4.予算と増員を要求してよろしいか。
「予算要求とは正に公務員の醍醐味だな」
朝の公園の道すがら、ヨシノがテンション高めに話しかけてくる。
財務省本省へはチョーダ局の庁舎から徒歩10分。
ギル庁本店の担当者とは事務室前で待ち合わせだ。
開始予定の5分前だが、事務室前には既に細身の男性が待っている。
「遅くなりました。今日はよろしくお願いします」
「おはよう。こちらこそ、わざわざ来てもらってごめんね」
いつも文書ではやり取りしている本店の課長補佐だが、対面では久しぶりだ。彼は予算要求の実務的な責任者でもある。
目の周りには濃い隈があり、前回会ったときよりも更に頬がこけた。苦労の跡が垣間見える。
「ごめんついでに、本当に申し訳ないんだけど、今日の件の説明担当者が、急に議員の先生にレク要求で呼ばれちゃって、来られなくなったんだ。アキラくんに説明をお願いできないかな」
課長補佐は本当に申し訳無さそうな顔をしている。
流石に責任と負担が大きい。データとか実例を提供したし、説明資料の準備や確認も手伝い、事前の打合せも行ってきた。だが、今回の予算要求はチョーダ局だけでなく、全国の地方局のものだし、俺の所掌を完全に外れている。
「もちろんできる範囲で構わないし、微妙な箇所や分からない質問は全部宿題にして、持ち帰り対応で大丈夫だから。スケジュールの調整もできなくて、どうしても説明に穴が開けられないんだよ」
役所の仕事にイレギュラーは付き物だ。その意味ではよくあることだ。
この時間の説明に穴を空けたら、また後日参集する必要がある。それもまた面倒で非効率だ。
いつもどおりできる範囲でこなすだけか。
「分かりました。力不足ですが、可能な範囲で説明させていただきます」
「ありがとう。本当に助かるよ。今日のことは大きな借りとして、覚えておくから」
課長補佐は安堵の表情を見せる。
「まず形だけ僕が仁義を切るから、後の説明はお願い。困ったときは僕もなるべくフォローするよ」
「分かりました。よろしくお願いします。あと、今日はもう一人、ヨシノさんを同席させてもらっています」
「同席の話は聞いてるよ」
「はじめまして。ヨシノという。今日はよろしく頼む」
相手は大臣官房総務課の課長補佐。キャリアの有望株だが、安定のタメ口だ。
「こんにちは。久しぶりだね。スミガセの本店で何度か会ったことがあるし、研修でも説明したよね」
しかも会ったことを忘れている。
課長補佐はできた人間だからか、怒っている様子はない。
「すみません。彼女は敬語が苦手なようで」
なぜか俺が謝る。
「知ってる知ってる、彼女は有名人だから」
「ふふん」
ヨシノが得意げに鼻を鳴らす。
「なんで誇らしそうにしてんねん!」
「自分の高名を喜ばない武芸者がどこにいる」
「広がってんのは悪名やろ」
「ふむ。悪名は無名に勝る」
どうやら悪名に自覚はあるようだ。
「面白いね。アキラ係長は西の方の出身なんだね。2人で会話していると方言が出てる」
「ええ、大学のときまでは西の方だったので。今日は財務省の担当者とこんな調子にならないようにヨシノさんには黙っててもらいますので」
後半はヨシノの方を見ながら、釘を刺す。
「予算要求とは血湧き肉躍るな。こちらからは政策の必要性と費用、用途を説明し、片や財務省は血税を預かる立場から内容を吟味する。言葉による真剣勝負だ」
血気盛んでうらやましい
「期待しているみたいですが、予算要求は闘技場でのプロレスショーのようなものですよ。ピンチがあって、ボロボロにやられて、最後は気力を振り絞って辛勝するシナリオ。財務省が技をかけてきたら、こちらはくらって膝をつく。耐えに耐えて反撃しても、財務省はノーダメージ。でも、それを繰り返すうちに最後はお互いに分かり合う」
何度か予算要求作業を経験した、俺の達観か諦観だ。
「ほう。それなら私の得意分野だな」
ヨシノが真顔で頷きながら宣言する。
「今の例えを聞いてたんか? お前ができるのは力任せの問答無用だけやろ」
「ははは。面白いね。いいコンビだ」
課長補佐の評価は不当に感じる。
不意にドアが開き、本店の職員2人が部屋から出てくる。
「お疲れ様です」
「結構細かいとこまで詰めてくるから気をつけて」
課長補佐が不吉な会話をしている。
「失礼します」
