11.紅蓮の炎で焼かれた後に。
8話から12話までが一連のストーリーとなります。
「ご家族の方ですか、お見舞いの方ですか? お見舞いの方でしたら、こちらの用紙に行き先とお名前を記入ください」
受付の職員が左の腰の剣に目線を落とす。剣は置いてきた方が無難だったか。
とはいえ、咎められることはない。冒険者の入院とお見舞いも多いのだろう。
病室はどこだっただろうか。
逡巡していると、用紙の前半に306号室を訪れた課長の名前を見つける。リストの末尾に署名した後、顔を上げると左側に階段を見つける。
コツン、コツン。
石造りの階段に靴音が響く。
課長は既にお見舞いに来ていたのか。流石の気遣いだ。
一見おどけた様子を見せるが、ひとつひとつの課長の行為に意味がある。戦略を念頭に部下に指示を出すし、間接的に行動を促すこともある。
今にして思えば、出張前の会話も戦略上必要なピースだった。
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『今回の出張の間、アキラくんはヨシノちゃんと同じ1級監察官になるわ。だから彼自身の判断で捜索や押収を行うことができる。ただ、ヨシノちゃんのような物理的な力はないから、彼のことを助けて、守ってあげてほしいの』
課長の口調はいつも通り穏やかだが、アキラを心配する様子が垣間見える。
『1級監察官ですか? 確か1級に任命されるにはキャリアの武官採用とか冒険者としての特殊な経験とか条件が厳しかったような気がするのですが』
別に不満があるわけではない。純粋に疑問に感じただけだ。
『アキラくんは自分で言わないと思うから説明しておくわ。本人も隠している訳ではなく、周囲も知っているから。アキラくんは、ギル庁ではII種採用、あんまり使いたくないけど、いわゆるノンキャリね。でも、彼は古都大学の武闘学部出身でI種の武官の試験も合格している』
課長は少し寂しそうな、複雑な表情をしている。
『武闘学部からキャリアの武官以外は珍しいですね。II種試験は実技の科目もありませんし』
『そう。アキラくんは、一般教養や法律、政治、経済の専門科目の勉強もして、試験にもパスしているの」
それは驚きだ。武闘学部では実技や戦闘関係の座学が中心で、法学や経済学をはじめとする他学部の学習内容とは一線を画する。
『アキラ殿も武闘学部出身なんですね』
少し親近感を覚える。古都大学の武闘学部出身者には何人も知り合いがいる。ライバル校として対抗戦もよくやっている。
『そうなんだけど、アキラくんは後衛職で試験区分も魔法だから、前衛のあなたが先輩を守ってあげてね。攻撃魔法が本職で、回復魔法もある程度使えるはずだけど、最近は訓練していないみたいだから多分使い物にならないわ」
『承知した』
ブランクのある後衛職は一般人とほぼ同じだ。連携をとるというよりも庇護するということか。
『それで監察官は、各省共通の制度で、I種の試験に合格した人は、採用されていなくても1級監察官の資格があるのよ。ギル庁にI種の武官はあなたのような前衛しかいないけど、後衛の武官でも資格はあるのよ。そして、採用ではなく、I種試験の合格が1級監察官の任命の基準。アキラくんはI種試験もII種試験も受かって、II種としてチョーダ局に採用されたけど基準には達しているというわけ』
『なぜアキラ殿はキャリアで応募しなかったんですか? アキラ殿の機転があればキャリアでも採用されたでしょう』
純粋な疑問だったが、課長は困ったように少し肩を下げる。
『I種は転勤や出張も多いからね。色々な事情があるってことよ。ただ、アキラくんは、II種でも、いえI種を含めても、めちゃくちゃ優秀よ。普通、3年目で係長に昇進したりしないわ。実は係長『心得』なんだけど。人が足りないということね』
課長は明言を避ける。
