第10話 線路の上
「……失敗した」
線路の上を歩きながら、創は呟く。
線路は、電車が通るために最適化された道だ。
二本のレールに、無数の枕木。
人間が歩くには、駒から段差がひたすら続く悪路にしかならない。
さらに言えば、レールと枕木の下には、道床と呼ばれる大きさ四センチメートルの砕けた石が敷き詰められている。
乱暴に言えば砂利道だ。
足を置く度にじゃりじゃりと脚の下で転がる石は、確実に創の足にいつも以上の疲労を与えていた。
これでは、道に迷わないことで疲労を回避した意味がない。
「……失敗した!」
その上、創が歩いている線路は高架鉄道であり、歩けば歩くほど線路の位置が地面より高い位置へと上がっていった。
町と線路の自由な行き来は出来なくなり、コンビニやスーパーによって食料を調達しながら旅をするという計画は早くも暗礁に乗り上げた。
「リュックに食料いれててよかった」
線路が地面と同じ高さに戻るまでは、運んでいる缶詰やスポーツドリンクでしのぐしかない。
文句を言っても状況が変わらないため、創は一歩一歩、前に進んでいく。
左右を見れば、白い壁。
線路を囲う、白い壁。
高いところからの景色は見晴らしがよく、歩く創の気分転換になってくれるだろうが、線路を囲む壁はそれさえ許してくれない。
無機質に、創に歩くことだけを強要する。
「疲れた」
三十分歩いたところで、創は脚を止めた。
日本人が一日に意識的に歩く時間は、三十分未満が四割。
創は四割に該当しており、歩き続けるという動きについては慣れていない。
まして、足場の悪い線路を、だ。
ここまで歩き続けることができているのは、ひとえに体育という授業のおかげだ。
高校は、基礎体力を保証する。
創は枕木の上に座り、リュックからスポーツドリンクを取り出して、一気に飲み干した。
四月の朝は、気温が高いわけではない。
だが、昼がくれば太陽も本気を出す。
自宅を発った時から比べれば太陽は南に近づき、気温は確実に上がっている。
そんな炎天下をずっと太陽の下を歩き続ければ、体力も削られていくものだ。
「帽子、どこかで買わないと」
創の頭の中には、次々と買うべきものが浮かんでくる。
ひと休憩を終えたところで、創は再び歩きだす。
長時間も休み過ぎれば、歩き始める時の辛さが倍になると知っているから。
空っぽになったペットボトルを線路の脇に投げ捨てて、再び歩き始める。
汗が、線路にぽたぽたと落ちていく。
汗はきっと太陽の熱で蒸発し、ペットボトルはきっと粒子化により消滅する。
ざしりざしりと、石の踏まれる音が響く。
「時間も、調べておけばよかったな」
創の敵は、何も日光だけではない。
あとどれだけ歩けばいいのかわからない、不透明さも敵である。
電車移動でかかる時間は大まかに把握しているものの、果たして徒歩ではどれだけかかるのかを計算するには、地図アプリか道路の距離の情報が必要である。
どれだけ歩くべきかが分からない以上、ペース配分ができない。
休憩するタイミング、手元にあるスポーツドリンクを飲むタイミングなど、計算ができない。
念のためのという言葉を使って、意味なくスポーツドリンクを温存し、する必要のない体力消費をするだけである。
「やっぱり、紙の地図がいる……。物差し使えば……だいたいの距離とかかる時間が……。わかるはず……」
汗が落ちる。
喉が渇きを訴える。
飲んでいいのか、悪いのか。
創の視線はちらちらとリュックの中にあるスポーツドリンクへと向く。
スポーツドリンクは残り二本。一リットル。
水の入った二リットルのペットボトルも合わせれば、倍以上。
創はスポーツドリンクに少しだけ口をつけ、なおも歩く。
旅の門出に相応しかった太陽が、今の創には憎らしく思えた。
「はぁ……はぁ……。み、見えて来た」
線路が下り坂になり、高い場所から低い場所へと降りていく。
線路を囲む壁の高さは徐々に低くなり、線路から周囲の町が見渡せるようになる。
澄んだ空は町の形をくっきりと浮かび上がらせ、その中に目的地である駅も見えた。
東京都葛飾区にある北柴又駅。
東京都と千葉県の境である江戸川のほとりに佇む駅は、柴又帝釈天にあわせたレトロな造りをしており、参拝客もよく利用する格式高い駅だ。
ゴールが見えれば、人間は頑張れる。
創は自身を少し奮い立たせ、最後の道のりを歩く。
「つ、着いたー」
誰もいないホームへとよじ登り、創はその場に寝っ転がった。
ホームには日光が差し込んでおり、飴を防ぐために作られていた屋根は半分が消失していた。
創は荷物を下ろし、日差しを避けるためにホーム上をごろごろと転がった。
日陰の床はひんやりと冷たく、暑さで汗をかいた創の体を適度に冷やしてくれた。
「あー、生き返る」
創が転がった後にはポタリポタリと垂れた汗の道ができており、創の寝っ転がっている場所にも人型の汗の跡が作られていく。
目的地である東京都に入ったことで、創は一先ずの達成感を得ていた。
「あー」
体にたまった苦労を抜くため腑抜けた声を出したところで、創は喉が渇いていたことに気づき、リュックのところへ再び転がって移動する。
リュックの中からスポーツドリンクを一本取り出し、ごくごくと飲み干した
冷えていれば最高だっただろうが、そんな贅沢は言ってられない。
創はリュックを日陰へと引っ張り込んで、自身はホームの壁に背を預けて座った。