課長補佐の挨拶とともに、3人で財務省担当官の執務室に入る。
相手は慣例で一つ格下の係長だ。
机の上にうず高く積まれた資料の間に、眼鏡を掛けた担当者が座っている。
机の正面の椅子に課長補佐は進み出ると、右手にヨシノ、左手に俺が座るように促す。
「それでは地方局における内部監察業務の人員の増加と、監査業務に係る予算要求について説明させていただきます。本日、主担当者が急な議員対応により説明に参加できなくなりましたので、事案に詳しい別の者から説明させていただきます」
課長補佐が、やや早口ながら丁寧な言葉遣いで説明を始める。
昨夜、念のため資料を見返しておいて良かった。自分が説明するシミュレーションまではしていないが、通り一遍の説明ならなんとかなるだろう。
「まず予算要求資料の199ページを御覧ください。まず人員の必要性については……」
「地方部局の増員は今どき筋が悪いんじゃないの。政府全体もだけど、ギル庁も業務はスミガセに集中させてるんでしょ」
眼鏡の担当者が説明を遮りながら、疑問を投げかける。軽いジャブのようなものだろう。
「ご指摘のとおり地方局は定員を削減しています。ただ監察業務は、各地方の支部のギルドも対象にしており、今般では支部のギルドでの非違行為が増加傾向でることから、機動的に対処しつつ、スミガセからの出張旅費の削減の点から……」
「分かった。分かった。業務量の試算は?」
財務省の査定担当は俺と同じ係長なのに、無礼な口振りだ。
「お手元の補足資料の12ページにございます」
財務省の担当者が資料をパラパラとめくる。
「北から南まで、地方局を一律に3名に増員する必要はないんじゃない? 下についてる支部ギルドの数や規模もまちまちでしょ」
「そのとおりです。ただ、チョーダ局の傘下の支部は多いものの、そこはスミガセと協力しつつ対応することで、むしろ5名程度の増員は必要なところを効率化しており、少なくとも3名への増員は必要となります」
「ものは言いようだね」
査定担当者は業務量の試算のページを閉じながら、ぶっきら棒に言い捨てる。
業務量の試算のために、チョーダ局管内の支部の過去のセクハラ、パワハラから横領、情報漏えいまで、内部処分の件数を数え上げた。そして、1事案当たりの調査手続や時間を半ば水増しして算出した。先月の深夜残業のうちの3日はこれに費やされた。
「じゃあ。本店と地方局のデマケはどうなってんの?」
「本局には基本的に1級監察官のみが在籍し、地方局には2級監察官のみが配置されます。1級と2級の違いは……」
「『基本的に』ってことは例外もあるってこと?」
査定担当者は『人の話は最後まで聞こう』と子供のときに教わらなかったのか。それとも子供以下の頭しか持ち合わせていないのか。
「はい。本局内の職員によるハラスメントに対処する2級監察官が、本局にも一人だけいます。ただ、本局は支部ギルドを直接管理しないので、人事課と兼務して……」
「監察官の1級と2級ってどう違うの? I種とII種みたいなの?」
1級と2級の違いをさっき説明しようとして、お前が遮ったんだろう。
「採用試験のI種、II種とも関係しています。1級監察官は、悪質な違反行為がある場合に自身の判断で家宅捜索や押収、そして被疑者に対する武力行使と逮捕が可能となります。そのため、任命の資格として、I種の武官であることが必要です。あとは、A級以上の冒険者の経験がある者も任命要件をみたします。2級監察官は特に資格なく任命できます」
「へー。そんな制度があったんだね」
実はやや正確性を欠いた説明だったが、査定担当者は納得したようだ。
「はい。各省共通の制度ですが、監察で荒ごとが起きるのは我が社と警務省、外務省くらいですので、監察官と言えば、普通は2級監察官のことです。主にハラスメントや情報漏えい、横領などを取り締まります。ただ、我が社だと、歴史的にみても冒険者による暴力行為や支部ギルドの組織犯罪がままあるので、武力鎮圧のために1級監察官を配属しています」
「なるほどね。冒険者関係だと物騒な事件もあるよね」
「そのとおりです。ですので彼女のような1級監察官が必要となります。我が社では、1級監察官はこのように帯剣しています」
俺は手振りで、ヨシノとその左腰にある剣を示す。