『ともかく、アキラくんのことはよろしくね。ヨシノちゃんのこと、頼りにしているわ』
課長に笑顔で頼まれると燃えてくる。
『承知した』
力強く返答する。
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コツン、コツン。
石造りの階段に靴音が響く。
2階に到着する。このまま久しぶりに階段ダッシュをしたい衝動に憑かれたが、病院ということを思い出して振り払う。
2階の廊下では、バスケットを持った婦人が壁の館内図を見ている。バスケットからはバターの香りがする。焼き菓子だろうか。
バネッサ支部でも、部屋に入るまでは良かった。アキラを後衛にして、自分が先頭で突入した。
全てあのマカロンがいけなかった。いやマカロンに罪はない。マカロンに入れられていたマヒ毒、そして汚い真似をするあのカエルが悪い。マカロンは美味しかった。
今でもあの時マカロンを食べたことに後悔は無い。時を遡ったとしても、食べる前にマヒ耐性の魔法をかけてから食べるだろう。
婦人が、バスケットを持っていない左手を頬の下に当てて、小首を傾げる。訪問先がわからないのだろうか。
歩み寄ろうとした時、婦人の頬から首のラインとすらりと伸びた指が、アキラとの記憶を喚起する。
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『おい。しゃべらんでええから、首を振って答えろ』
ごめん喉が痺れて声が出ない。頭ははっきりしているのだが。
アキラの瞳に映る自分を見ながら、少しだけ顎を下げる。
『動けるか?』
頭を左右に動かす。
『マヒ毒か?』
顎を下げるのにつられて、瞼も閉じる。
『自分でマヒの治療魔法をかけられるか?』
少し前から試みているが、マヒで魔力の集中が阻害される。あと5分でも10分でもあれば、魔法をかけられるまで回復する感覚はある。
頭を左右に振りつつ、右手で弱々しく『あとちょっと』と伝える。
『ええか。俺の言う通りにせえや』
アキラの右手が頬に触れる。
いきなり俺様キャラ? まさかこのままキスされるのか?
口移しで魔力を受け渡す魔法もある。今がそのタイミングか?
体が不自由な分、思考が先鋭化して、突拍子もないことを考えてしまう。
アキラの右手の温度を感じる。触れた手に呼応して、自分の脈動が加速する。
体が熱くなる。
これは治癒魔法か。ゆっくりと解毒され、体の痺れが取れていく。そうか、アキラは回復魔法も使えたのか。ただ、練度は今ひとつだ。
『これからお前は、俺の回復魔法で多少動ける程度にはなるやろ。ただ、戦えるまでにはならへん。しばらくここで死んだふりして、いけるんなら自分で治癒魔法も使うんや』
アキラが腰の剣を抜く。普段は他人に触れさせないのだが、アキラなら構わない。この状況でもあるし。
しかし使いこなせるかな? 特注の品だぞ。
『俺は今から時間を稼ぐから、あいつの気が逸れたら離れに行け。その離れの中に満月草が山程ある。それを食ってマヒを治すんや。そしたら剣は分かりやすいところに置いとくから加勢してくれ。なるはやで頼むで』
力強く頷く。アキラの治癒魔法で幾分動きやすくなっている。
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婦人の手が頬から離れ、奥の廊下に歩き出す。
自分も現実に引き戻される。
婦人は無事に目的地を見つけられたようだし、自分も訪問先に向かおう。
コツン、コツン。
石造りの階段を再度上る。この階段をこの剣で斬ることはできるだろうか。斬った後はどのように崩れ落ちて、どこに着地をすればよいだろうか。
そんなことを考えているうちに、3階に到着する。
3階の館内図で306号室を探すが、見当たらない。
分かりにくい館内図に苛立ちを覚える。
