深紅の貴婦人 ~継母に金のピンで両目を潰されて愛する王子を妹に盗られた私はそれでも世界を赦したい~
1
「嫌な目だ、あの女の目と同じ色の目、こんな目はっ、こんな目はっ!!」
「やめて、やめてっ!! お義母さまっ!」
金色のピン。
実の母に買って貰ったピンが視界いっぱいに広がり、そして爆発したような激痛が右目を襲い、私は絶叫した。
「もう一方の目もだよっ!!」
「やめて、やめてっ、やめてーっ!!」
お義母さまは私の髪を掴み左目にもピンを押しつける。
再び激痛が私を襲った。
悲鳴を上げながら私は絨毯の上を転げ回る。
「うるさい、黙れっ、クズめっ!! 事もあろうに妹が恋い焦がれているアドリアン王子に色目を使って横取りしようだなんてっ! やっぱりお前はあの女の娘だよっ」
目が、目が見えないっ!
目の前が真っ赤だわっ。
手にだらだらとねばついた液体が流れる感触。
血だわ、こんなに血が!
「ご、誤解ですっ、アンドリアンさまは私に先に声をおかけになって……」
「黙れというんだっ!! お前の話なんか聞きたくないっ!!」
お腹に衝撃が何回も発生した。
激痛で私は咳き込んだ。
痛い痛い痛い痛ーーいっ!!
お義母さまは荒々しい足音を立てて私の部屋を出て行った。
誰も居ない部屋の床に倒れて私は苦痛にもがき苦しんだ。
「誰かーっ、誰か助けてーっ!! 医者を、お医者さまをーっ!!」
喉がひりつくまで叫んでも誰も来てくれなかった。
私に同情的だった古くからの家令も、女中も、誰も来ない。
お義母さまに蹴られた脇腹が痛い。
目からの血が乾いてぼろぼろと落ちる感覚。
焼け付くような両目の痛み。
――どうしてどうして、私が何をしたと言うの、こんな目に遭わなくてはならないほどの罪を犯したというのっ。誰か、誰か助けて下さいっ、女神様、哀れな僕をどうかお助け下さい。お願いします。お願いします。
誰かが助けてくれるよう女神に祈った。
痛みに体をくねらすようにして耐えながら祈った。
誰も来なかった。
悶絶する痛みで何度も気を失いそして痛みで目を覚ました。
悲鳴を上げ続け喉がガラガラになり咳き込んで血を吐き口の中が鉄の味で一杯になる。
誰かが入って来た。
「お願い……、助けて……、死んでしまう……」
「いい気味ね、メリーお義姉様、あっはっはは」
妹のローリエだった。
もう綺麗だった彼女の栗色の髪も、良く動く綺麗な目も私には見えない。
姉妹仲は悪くは無いと思っていた。
お義姉様お義姉様と懐いてくれているとばっかり思っていた。
「どうして、どうしてこんな事をするのっ、私が何をしたというのっ」
「お義姉様は何もしなかった、だから私たちがこの屋敷の人間全部を味方につけた。お父様は戦死なすってから一ヶ月、泣いてばかりいたお義姉様が馬鹿なのよ」
「助けて、助けてくださいっ、私が邪魔なら修道院でもどこでも行きますから、だから、助けて、目が、目が痛いの……」
「あはははは、おまえはここで苦しんで死ぬのよ、それがお母様と私の願いだわ」
「どうしてっ!! どうしてっ!!」
私には解らなかった。
お義母さまは品の良い貴婦人で、義妹は美しくて可愛くて自慢の妹だったのに。
どうしてこんな酷い事をするの?
