十二月三十日(木曜日)午後四時五十分
しばしの沈黙をやぶり、如月恭助がぽつりと発言した。「そうだよ。犯行現場がテニスコートだと思ったのは、坂下自身の供述によるものだった。続けてくれ……」
「犯行現場は坂下のアパート。犯行は七時三十八分よりも前におこなわれた! 犯行後に坂下祐樹は、遺体をこっそりと車のトランクにはこびこんでおいて、一旦は自室に戻る。自室の中で詩織姉さんの携帯電話をつかって、七時三十八分に自宅の電話機に電話をかけた。その後の七時五十五分に、偶然に外に出てきた隣人を発見すると、タイミングを見計らって、自宅から出て挨拶を交わした。すべては周到なアリバイ工作のためよね。そのまま、車でテニスコートに向かう。共犯者の菱川早苗も同行していた。
テニスコートに着くと、坂下は遺体を抱きかかえてコートの入り口まで行く。そこで、まず早苗が詩織姉さんの靴に履きかえて、コートの中央まで歩いて足跡を残す。それから、詩織姉さんの遺体を抱きかかえた坂下が、続いて中央まで歩いた。雪は十センチくらいしか積もっていなくて、すぐ下の地面はハードコートよね。だから、二人分の体重でもそんなに深くまで足は地面に沈まなかった。あたかも一人で歩いたような深さの足跡が、そこには残されたの……」
「有名な推理小説のトリックだね」
「坂下祐樹は敷地の中央に遺体をおいてから、早苗が履いていた靴を、遺体に履かせる。そして……、そこで詩織姉さんの遺体の喉を剃刀で切った……。後は、菱川早苗を抱きかかえて、再び扉まで歩いて戻ったの」
青葉の説明は終わった。如月恭助はしばらく黙っていた。やがて、彼は呟くような小声で語り出した。
「すばらしい、推理だよ。でも、残念ながら真実ではない。坂下祐樹のアパートで犯行が行われた可能性については俺も考えた。そこで検死で、頸部を切られる以前に被害者が意識を失っている可能性の有無を調べてもらった。例えば、睡眠薬で眠らされていたとか、すでに絞殺されていたとか……。検死結果は、被害者にそのような痕跡は何も残されていなかった、というものだった。つまり、今の説明にあった坂下と早苗の犯行は、やはり不可能なんだ。それに、もし坂下が計画的にその犯行をおこなったのなら、彼はとんでもない大博徒になってしまう。そもそも、死亡推定時刻が七時半から八時の間であると断言されることが、どうして前もってやつにわかる? 死亡推定時刻を事前に知っていれば、この計画は実行にうつせるが、死亡推定時刻なんてものはその後の状況次第では確定しないこともあり得る。そうなれば、足跡を残した坂下は、そのまま犯人と疑われてしまう……」
「そのとおりよ」
今度は青葉があっさりと認めた。
「それに、優等生の説明は、空っぽのショルダーバックについては何も触れなかったよね」
「そうね。もう降参よ……。真相はどうなっていたの?」
ついに青葉が白旗を揚げた。
「君が真相に辿り着けなかったのは、君の本能が真相を拒んだからだと思うよ。この事件で君が最も犯人にしたくない人物……。つまり、今回の犯人は――」
恭助は申し訳なさそうに青葉の顔を見た。青葉は恭助の眼ををじっと見つめていた。
「美原詩織だ!」