思い返せば、チョーダ局に着任してから、バネッサでも道に迷ったことはなかった。全てアキラが先導して場所を教えてくれた。
アキラは優秀な職員だ。事前の準備は怠らない。優先順位も理に適っている。相手が人間であることも考慮して、反応とリードタイムを把握している。
バネッサの戦闘では指揮官としての判断力も見せつけられた。
歓迎会で局長からギル庁の志望理由を聞かれた。あの答えは嘘ではない。しかし官庁訪問用の応答だ。その裏には、パーティーや組織に対するコンプレックスがある。組織としての戦いを学びたい。そう思った自分にとって、一番身近な組織がギルドだったのだ。
個人としては、幾ばくかの才能にも恵まれ、努力することも苦ではなかった。誰よりも強くなることを目指して貪欲に挑戦を続け、実際に剣の戦いで敵わない相手はいなくなった。しかし、一対一では勝てる相手が、パーティやクランを率いて、自分以上の成果を上げる場面も目の当たりにしてきた。
他の冒険者と組んだ時もあった。B級やC級の頃から、いくつもの有名なパーティから誘われて加入した。しかし他人の指揮で戦闘しても、自分の力を発揮できず、窮屈な思い出しかない。2、3回のクエストをこなすと、関係はすぐに解消していった。
A級になった後は、リーダーとして指揮を任せられたり、弟子にしてほしいという冒険者に出会うことが増えていった。しかし、ほとんどの冒険者は私の過度な要求について来られなかった。結果、メンバーを過保護に取り扱ったり、自分を戦術の中心に据えた指揮……つまり私がゴリ押しするということ……に傾き、あれほど私に心酔していた冒険者も次第に離れていった。
仲間や戦友と呼べる冒険者はいなかった。
思い悩んでいる自分に対して、ギルドの受付嬢が掛けてくれた言葉を今も覚えている。
『別にソロでいいじゃない。結局、人はいつも一人なのよ。あなたの人格さえあれば仲間なんていなくても大丈夫よ」
これが吹っ切れるきっかけになり、ソロとして我武者羅に依頼をこなし、腕を磨いていった。ただ、自分はソロとして活躍していたのではなく、ソロでしか活躍できなかった。
自分は、パーティー内での連携が取れず、ソロで活動せざるを得なかった。だが、そんな自分をアキラは見事に指揮した。ミカエルの気質、場の状況、手持ちの道具、そして私。それらの使い道を瞬時に考えて、活路を開いた。
何より、仲間を見捨てず立ち向かった。あの状況では自分の生命を優先して一人で逃げたとしても誰も責めることはない。むしろ、撤退がセオリーだ。しかし、アキラはリスクを承知で、全員が生き残る可能性に賭けて、そして賭けに勝った。自分にその胆力があるだろうか?
官僚としても冒険者としても大成できる才能をアキラに感じる。なぜキャリアとしての就職を目指さなかったのだろう? なぜ冒険者として高みを目指さなかったのだろう?
ただ、冒険者としてのアキラの鍛錬は不十分だ。日々の努力が全く足りていない。こんなことなら、馬車の中でも少しは魔法の鍛錬をしておけばよかったのに。
アキラを責める気持ちの反面、自分は全てを分かっていた上で、その後衛を危険に晒してしまったことに自己嫌悪する。
気づくと左手を頬に当てて、2階の婦人と同じポーズになっていた。少し苦笑いをすると、首筋の感触を思い出してしまう。
その時、館内図の右上の306号室の表示が目に飛び込んでくる。このポーズは探しものを見つける効果があるのか?
ともかく訪問先に歩みを進める。
306号室の扉の向こう側から、話し声がする。誰か先客がいるのだろうか。
「失礼します」
病室は個室だった。
窓際のベットで上体を起こしているアキラとまず目が合う。そして20代前半くらいの黒髪の女性が振り返り、にやりと笑った気がする。
「あなた、この女は誰なの。私という妻がいながら、どうして他の女に手を出すの!」
えっ、妻、修羅場?
お見舞いに来ただけなのに。
部屋を間違えた?