「お人好しのあなたを見ているとイライラするの。さぞや自分が善良だと思って私たち親子を見下していたんだわっ。本当に反吐がでるぐらいあなたが嫌いよ」
「そんな事って、そんな事って……」
「血の涙を流して床に這いつくばって苦しむメリーお義姉様を見ると心が晴れ晴れとするわ、ざまあみなさい」
「あああああああっ!!」
「お前から全てを奪うわ、屋敷も、財産も、恋しい王子さまも、全部私の物よ、あっはっはっはっはっ!!」
可愛いと思っていた義妹は悪魔だった。
優しいと思っていた義母は悪魔だった。
私からなにもかもを奪っていくつもりなんだ。
「め、女神さまの罰があたるわ……」
「当たらないわっ!! 馬鹿ねっ!! この世に正義なんか無いんだっ!! 食うか食われるかの浅ましい世界なんだっ!! お前は惨めな敗残者で、もう何一つ出来ない負け犬なんだっ!! 泣け、わめけっ!! お前が死んだら死骸は野良犬に喰わせてやるっ!! ざまあみろっ!!」
げらげら笑いながらローリエは去っていった。
ドアが閉まる音がした。
眼が、眼が痛い。
視界の中は真っ赤な闇だった。
ああ、ああ、なんという事だろう。
ああ、でも、それでも、私は、私は義母と義妹を許さないと……。
憎しみを抱いても何にもならないから……。
女神さまが居るわ。
こんな不正はきっと許されない。
そして王子さまが助けに来てくれる。
誰かがきっと助けてくれる。
こんな不正義が許される訳が無い。
女神様、女神様、お助け下さい。
しばらく時間が経った。
女中たちが部屋に入って来て、私の物を盗んでいった。
お水を頂戴とお願いすると罵声を浴びせられて何かの棒で殴られた。
私が悲鳴を上げると、あざ笑いながら女中たちは部屋を出て行き鍵を掛けた。
外に出られない。
水も飲めない。
食べる物も無い。
眼が、眼が痛い。
助けて助けて。
赤い闇の中にいる。
どれくらいの時間が経ったか解らない。
ほんの一瞬のようにも、永遠に長い時間のようにも感じる。
眼の激痛と体の痛みだけが私に残った最後の持ち物だった。
全てを奪われた。
全てを奪われた。
憎い。
でも駄目、許さないと。
憎い。
駄目。
憎い憎い憎い。
世界の全てが憎い。
戦死したお父様も、酒場女のくせに後妻に入った義母も、心が腐っている義妹も。
みんなが憎い。
駄目よ。
許さないと……。
眼が痛い。
喉が渇いた。
お腹が空いた。
眼が痛い痛い痛い。
どれだけの時間が経ったのか解らない。
激痛と気分の悪さ、吐き気。
酷い匂い。
惨めな気持ち。
助けて、誰か助けてっ!!
誰か、この赤い闇から私を助け出してくださいっ!!
微かに声が聞こえた。
耳鳴りが酷いけれど、確かに聞こえた。
王子さまの声だっ!!
「とても素敵な屋敷ですね、趣味が良い」
「お恥ずかしい、小さい家ですわよ」
私は立ち上がった。
足がバラバラになるような激痛が走る。
両手でガラス窓を思い切り叩く。
ガラスが割れて手が切れた痛みを感じる。
「助けてーーっ!! 助けてーー!!」
私は絶叫した。
王子さまなら助けてくれる。
邪悪な妹から助け出してくれる。
きっと、義母も懲らしめてくれる。
私は窓を叩きつづけ、しわがれた声で助けを呼ぶ。
「……、な、なんだい、あの老婆は……」
「あっ、えっ、えーと、親戚の者ですの、すっかり気が触れてしまって、ご、ごめんなさいね、 アンドリアンさま、見苦しい者をお見せして、今日はお帰りになって」
「そうだね、今日は帰るとしよう、ローリエ」
どうしたの、どうして私に気が付いてくれないのっ!
私は狂ったように窓を叩き絶叫する。
ドアが荒々しく開く音がした。
「まだ生きていたのかいっ!! なんて生き汚いんだっ!!」
「ここから出してーっ!! 助けてっ!! 助けてーっ!!」
「死ねっ!! 早く死ねっ!!」
ひゅっと風鳴りがして頭に衝撃が走り、私は床に転倒した。
「早く死ねっ!! 死んでしまえっ!! お前は生きていてはいけないんだっ!!」
絶叫しながら義母は私に激しい打撃を加える。
そのたびに新しい激痛が生まれ、私は床を転げ回る。
「助けてっ!! 誰か助けてーっ!!」
『ああ、今助けるよ』
柔らかい女の人の声がした。
2
「誰?」
「聖女」
聖女さま?
どうしてここに。
そういえばお義母さまの気配が無いわ。
あたりはシンと静まりかえっている。
聖女さまの気配だけがする。
日が差しているのかしら、すこし暖かい。
そういえば痛みも無いわ。
「眼が見えないのか」
「つ、潰されて……」
眼の痛みも無かった。
手の平が両目の上に乗せられた感触があった。
『エクスヒール』
視界が戻った。
ああ、綺麗な人。
聖女さまは、悪戯っぽそうな顔をした中年女性だった。
「ありがとうご……」
手が、透けている。
私の手が。
下を見る。
私は裸で足も腰も透けていて、床が見え……。
部屋を見回した。
荒れ果てた私の部屋。
ベットが朽ちてぺしゃんこになっていた。
床は埃だらけで、壁が崩れて外が見えた。
庭園は無く、木々は枯れ果てて荒野のようになっていた。
隣家どころか街が無かった。
全てが荒野になっている。
「わ、私は死んだの?」
「とっくの昔に」
あの時、私はお義母さまに殴り殺されたのね。
「お義母さまは、妹はどうなったの……」
「死んだ」
「王子さまは?」
「死んだ」
「私が死んでから何年経ったの」
「百年ほど」
私を殺しておいて、幸せに死んだのね。
憎い憎い憎い憎い。
紫色の力が地の底から湧いてきて私の体を包みそうになった。
聖女さまは一歩踏み出して、手でその力を祓った。
「私を無残に殺しておいて、その報いも受けないで死んだのね……」
「いや、君が呪殺したよ」
え?
