1.キャリアの研修生を受け入れてよろしいか。
※ 本作を改変した最終版は以下に掲載しています。2023年7月30日
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朝のギルドは案外忙しい。
とりわけ月曜朝は、業務開始を重荷とともに迎える。土日の反動という心理的な重荷。そして、土日と月曜の3日分の新聞のクリッピングのおかげで。
『警務省の職員が痴漢で逮捕』
公務員ネタとはいえ、さすがに痴漢の話までは共有不要か。スルー。
『商務省の魔石流通担当が収賄で逮捕』
また商務省かよ。あいつら全然懲りないな。カウンターパートがいるかもしれないし、一応イン。
「アキラくん。ちょっと部屋に来てくれるかしら」
不意に課長から呼び出しを受ける。
声の主を見やると、上司のアオイ総務課長が長身の女性と連れ立って執務カウンター内に入ってきた。
初めて見る女性だ。腰まで流れる艶やかな赤髪がまず目に付く。腰の細身の長剣にも存在感がある。冒険者達のように鎧装束ではなく、平服で帯剣しているのも目立つ。
課長が執務カウンター内に迎え入れたということは、一般人ではないということだろう。
「空いてる椅子に座って少し待っていて。後で呼ぶから」
「わかりました」
女性は予備のイスに腰掛けて、ギルドカウンター内をきょろきょろと見回している。
「失礼します」
メモを手に総務課長室に入ると、甘い匂いに出迎えられる。いつものとおり、課長はデスクに腰掛けている。行儀が良いとは言えないが、その方が低身長の課長とは話しやすい。
「あ、扉を閉めてくれる」
セクハラ、パワハラ防止のために基本的に開け放たれている扉。それを閉めるということは、内々の話ということか。
「何でしょうか」
「いいニュースと悪いニュースがあるの。どちらから聞きたい?」
課長がいたずらっぽい笑みを浮かべながら問う。
「悪い方からお願いします」
「いいニュースはね、総務課に増員があること」
「聞いといて悪い方から言わへんのか!」
つい故郷の言葉で突っ込んでしまう。普段は敬語と営業スマイルでごまかしているが、あまりの理不尽にペルソナが剥がれてしまう。
「ごめん、ごめん。一度この前振りを使ってみたかったの」
「それで悪いニュースは何ですか?」
「しかも新しく来る職員はとても美人」
課長が連れてきた、赤髪の女性を思い浮かべる。
確かに、部下の係員は新人ながら早くも出産して育児休暇中、上司の課長補佐はメンタル不調で離脱中なので、増員は願ってもない。遅すぎるくらいだ。
彼女の整った顔立ちからすると、美人という評価も過大ではない。
ただ、この初夏の中途半端な時期に、事前の内示も無しに、いきなり人員が追加されるなんて聞いたことがない。
しかも、課長は頑なに悪いニュースを説明しない。
「それで悪いニュースは何ですか?」
「特に無いわね」
「じゃあ2択で聞くなや!」
「ははは。ごめん、ごめん。アキラくんは厳しいなあ」
課長の表情に反省の色は見られない。
「冗談はこれくらいにして……」
ついに仕事の話かと思い、メモの準備をする。
「……ヨシノちゃんを、しばらく面倒みてあげてほしいの」
何をメモすべきか混乱し、手が動かない。いつもは端的な指示で分かりやすいが、今回の課長の発言には情報が乏しすぎる。
「ヨシノさんの面倒ですか?」
単語を拾って返すことしかできない。
「そうそう。もう少し説明するわね。一緒に入ってきた女性は見た?」
「はい。帯剣してましたね」
「彼女はヨシノちゃん。今年度の冒険者管理庁の採用者」
冒険者管理庁は冒険者ギルドを所管する組織で、通称ギル庁。名前が長いので、俺達はたいていギル庁と呼んでいる。
「I種の武官で試験区分は剣技。だから帯剣が許されてるわ。東都大学武闘学部では主席で、公務員試験の成績も最上位」
I種職員、つまりキャリア採用か。激務に心身を捧げ、超速の出世を得るエリート。胸の奥が微かに痛む。
キャリアの試験に受かるだけでも才媛だ。しかもキャリア試験の合格者は各省庁で更に個別の官庁訪問で面接や実技を経て採用されるので、実際にキャリアとして就職するのは試験合格者のうちの一握りだけだ。
「東都大学武闘学部だと学生の間から実技の実習としてギルドの依頼を多数こなし、卒業生のほとんどは冒険者になるものだと思っていました」
「そうね。武闘学部の学生はギルドでもお得意様だからね。彼女も学生時代にS級まで上がったらしいわ」
「学生時代にS級とは尋常じゃないですね。数年に一人出るか出ないかでしょ」
「稀有な存在だったのは確かね。『暁の一閃』の通り名は聞いたことあるわよね」
