>> 前編
自分が転生していると気付いたのは義弟が出来た時だった。
父に連れられて初めて来た家で新しい母と姉だと紹介された人の前で緊張した顔でぎこちなく紳士の礼をして「エリク……バラディナです」と自己紹介する小さな少年のサラサラとした薄茶色の髪とその前髪から覗く宝石の様に赤い瞳を見た時に
『エリク・バラディナで義姉がリゼリーラ・バラディナなんて私が好きだった乙女ゲームの登場キャラみたいじゃない……………ん?乙女ゲームのキャラ????』
頭の中に疑問符が飛び散りまくっていたのに一切表の顔には出なかった自分を今でも自慢に思っているわ。
わたくし、リゼリーラ・バラディナ。
バラディナ侯爵家の長子として生まれ、3歳にしてこの国の第一王子の婚約者に選ばれた娘。宝石の様に輝く赤い髪と太陽の様に煌めく橙色の瞳を持つ類まれなる美貌を持つ女。
乙女ゲームの世界でヒロインを徹底的にイジメ、そのヒロインを庇い守る攻略対象者たちに更に嫉妬して悪意を燃やし、ヒロイン憎しで悪魔法に手を染めてラスボスと化し最後は魔力の使い過ぎで死ぬ悪役令嬢。
そんなリゼリーラ・バラディナというキャラの外見イメージそのままの姿形の名前リゼリーラ・バラディナなわたくしが乙女ゲームの世界に転生してない訳ないよね?(°Д°)
大好きだった乙女ゲーム。
ヒロインは平民から男爵令嬢になった聖女という王道も王道。はっきりばっちり悪人でしかない悪役令嬢のお陰で可憐で優しいヒロインとそのヒロインを守る攻略対象者たちを『いや不貞だろ?』なんて野暮なツッコミが入る事もなく、プレイした人全員が攻略対象者とヒロインが結ばれて良かったと思うストーリーに出来上がっていた。わたくしもその王道展開と心底ムカつく悪役令嬢をボス戦でぶっ倒す爽快感が堪らなく好きだった。……まぁ今はその『心底ムカつく悪役令嬢』に自分がなってるんですけどね。
自分の前世の事は、まぁどうでもいいでしょ。劇的な人生を送った訳でもないので。
そして前世の記憶を思い出したからといって、別に慌てる事もない。
だってわたくしにはいままでこの世界で生きてきた記憶があるのだし。前世が違う世界だったというだけで、この世界の事を少し知っているというだけで、未来に起こるかもしれない展開が分かっているかもしれないというだけで……わたくしがわたくしでなくなる訳ではないのだから、特段慌てる事があるようにも思えない。
わたくしが『悪役令嬢リゼリーラ・バラディナ』だったとしても、『前世を思い出したわたくし』は既に『乙女ゲームの中に登場したリゼリーラ』ではなくなってしまったので、未来が“前世で知っている乙女ゲームのストーリー通り”になるかなんて分からなくなっている。
そしてわたくしは『わたくしが嫉妬に狂って暴れる』様な人物ではないと自覚しているので、乙女ゲームの舞台となる学園に入学したところで『乙女ゲームの展開』にはならないだろうと思う。
だって……ねぇ?
自分が死ぬと分かっている事をやるなんて馬鹿のする事じゃない???