私が?
そんな記憶は無い。
「ゴーストに脳は無いからね、記憶できないんだ」
私が祟り殺した?
でも、そんな、私は赦さないと。
「ど、どんな悪人でも赦しなさないというのが、女神さまの教えなのに……」
「ああ、それでか、その教えが呪いを増幅したんだね。なるほどね」
「増幅?」
「最低の悪党を許すなんて人間には無理だよ。無理な事を願ったせいで呪いが増幅されたんだわ」
「人を憎んで良いの? 赦さなくても良いの?」
「メリー、君は一つの事を信じたら堅く守るたちだね。信心深い人には多いな」
「聖女さまは悪人を赦さないの?」
「罪人を赦すのは女神様の仕事で、私の仕事じゃないわよ、わりとムカつくとぶっとばす方だよ」
まあ、聖女さまなのに変わったお方だわ。
彼女は朽ちかけた椅子に座った。
「君が殺されてから、この国で何が起こったか聞きたい?」
「聞きたいわ」
聖女さまはニッと笑って話始めた。
3
最初はやつれた女中が教会に泣きついて来たんだ。
死んだお嬢様の幽霊が毎晩出るって、神父さんに告白をした。
神父さんは告解を聞き、伯爵令嬢メリーの冥福を祈り昇天を願った。
祈りむなしく、女中は狂って死んだ。
そして、他の女中たちも執事たちも狂い死んだ。
街の人々は訝しんだよ。
何か悪い事が起こってる気配があったからね。
さて、君の妹は王子の気持ちをがっちり掴み、無事、王妃の座に座った。
たいへん豪勢な結婚式だったらしい。
母親はあちこちの豪商や役人に口利きをして賄賂を貰い肥え太った。
たぶん、この頃がこの家の一番成り上がった時点だろうね。
この屋敷から、母親と妹は王宮へ引っ越していった。
売りに出されたこの屋敷を買った家族が全員、原因不明の病で死んだ。
屋敷には幽霊が出ると噂になった。
庭から白骨死体が掘り起こされた。
街の人達は行方不明だった君の事を思いだした。
妹を王妃にするために、母親が君を殺したのだと推察した。
白骨死体は教会に持ち込まれ、葬儀がしめやかに行われた。
母親と妹にも知らされたが、彼女たちは黙殺した。
さすがに王妃様になった妹さんに街役人が詰問できる訳も無く、ただ呪いを封じるために葬儀は行われた。
だが、呪いは解けない。
この屋敷の両隣の住人が死んだ。
バタバタと街の人間が謎の病で死んでいく。
この屋敷を取り壊そうという計画もでたのだが、業者が工事をしようとすると、不吉な事故が起こり人死にが出る。
エクソシストを雇ったり、君の骨を祠に祀ったり、ありとあらゆる方法が試された。
だが、呪いは解けない。
そのうち、街の半分ほどが、死んだり、移住したりして居なくなった。
凄まじい呪いに住人は青くなった。
次は自分の家族が死ぬかもしれない。
自分かもしれない。
それも、王妃のわがままな欲望のせいで。
住人は王府におそれながらと訴えた。
訴人は王妃の怒りを買い、刑死させられた。
街の住人達は怒り狂った。
そして暴徒となり王城へと詰めかける。
その頃の王は、王妃の事が好きでは無くなっていたらしい。
彼は暴徒に王妃と母親を渡した。
彼女たちはこの屋敷の庭で暴徒によってなぶり殺された。
「これでどうか許して下さい、昇天なさってください、あなたのご無念は我々が代わりに晴らしました。どうかどうか、もうお怒りをお鎮めになり、天へと昇ってください」
と、住民達はむごたらしく殺した母親と妹の死骸を君の祠に捧げ祈った。
この屋敷のこの部屋の窓に真っ赤な影のような女の姿が現れた。
窓を叩いていた。
そして消えた。
住人は固唾をのんで呪いが消えたかどうか怯えながら待った。
そして一ヶ月後、また呪いで人が死に始めた。
人々は恐怖した。
聞けば他国に移住した元住民の元にも真っ赤な影の貴婦人が現れたという。
王国の別の街にも深紅の貴婦人が現れて人を呪い殺していた。
そして国民は気が付いた。
あと一人、深紅の貴婦人を裏切った人間が生きてる事を。
王国中の国民が蜂起した。
何万人もの暴徒が王城を包み、城壁を越え、庭園を踏み潰し、玉座に向かう。
