◯駅のランチで並ぶ時間ベスト20』と読めばある程度信用できるわ。
並ぶ時間と店のクオリティに有意な相関は認められないけど」
「言われてみれば当たり前ですね。
そう言われるとある程度は信用して良さそうです」
「問題は××駅の20位が△△駅の1位よりも美味しいなんてのがよくある話だということ」
「ある意味数字のトリックですね」
「知らない土地に行った時、美味しいご飯が食べられると幸せになるわ。
この時、仮に食べログのランキングが本当に美味しい順に並んでいると仮定して。
1位と5位に差はあるのかしら」
「正直そこまでないと思いますね。
その日の気分で中華か洋食かを選ぶような感じで決めていいと思います」
「そうなると人はどうしてもこう考えてしまう。
ある程度うまければいい、と」
「だからシーフーヌードルとカレーヌードルを箱買いしてるんですね」
「そこから極まると、まずくなければ良いに行き着く」
「人間あるあるです。
どんどん人生のハードルが下がってしまう」
「特に成功体験がない人ほどそうなる」
「偏差値85の大学から院までのルートを全勝で人生ドロップして
もう5年はガラス越しでない太陽光をほとんど浴びてない人の言葉は説得力がありますね」
「そしてその卑屈な思いが、検索のサジェストに現れる。
『◯◯駅』『ランチ』『まずい』」
「食べログも流石に営利企業ですからね。
『◯◯駅のランチワースト20』はやってくれない」
「そして人が本当に求める情報が、
美味しかった店への称賛ではなく、
不味かった店への酷評になってしまう」
「これはランチだけじゃないですね。
映画もゲームも全部そうです。
検索サジェストにはまず『つまらない』が出ます」
「この心理は心理学である程度証明されている。
人の幸せと不幸を定数化した時、
絶対値が同じ幸せと不幸を比べた時、
不幸の方が圧倒的に大きなマイナスとして脳に認識されてしまう」
「自然の中で生き残ることに特化した脳の作りしてますよね」
「しかしランチも映画もゲームも現代日本なら選択肢は無数にあるはず。
美味しいランチも面白いゲームもいくらでもある。
そんな中で、まずくない、つまらなくないを狙うネガティブな生存戦略はどれだけ有効に働くのか」
「あー、みんな認知のバグに騙されてるんですか」
「人の幸せ体験でなく人の不幸体験にドーパミンを出す人に、本当に豊かな人生が送れるのか」
「間違いなく送れませんね。
でも、国内のランキング1億位の人は、この家内のランキング2位の人より間違いなく豊かだと思いますね」
「だから映画の話をするのであれば。
ラ・ラ・ランドの映画評より、デビルマンの映画評の方が視聴回数が多くなってるのよ」
「ラ・ラ・ランドとデビルマンを並べるのはもう池袋と武蔵村山のラーメンランキングを並べてるのと同じなんですよ」
「ということで今日のディナーはシーフーヌードルです」
「たまには美味しいご飯食べに行きましょうよぉ。
明日は私1日あいてますからぁ」
「なら、麻布十番と湘南藤沢と蒲田のどこがいい?」
「……お姉様とその3択になるならどこでもいいです」