と、言う訳で、わたくしはわたくしのままで、わたくしのやる事をやりながら義弟が出来てからの3年間、王子妃教育や魔法教育や礼儀作法でぎっちぎちのスケジュールを熟しながら、遂に15歳となり、乙女ゲームの舞台となる王立貴族学園へと入学したのでした。
◇ ◇ ◇
「きゃぁ!痛いっ!」
今日も今日とて聞こえる可憐な乙女の悲鳴。
桃色のパステルピンクの長髪を揺らしながら一人の少女が床に倒れている。
場所はわたくしから離れた、それでいてわたくしが見えるところ。
ピンク髪の少女が倒れている横では困惑した顔の女生徒が心配そうに声を掛けている。
「……だ、大丈夫?」
「っ……、だいじょうぶです……わたしが……悪いんですよね……っ!」
横から手を差し伸べてくれた女生徒の手を無視してピンク髪の少女は走り去っていく。手を差し出した体勢のまま、女生徒は驚き困惑した顔をして固まっている。
その女生徒の友人が心配して声を掛けた。
「どうしたの?」
「……分からないわ……後ろで声がしたと思って振り返ったら足元で倒れて居られたから声を掛けたのだけれど……」
「なんか嫌な感じだったよね……」
「わたくし……何かしてしまったのかしら……?」
女生徒は不安げな顔をして友人と会話をしている。
同じような会話を聞くのもこれで3回目。どれも「後ろで声がしたから振り返ったら倒れていた」というもの。
「……また……ですの?」
わたくしの友人であるチルノ・ゼネザ伯爵令嬢が少しだけ眉間に眉を寄せた表情で騒ぎの女生徒たちに視線を向けながらわたくしに話しかけた。
「えぇ……そうみたいですわね……」
わたくしも彼女と同じような表情をしながらそう答える。
『ピンク髪の女生徒が倒れて走り去る姿』をわたくしとわたくしと共に居てくれる友人たち全員が今のを含めて計3回目見ている。
最初は純粋に驚いた。
貴族の令嬢令息が通う学園で、まず“転ける”という事が無い。マナーとして走らない事が徹底されている貴族社会で『ゆっくり歩いているのに転ける』のは足元に障害物がある時だけだから。学園の廊下や教室に石ころが落ちている訳もなく。
何もないところで転けた彼女を最初みんなが心配した。年頃の娘が一人で歩いていて足がもつれるとか、わたくしなら病気とかを心配する。
転けた彼女は心配するみんなに泣きそうな笑顔で
「だ、だいじょうぶです……わたしが、わたしが悪いんですから……」
と、謎の言葉を残して早足でその場を去った。
『転けた事に誰が悪いとかあるのか?』というのがその時その場に居た全員の気持ちだろう。よく分からない彼女の言動はその後また起こり、そしてさっきの3回目だ。
3回も起こればさすがのわたくしも確信出来る。
彼女も前世の記憶を持っていて、この世界が乙女ゲームを舞台にしており、自分がそのヒロインであると自覚しているのだと……。
◇ ◇ ◇
乙女ゲーム【聖女の愛は真実の愛です♡】のヒロインは学園に入って直ぐにイジメられる。その理由は簡単。
『ヒロインが既に聖女認定をされていて更にその可憐な見た目に令息たちの目を集め、自分が主役じゃないと許せない悪役令嬢の反感を買ったから』
ゲームのヒロインは攻略対象と仲良くなろうがなるまいが悪役令嬢から嫌われるのだ。それなのにそこに輪をかけて悪役令嬢が自分のハーレム要員だと思っている婚約者と婚約者の側近たち(攻略対象)の心を射止めてしまうから更に嫌われる。
学園に居る事すら悪役令嬢から疎まれ、退学させようと人の手を使って陰湿なイジメをされて聖女は追い込まれていく。何故悪役令嬢が実家の権力を使わないのかと思うが……さすがの悪役令嬢も『聖女』を家の力を使って潰す事は出来なかったのかもしれない。
ゲームの中でヒロインは悪役令嬢の手が回っていた同学年の令嬢たちから足を掛けられて転び、背中を押されて転び、机やロッカーに落書きされ、ノートを隠され破られ捨てられ、悪意ある噂を流され、陰口を叩かれ、令息に強引に誘われたり、泥水を掛けられたり……、色々たくさんのイジメを受ける。それを心配した攻略対象者たちに助けられる事で親密度を上げていくのだけれど……逆に考えれば『攻略対象者たちが心配する事が起こらない限りヒロインと攻略対象者たちの親密度は上がらない』という事になる。