しかしベッドにいるのはアキラに間違いない。
彼女は何か誤解をしている。
「いや、私はアキラとそういう関係ではなく。単に見舞いに寄らせてもらっただけで。はい、お取り込み中の様なので失礼します」
混乱して言葉がうまく出てこない。
「やめや、あほ。職場の同僚や。事件の話ししたときにもようけ出てきたやろ。ヨシノさんや」
アキラは全く狼狽している様子はない。
「お兄ちゃん、分かってるって。昔なつかしの三角関係のもつれごっこをしたいかなと思っただけやで」
女性は目を細めて笑っている。
「すみませんね。こいつは妹のアカネです。おい、ちゃんと挨拶しなさい」
「はじめまして、アカネです。不束者ですがよろしくお願いします」
アカネは立ち上がり、深々とお辞儀をする。
「はじめまして、同僚のヨシノと言います。いつもアキラ……殿にはお世話になっています」
少し余所行きの挨拶をする。今更気づいたが、さっきは呼び捨てにしてしまった。
「お兄ちゃんから聞きました。今回は大変でしたね。新聞にも大きく出てましたよ。バネッサギルドの支部長が違法薬物で大暴れって。でもヨシノさんには大きな怪我がなくて良かったですね」
ふと気づくと、アキラの左足にはギブスが付けられており、左手には包帯が巻きつけられている。
「すまない。お兄さんに大怪我をさせてしまい」
アカネに向き直って頭を下げる。
「いえいえ、そういう意味で言ったんじゃないんですよ」
アカネは、両手を振って否定する。
「大学の時もよく傷だらけで帰ってきてましたし、こんなの怪我のうちに入りませんよ」
「怪我は本当に大したこと無くて、扱いが大げさなだけなんですよ。明日には退院して、あさってから職場にも復帰する予定ですし。2泊3日の検査入院ですよ。帰りの馬車でも回復魔法を掛けてもらったようで、ありがとうございました」
確かに回復魔法を使ったが、昨日の今日で全快するわけはない。腹部や背中の打撲はまだしも、足のギブスは骨折だろう。回復魔法は自然治癒力を高めるだけで、骨折や内蔵の損傷には効果が薄い。
「ヨシノさんこそ体調は大丈夫ですか?」
「私は大丈夫……です」
「なんか固いなー。お二人さん。私、お邪魔ですかねー。ちょっと花瓶の水を変えてきますね」
アカネが椅子から立ち上がり、花瓶を抱えて扉に向かう。
「あ、お兄ちゃんの右手に少し痺れがあるようなので、何なら押さえきれない欲望の処理をお手伝いしてもらって構いませんので。お兄ちゃんのあれって凄いから、昨晩は私が足腰立たなくなるくらい大変だったの」
「下ネタやめや。一から十まで嘘ばっかやろ!」
アキラがたしなめる。
「あら、お兄ちゃんがお腹空いているかもしれないから、棚のりんごを剥いてあげてくださいって伝えただけなんだけど。昨晩はパンが食べたいって急に言うから、1階の売店まで買いに行くのが大変だったのは本当でしょ。これのどこが下ネタなのか、自分の心に良く聞いてみてね」
「うっさいわ。はよ出てけ」
アキラが右手で追い出すジェスチャーをする。
痺れている様子はないが、本当に大丈夫なのだろうか。
「はいはい。あとは若い二人でごゆっくりどうぞー」
そう言ってアカネは扉を閉める。
10秒ほど沈黙が部屋を支配する。
「立ちっぱなしもなんなので、椅子に座ってください」
耐えかねたわけではないだろうが、アキラが椅子を勧める。
アキラに目線を合わせるためにも、座らせて貰おう。
「ヨシノさんは」
「アキラ殿は」
二人の発言と名前が交差する。
「どうぞ先に言ってください」
予想通りアキラが先攻を譲る。
「すみません。アキラ殿には本当に妹さんがいたんですね」
確かに初対面の時に、課長がそんなことも言っていた気もする。課長の発言はどこまでジョークでどこまで真実かわからない。
「ああそうです。7歳離れているので、娘みたいなもんですよ」
7歳差ということは、高校三年生くらいか。
「ずいぶんしっかりとしているというか、大人びているんですね」
容姿も発言も。
「うちは事情があって、二人暮らしなので、どうしても背伸びさせてしまったようで、ああなってしまいました。すみませんね」
事件の日もバネッサでの入院を拒み、頑なにチョーダに帰るとうわ言のように呟いていた。その理由はアカネを一人にしたくなかったからだろう。
「いえ、ちょっと圧倒されましたが、可愛い妹さんですね」
アキラがほっとしたような微かな笑みを見せる。普段見せない兄の顔をしている。
「アキラ殿は魔法も使えたんですね」
少し迂遠な発言になってしまう。
「ええ、昔に少し……」
「古都大の武闘学部出身で、キャリアの試験も合格した聞きました」