噂では聞いたことがある。ソロでS級となった赤髪の剣士だと。S級となれば、本店での依頼が中心になるので、チョーダ局での接点は無かった。
「なおさら冒険者を続けるのが既定路線じゃないんですか?」
「惜しむ声は大きかったようよ。ただ、何事にも原則と例外があることをアキラくんは知ってるわよね」
課長は微笑みつつ、俺を見据える。
「そもそもギル庁がキャリアの武官を採用してたのを知りませんでした」
俺は少々話題を転換する。
「前衛職だけね。ただ、毎年採用してるわけじゃなくて、良い人がいれば採用するという方針で、2、3年に1人くらいの採用らしいわ」
だから自分はチェックしていなかったのか。
「そんなキャリアが、なんでこんな地方局に来るんですか? 普通はスミガセの本店で勤務でしょ。特に若いうちは」
「それは私が若くないということかしら?」
確かに。俺の言い振りでは、アオイ課長もキャリアだから、地方局にいる時点で若くないということになってしまう。
「何事にも例外はあるということで」
「そう。私もヨシノちゃんもその例外ということ」
「その例外的事情とやらを教えていただけますか」
「あまりに早く出世しすぎて、見た目の成長が追いつかないまま課長を襲名しまして。それで若さの秘訣は半身浴とホットヨガを……」
「そっちやのうて、聞きたいのはヨシノさんの事情や!」
いつまでも課長のペースに乗せられるわけにもいかない。
「あら、マニア垂涎の極秘情報なのに。残念」
「私はコンサバなので、ヨシノさんの情報を教えて下さい」
「やっぱりヨシノちゃんが気になるわけ。隅に置けないわね。スリーサイズは上から9……」
「何でそんなん知ってんねん!」
確かに気になる情報だが。
「冗談はこれくらいにしてと」
「それ、さっきも聞きましたよ」
「厳しいなー。月曜朝のアイドリングじゃない」
「私の堪忍袋がオーバーヒートで焼ききれる前に、本題に入ってください」
「はいはい。ヨシノちゃんも、他の事務官や技官のキャリアと一緒に研修を受けてたわ。今月、スミガセの監察部に配属されて、デスクワーク半分、実地調査半分で働いてたのよ。で、彼女、戦闘以外のセンスが皆無だったの」
ひどい言い草だ。
「監察部の仕事の中で、違反冒険者の鎮圧や威力偵察なんかは活躍してたんだけど、報告書の作成や内部調整はてんでだめ。あと、監察案件でも多いのは、セクハラ、パワハラやお金がらみじゃない。そういうのも全部暴力で解決しようとするらしいわ」
「どう考えても、ギル庁というか公務員に向いてませんよね」
「『剣技があれば何でもできる』が口癖らしいわ」
「ダー!! 才能を活かすには冒険者になった方が良かったんじゃないですか?」
「その辺りの動機は本人に聞いてちょ」
「で、ヨシノちゃんに戦闘以外の経験を積んでもらうために、このチョーダ局で研修することになったというわけ」
「これ増員じゃなくて、負担の押し付けですよね。何でスミガセで研修しないんですか?」
キャリアの幹部はいつも机上の空論で、足元のドブさらいは地方局と支部に丸投げだ。
やっと理解した。いいニュースが増員で、悪いニュースはその増員がポンコツということだ。
「なぜチョーダ局かって? 美貌と人望を兼ね備えたアオイちゃんを擁するここチョーダ局に、白羽の矢が立ったというわけで」
「投げた匙が運悪く当たったんでしょ」
「うまいこと言うわね。まあ、スミガセには窓口業務が少ないから、近場のチョーダ局で研修するのは自然な流れよ」
「分かりました、というか既に決定しているんですよね」
「そういうこと。スミガセの監察部に籍を置いたまま、チョーダ局で研修する扱いよ」
「何をやらせればいいですか?」
「アキラちゃんの業務を全部やらせていいわよ。あと、窓口業務は色々と経験させてあげて」
「困ったら、美貌と人望を兼ね備えたアオイ課長に相談して」
自分で言って気に入ったようだ。
「行き詰まったら粗暴と陰謀も併せ持つアオイ課長を頼ります」
「4翻。もう少しで満貫確定ね」
「藪から棒も加えてください」
「これで5翻。満貫だわ。キリもいいし、顔合わせをするから表のヨシノちゃんを呼んできてくれる」
「分かりました」
踵を返し、扉のノブに手をかけようとする。
その時、課長が声を掛ける。
「最初は負担もあるだろうけど、良い子だから面倒見てあげて。それに……」
課長の眼差しが鋭くなり、瞳の奥に淡い光が宿る。美貌の課長もあながち誇張ではない。
ポンコツの局長に代わって、チョーダ局を実質的に仕切る手腕には人望も付いてくる。俺を馬車馬のように働かせつつも、家庭の事情には配慮してくれる。
「ヨシノちゃんとアキラくんは、相性いいと思うよ」
その根拠が気になりつつも、苦笑いを浮かべただけで、俺はノブを回して扉を開ける。