現に傲慢な悪役令嬢であるはずのリゼリーラ・バラディナであるわたくしが傲慢ではないのでわたくしの婚約者でありゲームの攻略対象である【第一王子ヘリオッド・ル・ユリゴア】はわたくしととても仲が良く他の令嬢との接触を極限まで避けている。
令嬢を避けている理由は、わたくしが昔
「わたくしが“嫉妬した”と考える前に婚約を解消してくださいませ。わたくしは婚約者に“嫉妬した”と思われる事がもうわたくしを信頼していない証拠、“裏切り”だと思いますので」
と伝えたからだ。
ヘリオッド様は
「リゼリーラ嬢は俺の事で嫉妬してくれないのか……?」
と聞いてこられましたけれど
「そうですね。現段階で恋などしておりませんし、将来“嫉妬して虐める女”などと言われるかもしれないと思うと恋心など湧きませんわ」
と、ちょっと前世の記憶が混ざった返答をしてしまいましたがヘリオッド様は困惑しながらもわたくしからの『恋心が湧かない』という言葉にショックを受けられて、わたくしを惚れさせようと立ち回り、わたくしが絶対に誤解しない様にと女性から距離を取られるようになりました。
そんなヘリオッド様なので、国王陛下から『聖女を気にかける様に』と言われている様ですが頑として自分では聖女に近付かない様にしている様です。
なので前世の記憶のある聖女……ヒロインなら直ぐに異変を感じた事でしょう。
悪役令嬢と聖女と攻略対象者たちは学園で同じ上位クラスに居ます。
ゲームでは同じクラスの聖女が目に見えて虐められていて、それを攻略対象者たちが庇い守る展開になるのですが、そもそも傲慢ではない悪役令嬢に、婚約者以外の令嬢には近付かず笑顔も見せない攻略対象の第一王子と攻略対象であるその側近たち。イジメなんて起きる気配の無い平和な学園生活。攻略対象であり大司教の嫡男であるイルド・ミンディ侯爵令息だけが聖女であるヒロインを気にかけて声を掛けているけど、それも義務的な範囲に留め、イルドもちゃんと婚約者を優先している。
そんな状態なので一度でも【聖女の愛は真実の愛です♡】略して【聖真】をプレイした事がある人ならばおかしいと入学2・3日で気づくでしょう。
そしてゲームではヒロインである彼女は『聖真をプレイしていないと気づく筈のない変化』に気付き、『ゲームのストーリー通りにする為にイジメを自演』し始めた。
これで彼女が『転生者ではない』と思うのは無理でしょう。
乙女ゲームのヒロインである聖女、チャル男爵家の養女ネフィー。
パステルピンクなサラサラな長い髪が特徴の庇護欲を唆る可愛い美少女。
一生懸命ゲームで起きていたイジメを再現しようと頑張っている彼女、ネフィー・チャルが転生者であると確信したわたくしは、ただ流れに身を任せるのを止めた。
◇ ◇ ◇
転生聖女のネフィー・チャルがイジメを自演してるけど、その事にまだわたくし以外の誰も気づいていない。
だって今のところ『突然転けて心配する周りを無視して走り去る』事しかしていないから周りもどういう事なのかよく分かっていないのよね。
彼女的には『足を引っ掛けられて転んだ私』を演じているんだろうけど、『真後ろを向いていた人』の背中側で転んで『真後ろで転ばれた人は全員が驚いて心配して声を掛けている』から、現場に居た人たちも多分全員が『足を掛けられて転んだ』とは思っていないんじゃないかと思う。
でもそれが3回も起こって、わたくしの友人たちも違和感を感じ始めたから、次からその現場を見た人が巻き込まれた人を不審な目で見るかもしれない。
聖女ネフィーは一度も足を掛けられたなんて口にしてはいないから誰にも確証が取れないだろうけど、ただその場に居たというだけでヒロインに成りきった聖女様に絡まれる女生徒が無実の罪で責められるかもしれないと思うと不愉快になってくる……。
わたくしは善人でも何でもないけれど、理不尽に責められる人を見るのは嫌。
