十二月十九日(日曜日)午前十一時
まもなく、鑑識の捜査官たちが続々と集結してきた。早速、現場の調査がおこなわれた。大量の血痕! 研修医の坂下青年でさえ、冷静さを失ったのもうなずける。被害者は首筋を剃刀のような鋭利な刃物で切られており、出血多量で死んだものと推測される。
「足跡は調べたな。それじゃあ、死体の鑑定をたのむ。写真は撮ったよな。それから凶器がおちてないか、あたりを徹底的に調べてくれ。案外、雪の中に埋まっているかもしれない」
「この敷地を囲むフェンスには、扉が二箇所設置されています。一つはこの扉で、もう一つはちょうど反対側にあります。向こうの扉の周辺には、足跡は全くありません。犯行はこちらの扉を介しておこなわれたのでしょう。
そして、雪の上に残された足跡は二種類だけです。一つは被害者自身の足跡で、扉からやや遠まわりをするように移動しており、遺体まで続いています。もう一つは坂下祐樹が履いている靴と同じ足跡で、扉から遺体に真っ直ぐに向かっています。坂下の足跡は被害者の足跡を上から踏みこんでいます。
被害者の近くにも坂下の足跡がいくらかありました。それから、扉に坂下が戻る足跡もはっきりと残っていました。被害者の血痕は遺体の近傍に限定されていて、扉や途中の足跡のまわりには全くおちていません」
鼠のような顔をした出っ歯の巡査が、早口で報告した。
「つまり、最初に被害者が、扉から少し迂回しながらここに歩いてきた。その後で、坂下がやってきて遺体の付近をうろついてから、再び扉に引き返したということだな」
「そうですね。それから、遺体のそばに彼女の所有物と思われるショルダーバックが一つおちていました」
「ショルダーバック?」
如月警部補の眉がピクリと動いた。「中身は?」
「それが……、何も入っていませんでした」
申し訳なさそうに巡査が返事をした。
「何も?」
「はい、全く何も……です」
今度は息子の恭助が質問した。ちょっぴり吊り上がった目と、小柄な体型以外には、これといった特徴が見当たらない、どこにでもいそうな青年である。「坂下祐樹の身体から凶器は発見されませんでしたか?」
こいつが有名な警部補のガキか……、と巡査は、ちらっと恭助に眼を配ったが、すぐに警部補の方を向き直ると、
「はい、一応身体検査はいたしましたが、凶器らしいものは何も所持していませんでした。それから、彼の上着についた血は、被害者の血液型と一致しました」
と、てきぱきと報告した。
「雪が溶けるのを待ってコート周辺を調べろ。それまでは誰も立ち入りさせるな」
「了解です」
巡査が立ち去った後、如月恭助は父親を呼び止めた。「お父さん、ちょっといい?」
父親は息子に一瞥を向ける。「なんだ、恭助?」
「遺体を解剖して死因を詳しく調べてもらえないかな。一見、頸部切断による出血死のようだけど、念のために、体内に睡眠薬などの薬物反応がないか、あるいは殴打とか絞殺の可能性がないかどうかを……」
「もちろん調べるが、それが何か重要なことなのか?」
と、警部補は首をかしげた。
すると、なぞめいた言葉を、息子が口ずさんだ。
「あの間ぬけな研修医が犯人であってくれれば、事件は単純明快だ。でも、そうでないとすると……」