第11話 北柴又駅
ガンゴン。
ガンゴン。
駅のホームに破壊音が響く。
石でも看板でも、近くにある物をなんでも使って、創は自動販売機を破壊にかかる。
人類滅亡前ならニュース沙汰だが、ニュースにする人間がいない世界では関係ない。
「自動販売機の中って、こんな風になってるんだ」
駅のホームに設置された自動販売機を見た創は、飲み物を手に入れる方法がコンビニやスーパーだけではないと気づき、さっそく入手を試みた。
喉はスポーツドリンクで潤っているが、次に襲ってきたのは飽き。
同じ味を食べ続けられるほど、人間の脳は鈍感ではない。
創は破壊した自動販売機に手を突っ込んで、缶とペットボトルを取り出した。
そして、『要冷蔵』と書かれた缶やペットボトルを手際よく横にどける。
電気がない以上、自動販売機の温度調整も機能していない。
『冷たい』は冷たくないし、『温かい』は温かくない。
全てが常温である。
創の前にずらっと並んだのは、多様な缶とペットボトル。
ミネラルウォーター。
麦茶。
コーラ。
炭酸飲料。
コーヒー(ブラック)。
コーヒー(微糖)。
コーヒー(カフェオレ)。
創は無言でコーヒーを端によけ、コーラを手に取る。
蓋を開けると、プシュッと威勢のいい音が響き、炭酸の泡がぶくぶくと膨らみ出てくる。
創はペットボトルの開け口に口を近づけ、泡が落ちないように舌でからめとる。
僅かなコーラの味を残した泡が、創の舌の上でパチンと弾ける。
「うまっ」
創は思わずつぶやいて、改めて水とスポーツドリンクだけをリュックに入れた過去の自分に後悔する。
リュックに荷物を詰めるとき、創の感情は合理的に動いていた。
即ち、生きるための必要最低限である。
が、コーラの味を思い出したことで、美味しい物とは、体力の回復以上に精神を回復させると気づいた。
合理的な選択の中に美味しさを入れなかったのは、創の失敗だ。
創はゴクリと唾を飲み、飲み口に口をつけ、ペットボトルを上下逆にした。
重力に従って、コーラたちは一気に飲み口へと向かう。
連結された創の口にコーラが飲み込まれていき、次々創の舌の上ではじけ飛んだ。
甘味。
そして炭酸の刺激。
創の脳は、一気に弾け、目覚めた。
創が飲み口から口を離したとき、ペットボトルの中のコーラは半分減っていた。
「……少し、甘いな」
贅沢にも愚痴を零しながら。
冷たさは、味覚を麻痺させる。
冷たい時に飲むことを想定した飲料は、常温では甘すぎるものだ。
創は残りのコーラも飲みほした。
創は空っぽになったペットボトルの飲み口を掴み、円を描くようにくるくると回しながら、ふと思う。
「これ、虫歯になったりしないかな」
糖分は、虫歯を引き起こす。
歯医者がいれば治療も可能だが、当然いない。
虫歯は、適切に治療さえすれば体への影響を最小限に抑えられるが、治療をしなければ神経にまで浸食する大きな病気だ。
虫歯の穴から菌が骨に入り込み、心筋梗塞や脳梗塞などを引き起こした例もある。
そうなれば、医者でもない創にどうする術はない。
「痛いのは、嫌だしな」
創は水の入ったペットボトルも開封し、口に含む。
ぶくぶくぶくと、口を閉じたままうがいをし、水だけで歯を洗浄する。
洗浄を終えた後は、吐き出すのももったいなかったので、そのまま飲み込んだ。
「多少はとれてるといいけど。歯ブラシも、コンビニで調達しようかな」
虫歯を引き起こす菌が粒子化をしているのならば、創の心配は杞憂ではある。
虫歯菌のいない口内で、虫歯は発生しない。
が、虫歯菌は目に見えないほど小さく、いくら鏡を覗き込もうと目視でいないことを確認できない。
虫歯菌が消滅したのか否か、その回答は創が虫歯になることでしか証明できない。
つまり、手遅れになって初めて気づくということだ。
創にできることは、虫歯にならないように気をつけるということだけだ。
創は気に入った飲み物を数本リュックの中に詰め込んで、ホームを出る。
階段を下りて、沈黙する改札を通過する。
駅から出れば、漂ってくるのは水の香りだ。
近くを流れる江戸川が、綺麗な流水音を奏ででいる。
創はふわっとした空気を前に軽く目を閉じ、ゆっくりと東京を見る。
否、昭和の景色を色濃く残していただろう東京を。
「もしかしたら、寿命が短い物から粒子化していくのかもしれない」
柴又に広がるのは、二階建ての一軒家と五階建てのアパート。
マンションと呼べるような高層ビルはなく、どれも時代を感じる造りである。
令和の世に作れと言われても、決して実現されないレトロ。
そんなレトロな家々は、既に軒並み半壊していた。
家を囲う塀は、怪物にでもかぶりつかれた様に凸凹で、家の中を隠すという役割を果たしていない。
庭に生える木々がぎりぎりブラインドの役割を果たしているが、肝心の隠すべき家の壁も穴だらけだ。
小さな丸い穴。
大きな丸い穴。
場所によっては、穴だらけの倒れた柱と共に、瓦礫が山積みになっている。
いつ倒壊してもおかしくはない。
「近寄らないようにしとこう」
創は、安全そうな道路を歩き始めた。