「ちょっと合格率の低い試験にたまたま受かっただけで、大したことはないですよ」
言った後に、アキラが少しバツの悪そうな表情をしている。
「キャリアで採用された方は立派な方が多いですよ。ヨシノさんを含めて」
アキラにフォローをさせてしまった。
「アキラ殿もキャリアでの採用を目指す道があったんじゃないですか?」
不躾かつ無意味な質問だ。だが、どうしても気持ちを押さえきれなかった。
「大学生4回生の時、キャリアの試験の合格直後に母が死んでしまい、ばたばたしていたんですよ。父はしばらく音信不通でしたし。それで各省の採用面接を受ける機会を逸してしまっただけですよ。アカネは、奨学金がもらえる東の方の高校に入学することにして、俺はそれに合わせて転勤が少ない事務職の公務員試験を受けて、東の方で採用してくれたのがギル庁のチョーダ局だったというだけですよ」
アキラは扉の様子を気にしている。アカネがこの話を聞くと、自責の念を惹起するからだろう。
アキラには冒険者になる道や武官としてキャリア官僚になる道もあったろうに、今の仕事を選択した訳だ。だがアキラにとって、その選択は自己犠牲ではなく、あくまで環境の中で最善を尽くしたということだろう。
どうすればアキラのような確固たる自己を、断固たる覚悟を持つことができるのだろうか。
考え事をして会話が止まる。焦点が合わないまま部屋の様子を眺めていたが、その中心のアキラと視線がぶつかる。
「そういえば。アキラ殿も言いかけていましたが、何でしょうか?」
取り繕って、少し早口になってしまった。
「ああ、大したことじゃないんですが……私に敬語になったんですね」
えっ。そういえば、アキラに対して敬語を使っている。
いつからだ? 別に勝負に負けたわけでもないのに。
「いや、これは。お詫びとして、今日だけです。私が不用意に毒を口にしたことで、怪我をさせて申し訳ありませんでした」
立ち上がって頭を下げる。
今日はこのお詫びが第一の目的だ。遅くなってしまった。
「気にしなくて大丈夫ですよ。というか、危ないところを助けてもらってありがとうございました。結局、ヨシノさんの剣技頼みになってしまいました」
「いや、私がマヒさえしていなければ、あんな男に遅れを取ることはなかったし、一度撤退して応援を求めたり、もっと安全に対処することもできた」
「そもそも今回の業務は研修のはずなのに、イレギュラーの嵐ですからね。課長は何となく危険性が分かった上で、レザーアーマーを装備させたりして、配慮してくれたようですが、違法薬物の製造、使用、暴行、監禁、殺人未遂などなど、キャリアの1級監察官がいたとしても、係長と係員の2人で対応する事案ではないですよ。我々はうまくやった方でしょう」
アキラが手振りで座るように勧めるので、再度椅子に腰を下ろす。
「もはや私もヨシノさんの言葉遣いは気にしていないですが、私への敬語は今日だけなんですね」
そう今日だけだ。まだ負けを認めたくない。
「そうです。なぜならアキラ殿は私の……」
私はアキラの何だ。アキラは私の何なのか。先輩と後輩、前衛と後衛、同僚。
「アキラ殿は私のライバルだから。……ツッコミの」
自分の気持ちがはっきりしない。この発言は嘘ではないが、正確でもない気がする。
尊敬の念も抱いている。
嫉妬の炎も燻っている。
背中を預ける戦友でもありたい。
強敵と書いて『とも』とも呼びたい。
自分に無い何かを持つアキラ。その憧憬の帰結として、アキラに隙間を埋めてもらいたいのか、自らで欠けたピースを満たそうと努力するのか。考えがまとまらない。
「ツッコミのライバルですか。人生で初めて言われましたよ」
アキラは薄っすらと笑っている。
「お前はツッコミやのうてボケ担当やろ!」
背後で急に甲高い声がした。アカネだ。
背後を取られたことに気づかなかった。気を抜いていたのは確かなものの、滅多にあることではない。
「あまりにお兄ちゃんのツッコミのキレが悪いので、ついつい口を出してしまった。やっぱりまだ本調子じゃないのね」
アカネはベッドの横に花瓶を置く。
「あっ、今から18禁シーンで、『じゃあ、まずはツッコミの基本の型を教えるために、俺のきかん棒をお前の色んなお口に突っ込むで』という展開が始まるところだったか」
アカネはウンウンと頷いている。
「ヨシノさん、俺のライバルだったら、代わりにこいつにツッコんでみてください」
アキラが呆れ顔で促す。
「私のきかん棒をアカネちゃんに突っ込めばいいのか? あいにく棒術は門外漢で、今日も剣はあるが、きかん棒とやらも持ち合わせていない」
病室が兄妹の笑い声で溢れる。
次話で一区切りとなります。