first day
「せっかくここまで来たのに、雨だなんてサイアク」
「しかも何、この長い坂!」
梨花と友美が坂道の先を見上げてうんざりとしながら言う。
でも、確かに・・・雨でこの坂はちょっとキツイ。
もともと体力のない私にはなおさらだ。
会社の仲良し3人組で3泊4日の沖縄旅行。
最後の1泊、わざわざ本島を離れてこの小島にやってきた。
海がすごく綺麗なところだけど、
あまりにも何もないから、ダイバーもあんまり来ないらしい。
だけど大のダイビング好きの梨花と友美が、
どうしても一度ここの海に潜りたいって言うから、来たんだけど、
あいにくの雨。
しかも小雨とかじゃなくって大雨だ。
海もにごってて、ダイビングはとてもじゃないけど無理そう。
もっとも私はダイビングなんてできないから、
元々この島では一人でのんびりするつもりだったけど。
「あ、あの看板!」
梨花が指をさした先には、「青山民宿 こちら」の文字が。
私達が今夜泊まるところだ。
矢印に従って、私達は坂道を左に曲がり、
ようやく平坦な道に入った。
更に歩くこと5分。
「民宿」というより、本当に普通のお家みたいな「青山民宿」に辿りついた。
でも、普通のお家と言っても東京の一戸建てみたいなこじんまりした2階建てとかじゃない。
大きな平屋造りのお家だ。
「すみませーん!」
友美が玄関から大きな声で叫ぶと、すぐに中から返事がした。
「はいはい。あら、あなた達、今日ここを予約してくださった東京の方かしら?」
「はい!」
50代くらいの優しそうなご夫婦がニコニコと出迎えてくれた。
「わざわざこんなところまで来てくれたのに、雨だねえ。
でも、明日は晴れるみたいだから、今日はゆっくりしていってね」
「はい。お世話になります」
10畳くらいの和室に通されると、
奥さんがすぐにお茶と手作りのお菓子を持ってきてくれた。
そのあまりの美味しさに、梨花も友美もすぐにご機嫌になった。
「天気ばかりはしょうがないもんね。今日はここでゴロゴロしようか」
「そうねー。ちょっと旅の疲れも出てきたし」
「・・・私はちょっと散歩に行ってこようかな」
私の言葉に二人が驚く。
「この雨の中?大丈夫?」
「私、元々ここでは散歩したりしようと思ってたし。沖縄の小島の雨っていうのも、
なかなか風情があるじゃない?」
「そうだけど・・・気をつけてね」
「うん。いってきます」
私は再び玄関に向かい、靴を履いた。
「お出掛けかい?」
ご主人が私に気づき、声をかけてくれた。
「はい」
「その折り畳み傘じゃ濡れないかい?こんなんでよければ貸してあげるよ」
そう言って持ってきてくれたのは、昔なつかし、こうもり傘。
すごーい、本物見るのは初めてかも。
でも、確かに大きいからこれなら濡れない。
「いいんですか?お借りしても」
「いいよ、いいよ」
ご主人は優しい笑顔で私にこうもり傘を持たしてくれた。
玄関を出て、傘を開く。
うわ。本当に大きい。
こんなおっきくて真っ黒なこうもり傘、
東京じゃ恥ずかしくてとてもじゃないけどさせない。
でも、ここでは気にならない。
「旅の恥はかき捨て」だからじゃなくって、
この傘はこの島の雰囲気にとても合ってる気がするから。
逆にさっき私がさしていた、かわいい折りたたみ傘は、
ここには似合わない。
私はさっき来た道を戻り、またあの坂道にぶつかった。
右は下りになっていて、船着場に通じる。
じゃあ、左の上りはどこに通じてるんだろう?
私は道を左に曲がり、坂を上り始めた。
雨と土の匂いがする。
東京の雨は焦げたアスファルトの匂いしかしないから、
なんだか落ち着く・・・
生まれも育ちも東京の私が、
来たこともないこの島で「落ち着く」って言うのも変だけど。
10分ほど歩くと、坂道のてっぺんに着いた。
そこからは・・・
「すごーい・・・海だあ」
広い広い海が一望できた。
晴れていたら物凄く綺麗な景色なんだろう。
でも、雨の海って言うのも、なかなかいい。
私はしばらく海を眺めていたけど、
ちょっと寒くなったので宿に戻ろうと引き返した。
えっと道を曲がって・・・
あれ?
さっきと様子が違う。
道、間違えたかな?
戻ろうかどうしようかと思ってるうちに、
お家にぶつかった。
正確には「お家」ではなく、お家を取り囲むレンガ造りの塀。
正面には門があったけど扉はなく、中が見える。
その塀の中の広い敷地内に、お家が3軒あった。
やっぱり道を間違えたみたい。
戻ろう。
そう思ったとき、どこからか「キーン」と言う音がした。
なに?
振り返ると、さっきの3軒のうちの1軒からその音は聞こえていた。
でもすぐにまた静かになる。
耳を澄ませてると、また「キーン」と鳴る。
何の音だろう?
