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曇り空の世界

作者: いつはる

くるり、くるりと傘を回す。雨は降っていないけれど、今にも降り出しそうな空だ。

通学路は学生で溢れている。私が生まれてからずっと、空は曇りっぱなしだ。雨は時々降るけれど、いつでも曇天。昔は太陽というものがあって、それが銀河の中心でいろいろな星を照らしていたという。けれど、今ではそれも燃え尽きて、うすら明るい雲に覆われ続けている。政府の用意した天候操作プログラムに則って、雨を降らせるか、それとも雲で空を覆うかの二択が取られ続けているのだ。街単位でドーム型の空に覆われて、あちらは雨、こちらは曇り。そんな区切り方をしているらしい。

だから、ウェアラブルデバイスが国民すべてに配布されていて、少しタップしてやれば設定温度と天候設定の様子がホログラムで浮かんでくる。もっとも、それがなんだ、という話ではある。けれど、洗濯ものだったり、あるいは農業だったり、そういった仕事に就いている人にとっては重要らしい。

そんなこんなで傘を持ち歩く人も少ないわけだけれど、私のように出かけている間じゅうずっと傘を開いている人はさらに少数だ。月水金と決まっているのがもう十数年になる。だから、無駄に傘を広げる人はいない。しかも、曜日が決まっているうえにそれぞれが午前、午後、午前とさらに子細に決まっている。今日は木曜日だ。それも午前。せいぜい昨日降った雨で濡れた木々のしずく程度しか降ってくるものはない。

子供の頃には雨の日の水たまりで遊ぶことが多かった。しかしそれも小学生の間だけで、中学生になってからはそんなこともしなくなって定期的な傘を持つだけになり、高校生の今となっては政府に対するちょっとした抵抗で傘を広げ続けている。一体何が抵抗なのか、ということの理由を求められると少し困るが、結局は私の気分の問題なのだ。雨の降る音が好きな私の。

政府の降らせる雨はいつでも同じリズムしか生まず、はるか古代にあったゲリラ豪雨や霧雨といったものは存在しない。その時代に生きてみたかったな、とも思う。今では歴史の教科書の欄外に乗るくらいのどうでもいい情報のようだ。

その雨だって、政府は各ドームで振らせた雨を回収し、何度もろ過を重ねて飲用水と次回の雨に回している。この理屈だけ見ると水が不足しそうに思うが、ドームの外にあるミズウミやイケから定期的に水を吸い上げ足しているらしい。

それならドームの外に行けば自然な雨は降るんじゃないか、と思うのだが、このことも社会の教科書の豆知識で出る程度の情報でしかなく、実態は誰も知らない。もし、自然な雨が降るのなら、その中で傘をさして、様々なリズムを感じ取ってみたい。

その為には政府の試験に合格し、家族とも縁を切って、完全に政府子飼いの業者になるしかないわけだけれど。もしそうなったら、家族は記憶処理を受けて、「わたし」がいなかったものとして暮らすのだ。そこまで考えると、政府の秘匿主義がどれだけ強烈か、という話にもなる。けれど、国民は結局そういった一部の人間の功績を知る由もない。みんないなくなってしまうからだ。

「わたし」のいない世界。そこは、きっと平和なんだろう。


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