それも『自分の望みを叶える為に赤の他人を巻き込もうとする人』に巻き込まれて嫌な気持ちになるかもしれない人が居る事が、考えただけで不快になる……。
この世界が『乙女ゲームの舞台』だとしても、わたくしはわたくし。だだ粛々とわたくしの人生を歩もうと思っていた。
けれどヒロインが乙女ゲームを開始したのならば、降りかかる火の粉は振り払わなければいけない。無視をすればただ破滅が待っているだけかもしれないから。
わたくしはリゼリーラ・バラディナ。
乙女ゲーム【聖女の愛は真実の愛です♡】では最後は必ずヒロインと攻略対象者たちに倒されて死ぬラスボスの悪役令嬢。
ヒロインがそのストーリーを望むのならば、わたくしは自分が生きる為に戦わなければいけない。
ヒロインがストーリーを始めたという事は悪役令嬢であるわたくしの死を望んだのと同意。
ならば受けましょう。その喧嘩。
◇ ◇ ◇
ヒロインが聖女ならば、悪役令嬢はラスボス。
回復守護特化の聖女を脅かす攻撃特化の悪魔法を使うのがラスボスになった悪役令嬢リゼリーラだったけれど、悪魔法に手を出さずともリゼリーラは魔力が桁違いに高く魔法操作も子供の頃から上手い魔法特化型のキャラだった。
だからわたくしも小さい頃から自分の魔法能力を磨き続けてきた。
戦う為じゃなくて単純に生活に活用したいからだったけれど。そのお陰で今じゃ無詠唱で物を動かせる。サイコキネシスみたいな魔法の使い方が出来るけどその事は誰にも話していない。
何故なら『無詠唱』自体がこの世界でも異端だから。無詠唱が使えると分かった時点でその人は『賢者』と呼ばれて国の重要人物扱いとなる。何かあったら前線に駆り出されると分かってるそんな人に誰が成りたいと思うのよ。今でもわたくしは第一王子の婚約者という超面倒くさい生活をさせられているのに、そこに賢者の称号なんて貰ったら軟禁監禁が目に見えてるわ。だからわたくしが無詠唱使いなのは墓場まで持っていく秘密。
そんな力でわたくしはヒロインと戦うの。
と、言ってもわたくしも鬼じゃない。
ヒロインを暗殺しちゃえば終わるけど、同じ転生者のよしみとしてそんな酷い事しないで彼女と戦おうと思う。
だけど丁度良い感じの攻め方が分からない……。
それにわたくし自身も暇じゃない。
授業が終われば毎日王城まで行ってそこから王子妃教育を夜遅くまで受ける。授業の合間の休み時間やお昼休みでは友人たちとも関係を築き続け、将来の為の社交をしなければいけない。
その中で『一人になる時間を確保してただ一人の為に自分の力を行使する』なんて……そんなのやってられないわよ……。自分の疲労回復を後回しにしてヒロインに構うとか、どれだけヒロインの事好きなんだってなるわよ……。自分が大切なわたくしには絶対に無理だわ……。
そう考えるとゲームの中のリゼリーラはバイタリティがあって、やると決めた事は絶対に諦めたりしないんだから本当に凄いと思うわ。悪役令嬢ってそういうところあるわよね……。ゲームの中のリゼリーラも毎日ぎゅうぎゅうに詰まったスケジュールの中でヒロインへのイジメにも手を抜かなかったんだからどれだけハイスペックなのよ……。
わたくしには無理……1時間ぐらい何も考えずにボ〜〜ッとする時間が無いと……。
そんなこんなで考えた末に思いついたのが『彼女が望むのならばむしろ彼女の望み通りにしちゃいましょ!作戦』である。
わたくしは一人になった自室でベッドの上に横になり目を閉じて念じる。
『ヒロインさんが望む通り、歩いていたら何かに足を掛けられて転び、何かに背中を押され、持ち物を壊され、耳元で陰口を言われ、軽蔑の眼差しでどこかから見られ、何か小さな怖い目に遭い続けますように〜〜〜』
侍女が部屋に入ってきてもわたくしをただ寝ていると思うだろう姿勢でわたくしはヒロインに向かって魔法を飛ばし続けた。
まぁ一種の呪いみたいなものね。
『呪い』ではないから聖女の力で祓ったり出来ないけれど、ずっと彼女にまとわりつく魔法。わたくしの想像通り、彼女の周りに人がいない時だけに発動する小さな魔法。
さぁ、ヒロインさん♪
これで明日から自演しなくてすみますよ♪(^v^)