その音に誘われるように、私はいつの間にか勝手に塀の中に入っていた。
音がする家へ近づく。
大きく開け放たれた窓から中を覗くと、
ガラス細工がズラッと並べられていた。
あ・・・ここ、ガラス工房なんだ。
高校の時修学旅行で行った北海道を思い出した。
でもここは、観光客に見せるための工房とは違うみたい。
もっとも、この島に観光客なんて滅多に来ないだろうけど。
キーン・・・
またあの音がする。
音の方を向くと、黒いTシャツを着た大きな男の人が、
こちらに背中を向けてガラスを打っていた。
私はぼんやりとその人の背中を見ていた。
とっても静かで、
辺りにはその人がガラスを打つ音と、私の傘にあたる雨の音だけがする。
私の気配に気づいたのか、
その人が顔を上げ振り返った。
30前くらいの優しそうな顔つきの人だけど、
ちゃんと立つと本当に大きい。
190センチくらいありそうだ。
150センチくらいの私からは見上げるような大きさ。
その人は、私と目が合うと驚いたような顔をして近づいてきた。
あ。
勝手にここまで入ってきちゃったから怒られるかも。
私は我に返って、焦った。
「ユウ!?」
え?
「あ、は、はい」
「え?」
「え?」
私達は顔を見合わせてしばらく呆然としていた。
でも、ようやくその人が、「ああ・・・」と言った。
「ごめん。知り合いと似てたから」
「いえ・・・でも、どうして私の名前知ってるんですか?」
「え?ユウって言うのか?」
「はい。悠奈って言います。白木悠奈」
するとその人はまた驚いたような顔をした。
「見た目も似てるけど、名前も似てるな」
そう言ってその人は微笑んだ。
私はその笑顔から目が離せなくなった。
「あの・・・ご迷惑じゃなかったら、ここで見ていていいですか?」
「え?ああ、いいけど。退屈じゃないか?」
「いえ」
「じゃあ、中に入っていいよ。濡れるから」
「・・・すみません。お邪魔します」
私は建物の中に入り、邪魔にならないように端っこの方に座った。
その人はすぐに作業に戻った。
私は真剣にガラスに向き合うその人をじっと見ていた。
でも、いつの間にか私の視線はその人の手元に移っていた。
あんな大きな手なのに、なんて器用なんだろう。
まるで手品みたいにガラス細工ができていく。
きれい・・・
私は時間が経つのも忘れて、その手に見とれていた。
「えっと、白木さん?」
「は、はい」
突然その人に声をかけられて我に返った。
「腹へらない?」
「え?」
腕時計を見るともう1時だった。
「あ・・・そういえば・・・」
その人は、あはは、と笑った。
「なんか食いに行こうか」
「いいんですか?」
「ああ。白木さんって、この辺じゃ見ないね。観光客?」
「はい」
「うーん。じゃあこの辺の料理を食べさせてあげたいけど、
この島は本当に何にもないからなあ。普通の定食屋とかだけどいい?」
「はい。なんでもいいです」
私達はちょっと小降りになってきた雨の中を並んで歩いた。
「どこから来たの?」
「えっ・・・青山民宿です。でも迷子になったみたいで」
「迷子!?」
その人が驚く。
「こんな小さな島で迷子なんて始めて聞いた」
私は思わず赤くなる。
「それに、俺、そういう意味で聞いたんじゃなんだけど・・・」
「え?」
「どこから、沖縄に来たの?って言う意味だったんだけど」
「・・・」
私はますます赤くなって俯く。
「あはは。面白いな、白木さんって」
「どうも・・・」
「ははは、どうもって」
普段から口下手な私は、こういう時、なんて言っていいのかもわからない。
とにかく聞かれたことに答えよう。
「あの・・・東京から来ました」
「東京?そうなんだ。俺も東京から来たんだよ」
「え?ここの人じゃないんですか?」
「3年前に東京からこっちに来たんだ」
「そうなんですか・・・あの・・・お名前聞いてもいいですか?」
「俺?藤城」
「藤城さん・・・」
私と藤城さんは、近くの小さな定食屋さんに入った。
「うーん、何にしよう」
「今日はゴーヤがオススメだよ」
お店の女の人がメニューを指差して、藤城さんに言う。
「オススメ、ってことは、それしかないんだな?」
「この雨だからねー。仕入れが大変で」
「面倒なだけだろ・・・」
藤城さんはため息をつく。
私は思わず笑ってしまった。
「白木さん。ゴーヤ食べれる?」
「・・・食べたことないです」
「食わず嫌い?」
「いえ。そういう訳じゃないですけど」
「食べてみる?」
「あ。はい」
食べれるか自信なかったけど、
それしかないなら仕方ない。
せっかく沖縄に来たんだし。
しばらくすると、さっきの女の人が、
ゴーヤチャンプルーを持ってきてくれた。
「・・・おいしい!」
「そう?よかった」
藤城さんが微笑む。
よかった。
本当においしい!
もっと苦いかと思ってたけど、全然苦くない。
苦くないって言うか、この風味がまた美味しい。
予想外の美味しさに、私は夢中になって食べていた。
「・・・な」
「え?」
「いや。うまそうに食うなーって思って」
「あ・・・すみません」
「あはは。どうして謝るんだよ」
「いえ・・・」
私ってば、勝手に黙々と食べちゃって。
恥ずかしい・・・
藤城さんは私をじっと見た。
もしかして・・・
「あの・・・」
「何?」
「さっき言ってた『ユウ』さんって人も、おいそうにご飯食べる人だったんですか?」
藤城さんはちょっと目を見開いた。
でも、またすぐに笑顔に戻った。
「うん・・・そうだな。うまそうに食う奴だったよ」
「・・・」
私は黙って俯いた。
「でも、白木さんは顔とかはユウに似てるけど、中身は全然違うなー」
「・・・そうなんですか?」
「うん」
懐かしむような表情の藤城さん。
その目は優しい。
私は黙ったまま箸を動かした。
もう何も味はしなかった。