「かわいい女の子が剣を腰に刺してて、何かなあと思ってたんだよ。1級監察官だったんだ。彼女に二人っきりで尋問されたら、全部ゲロっちゃうよ」
「係長、それじゃあセクハラで即刻、武力行使されますよ」
俺は相好を崩しつつ、やんわりと指摘する。
「失敬、失敬。少しくらいなら痛めつけられるのも悪くないけどね。セクハラしたあとに女剣士におしおきされたら、ご褒美になっちゃう人もいるかもね。ははは」
だめだ。こいつ全く懲りていない。
ヨシノが抜刀して斬りかからないか横目で様子をうかがう。
しかしヨシノは微動だにせず、怒りどころか目に力が無い。心ここにあらずという様子だ。
「実はセクハラは家宅捜索や武力行使の対象行為となっていないので、そういう展開はありません。対象は、冒険者による暴力行為やギルド職員による組織犯罪や汚職、端的に言えばマフィアなどとの癒着への対抗措置です。1級監察官の対象犯罪はかなり厳格に設定されていますし、2級監察官はいかなる場合も有形力を行使することはできません」
「もし間違って剣を使ったらどうなるの?」
担当官は眼鏡越しに、舐めるようにヨシノのことを見ている。
「適正手続の点から、調査において問題になるでしょう。禁止されている私闘を行ったとして、信用失墜行為に該当するかもしれません」
この質疑応答は査定の何に関係しているんだ。
答えきった後、俺は押し黙る。
「じゃあ続けて」
担当官は沈黙に耐えかねたようだ。
「はい。では増員の必要性について詳しく説明させていただきます。我が社の本局の1級監察官は、違法な冒険者の制圧や危険地帯での監査業務に当たるので、各地方局1名の2級監査官では、セクハラや横領などの軽微な非行にまで手が回っていない状況です。特に傘下の支部ギルドまでは監視と執行が不十分なままです。他方で、我が社を含めて最近の公務員の不祥事により、大統領も公式に綱紀粛正とガバナンスの強化を宣言しており、大臣も監察体制の増強を答弁しています」
「件数のデータは?」
「補足資料の5ページに行為類型別の処分件数があります。6ページは被疑事件、つまりタレコミの件数でして、正直なところ調査に着手できていない件数が相当ございます」
「随分多いけど、おたくの内部組織の規律の話でしょ。まず締め付けて予防を図るんじゃないの」
資料をめくりながら、担当官が不満そうに声を上げる。
「もちろんセクハラ、パワハラの事前研修や啓発活動にも力を入れていますが、我が社の場合は支部ギルドに特定ギルドも多く、なかなか本局のグリップも行き渡りづらい事情がありまして」
「特定ギルドってなんだっけ?」
「特定ギルドは、我が社の主導で成立したのではなく、地元の有力者が小規模に運営していた交易所や自警団を組織に組み入れた支部ギルドです。ギルドの支部長は、我が社から派遣するのではなく、その有力者を任命しているので、長期間支部長の座に君臨し、問題が起こりやすい構造になっています」
「じゃあ、まず特定ギルドをなんとかしないといけないでしょ」
正論である。正論ではあるが、それは容易ではない。
「ご指摘ごもっともでございます。別途並行して特定ギルドの改革も進めてはいます。ただ特定ギルドの支部長は地方の有力者ですので、政治力も相当強く、なかなか思うようには進みにくいこともありまして……」
やや歯切れ悪く説明する。
「ああ、巨樹っていう政治団体だっけ。有名だよね」
「あまり大きな声では言えないですが、この監察の強化には、悪質な非違行為を認定した場合、支部長の任を解いて、特定ギルドをなるべく減らそうといった面もあります」
俺は実際に声量を少し絞る。
「なるほどね」
担当官は、資料をパラパラとめくりながら、机上の置き時計を一瞥する。
予定よりも10分押しで始まった説明は、既に終了予定時間を15分経過している。
「上とも相談するけど、とりあえず時限の3年の増員かな。その後は政策評価も踏まえて再度検討で。地域によっては3名ではなく、1、2名になるかもね」
「何卒よろしくお願いいたします」
俺は恭しく頭を下げる。
「じゃあ次は新規玉を中心に予算を説明して」
「はい。次年度の監査業務予算の新規要求事項は、内部監察業務における魔法による虚偽の看破の業務委託費用です。そのほかについては、単価の変動程度で前年同額となっています」