王は恐れて逃げようとしたが、貴族に裏切られて暴徒に捕まった。
彼は豚のように縛られ、この屋敷のこの窓の下で生きながら火あぶりになった。
その時、この窓に深紅の貴婦人が現れて焼かれて死んで行く王を見て嗤ったという。
国民は安堵した。
これで深紅の貴婦人も満足して昇天してくれる事だろう。
きっと、元通りの豊かで平和な王国に戻れると。
深紅の貴婦人はまた現れて人を呪い殺した。
呪い殺した。
ある貴族は他国に逃げた。
馬車を追いかけてきた深紅の貴婦人に殺された。
何十年もかけて、この王国だった場所は誰も住まない廃墟となり、ただ、深紅の貴婦人だけが誰も居ない街を彷徨っているという。
4
「という事だよ」
「……、私はまだ未婚なのに貴婦人だなんて」
「そこ? まあ、呼称とはそういう物だよ」
そうか、復讐はなされたのか。
なんだか全然実感が無い。
みんな死んだのね。
関係のある人も無い人も。
王国全体を私が呪い殺したのか……。
「納得した?」
「実感が無いわ」
「それはそうだろうね、君は覚えて無いのだし。呪いと言っても自発的なものじゃなくて現象のようなものだし」
「あなたはどうしてここに来たの」
「深紅の貴婦人の噂を聞いて助けに来たんだ」
「……」
「何回も何回も、死ぬ瞬間までの苦しみを味わうなんて、地獄その物だからね」
そうか、さっきまでの体験は魂に刻まれた記憶だったのね。
私は永劫にお義母さまと妹に殺され続ける所だったのね。
「助けてくれるの、一国を呪い殺した私を」
「別に好きで呪いになった訳じゃないだろうしね」
「私は地獄へ行くのね」
聖女さまは上を指さした。
「魂は汚れを捨て、天に昇り、太陽で浄化される。地獄も天国も無いよ。また生まれ変われる」
「全部忘れてしまうのね、辛かった事も、幸せだった事も」
「大体ね、少しはうっすら残る。たぶん来世で君は、食いしん坊で猜疑心が強く、愛に飢える子になる事だろう」
「まあ、それは嫌な女の子ね」
「うん、でもそうやって魂は育っていくんだ」
「ああ、罪人を赦すというのは……」
「そう、浄化されて、全部忘れるから、勝手に赦されるんだよ、無理して人が赦す必要もないよ」
「そうだったのね」
私はため息をついた。
「空に送ってください、聖女様」
「うん、いいよ、良い旅を」
聖女さまは立ち上がり、腰から短い蓬莱刀を抜いた。
スコンと刀を床に刺し、朗々と祈りの言葉を詠唱しはじめた。
「呪われた深紅の貴婦人、メリーの魂を女神様の御許へお送りいたします。存在の限界までの苦しみ悲しみをお救いください、そして罪を浄化し清い存在として天にお迎え下さい」
床の刀が光り始め、光が渦になって私の周りを廻る。
ああ、綺麗だな、暖かいな。
無意識に私は両手を握り合わせていた。
「全ての迷いを捨て、悲しみも喜びも、愛も憎しみも、全てを脱ぎ捨て、根源として、あるがままの姿に戻れ」
聖女さまが祈りの聖句を唱えると光が竜巻のように動いて私を包み込んだ。
私の輪郭がぼやけ始め、呪いの瘴気がはじけ飛んで行く。
「光の空に祝福を」
聖女さまが天に向けて両手を開いた。
体が浮いて私はぐんぐんと空に向かって飛んで行く。
ああ、光に包まれる。
暖かい。
暖かい。
そして、私は死んだ。
悲しくは無かった。
とても軽い、羽のように心が軽かった。
ありがとう、聖女さま。
5
「エイダ、終わった、庭に来て」
私は胸につけたブローチに声をかけた。
【了解です、マスタービアンカ】
エイダが返事を返す。
さて、終わった終わった。
これでこの地の呪いは自然にほどけて行くだろう。
五十年もすれば新しい村が出来るだろう。
私は窓の残骸から顔を出して空を見上げる。
あれだけの呪いだ、浄化が終わるのはマリア……、いやマコトの頃かな。
あとは頼むよ、後輩。
飛空艇が庭に下りてきた。
さあ、はやくホルボス山に帰ろう。
(了)
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注:蓬莱はこの世界の日本、蓬莱刀は日本刀の事。