「それ嘘発見器みたいなもんだよね。精度はどれくらいあるの」
「約8割と言われていまして、もちろん……」
「それで証拠になるの?」
「もちろん、他の客観証拠と突き合わせて、総合的に認定しますので」
「その程度なら、それギル庁の内の魔法使いで対応できるんじゃないの」
「我が社は魔法使いを正規職員として採用しておらず」
「じゃあギルド内で依頼をしたらいいじゃん。冒険者ならいっぱいいるでしょ」
「利益相反になりますので、ギルドに我が社の依頼を出すことはできず……」
「単価が結構高く見えるけど根拠あるの?」
「3社から見積もりを取って、その平均から端数を引いて単価としています」
「執行実績は無いの? これまでも使ったことあるんでしょ?」
「あるにはあるのですが、3年前の事例でして、最近のインフレを考慮すると、なかなか実態には即していない面がありまして……」
「お疲れ様でした。今日は本当にありがとう。本職の担当者も顔負けの説明だったよ」
予定を30分超過して俺達の財務省レクが終了した後、課長補佐が俺に声を掛ける。
「いえ。何とか説明できてよかったです。いちいち質問してきて、ペースがつ掴めませんでした」
「そうなの? 敢えて全部説明せずに隙きを作り、そこに質問を誘導して、場をコントロールしている感じがしたけど」
「大層なものではないですよ。細部を詰めるのが好きそうなので、全部説明せずに興味を引きそうな箇所をぼやかしていただけですよ。結論としてゼロ査定が無いのは分かってましたし」
とは言え、実際には狙い通りで、財務省の担当官は質問攻めにしているようで回答に窮した場面は一度もなかった。
「話の内容があまり頭に入ってこなかった」
ヨシノが同席の趣旨を滅殺する発言をする。
「お前、本籍は監察部ちゃうんか! 監察官の増員の話もあったやろ」
「知っている話を聞いても仕方無いだろ?」
「こっちは聞く方やなくて説明する側や!」
「まあまあ。これくらい動じない新人もいいじゃん」
課長補佐が取りなす。
「彼女が自分の部下だったとしても、同じことが言えますか?」
「僕よりもアキラ係長の方がヨシノさんのコンビには適してるかな」
大人らしく、差し障りのない表現で拒絶する。
「それよりも、ヨシノさんが注目を引くことまでは想定していたけど、あそこまでセクハラ発言をさせてしまって、ごめんね」
課長補佐が話を逸しつつ、ヨシノに謝っている。責任の一端は俺にもある。
「大丈夫だ。柄頭で片目を潰そうかと思ったが、課長補佐殿の気当たりで制止されたので、イメージトレーニングで留めた。100回はあの眼鏡ごと眼球をぶち壊してやった」
「危ないことすんなよ!」
「確かに、眼鏡のレンズが飛び散らないように刃で眼球を切断した方が上策だったか」
「危害を加える前提を覆せ!」
しかしあの一瞬で二人の間に機微なやり取りがあったとは。ヨシノはともかく、課長補佐も実は只者ではなかったのか。
「まあまあ。相手が悪いし、未遂で終わったんだから良いじゃない」
課長補佐が見かねて、仲裁する。
「そろそろ戻るね。今日は本当にありがとう。大きな宿題もなかったし、あとは本局だけで対応できそうだ。担当に説明しておくよ。何かデータが必要そうだったら、悪いけどまたよろしく」
「わかりました」
「じゃあまた」
そう言い残し、課長補佐は足早に去っていく。
「アキラ殿も色々と大変だな」
アヤノが珍しく殊勝なことを言う。
俺を認めて敬語でも使ってくれるのだろうか?
「イレギュラー対応は良くあることですよ。万全な態勢なんていつまで経っても整うことは無いですから」
「いやそういうことではない。ムカつく奴に至近距離で対面したときの、徒手空拳での対処とかを伝授しようかと。近間のときは、拳よりも掌底や手の甲で打つのがおすすめだ。まず目潰しをする手もあるな」
「……ムカつく奴が至近距離にいるけど、S級冒険者くらい強い時はどうしたらいいですかね」
最近のストレスの半分くらいはお前が原因だ。
ヨシノが、少し頷きながら思案をしている。
「確実に不意を付けるタイミングを待つしか無いな。邪道だが、一服盛るくらいの搦め手が必要かもしれないな」
「いざというときの参考にさせてもらいます」