入社式にはバスで向かうことにする
「Fラン君さあ・・・どこの田舎から来たのよ。バスに乗ったことないってさ?」
オレは、エリナと”バス”に乗っていた。NNTの入社式に向かうためだ。
あの初めの地点から見えた、街に浮いていたものはこの世界ではバスと呼ばれているらしい。
バスと呼ばれてはいるものの、車輪は見当たらない。銀色の四角い箱状の物体には何個か窓がついていて、現代日本でいうところのバスよりはサイズが少し小さい。
そしてその底の方にはには青い光るパイプのようなものが張り巡らされている。どうやらこれが浮力を生む装置らしい。
エリナが、バグを倒したときに使った魔法らしきものを放つときにも同じような色の光を見た。この世界の動力源なのだろう。
姿や動力源に違いはあるものの、この世界のバスの仕組みも現代日本のバスのような仕組みらしかった。停留所があり、そこからオレとエリナは乗り込んだ。お金を持っていなかったので不安だったが、どうやら無料のようだ。
車の中には座席があり、一番前には運転手らしき人がいる。その他の乗客は誰も乗っていなかった。
オレはよほどキョロキョロしていたのか、初めて乗ったのがエリナにはバレバレだった。
「いや、何ていうか浮くバスに乗るのは初めてだからさ。こう車輪がないっていうか・・・」
「車輪?車輪がついたバスなんてまだ走ってんの?何10年前の話よ・・・」
どうやら車輪がついたバスは絶滅してしまったらしい。確かにこのバスは、浮いている。窓から下を眺めると、家や道路が数メートルほど下に見える。この世界はテクノロジーが現代日本より進んでいるのか?いまいちよくわからない。
エリナの方を見てみると、彼女も車の窓から下に映る街を眺めていた。赤い髪が光に当たってキラキラと光っていた。
「なあ・・・あのバグが街中にでてしょっちゅう人を襲うのがふつうなのか?」
オレは気になっていることをストレートに聞いてみた。エリナはオレのほうを振り返らずに答えた。
「王都ではほとんどなかったはずよ。防壁と結界に守られてるからね。」
防壁・・・?車の窓から街を眺めてみる。確かに街の奥の先に壁のようなものが見えた。なるほどここが防壁と結界に守られた王都なのか。しかし、ここから壁が見えるってことは相当大きな壁じゃないのか?あれは。
「それがここ1年くらいかな。何故か急に王都にバグが出現するようになったの。」
「エリナは王都に住んでるのか?」
「当たり前でしょ。王都大学の学生なんだから。」
まあそりゃそうか。我ながらアホな質問だった。
「王都の中は便利よ。何たって隅々にまで魔力が行きわたっているからね。バグもいないし。まあ、田舎者にはめずらしーだろうね。バグに脅かされない文明の暮らしってのは。」
「まあ、確かに・・・見たことないものがいっぱいあるな」
「あんた、ほんとに王都に来たことないの?最終面接は王都でしかやってなかったと思ったけど・・・」
最終面接・・・あのジイさんが社長だったとしたら、病院で行われたのが最終面接だったのだろうか。
「どうせ19区か20区の出身でしょ。あそこらへん田舎だからなー。そこらならまだ車輪のバスが現役でもおかしくないわー」
19区、20区・・番号で地域が管理されているのか。何気ない会話からこの世界の設定のようなものが見えてくる。こいつがおしゃべりな奴で助かった。少々むかつく女なのは目をつぶろう。
「ああ、そんなところかな」
「やっぱりね。まあ、19区とか20区のやつらって出身隠したがるもん。でもさ、あそこらへんに住んでるならバグにも慣れてるでしょ。最終防壁の近くだし、バグの出現頻度はここよりずっと上のはずよ?」
そんなこと言われても・・・バグとやらを見るのは今日が初めてだ。どうやら、王都の中にいるならば、それほどバグには出会わないようだ。それなら少しは安心だ。
NNTグループも、王都のど真ん中にあるということは、バグに会う機会はめったにないのかもしれない。
いや、そういえば、あのデカい塔がNNTグループのものだという確証はまだどこにもなかった。だがバスはあの塔のほうに確かに向かっている・・・。おそらく自分の考えに間違いはないだろう。
「それが・・・幸いバグにはあまり会ったことがないんだ。」
「へー、そうなの。じゃーなんでまたNNTグループなんかに入ろうと思ったの?」
「うーん・・・大企業だから、かな。ほら、給料とかいいだろ?」
それを聞くとエリナは目を細めて、また軽蔑したような視線を向けた。
「ふーん。そういうやつ最近多いのよねー。給料とか福利厚生とかそんなんばっか。仕事っていうのはそういうもんじゃないでしょーに。」
「じゃあエリナは何でNNTグループに入ったんだよ。」
「決まってるじゃん?この世からバグを消滅させるためよ。」
エリナは顔をこちらに向けて、きっぱりと言った。
なるほど・・・NNTグループはあのバグと戦うための組織のようだ。あの建造物の中でぬくぬくと高い給料を貰うことはできないというわけだ。人生そう甘くはない、と。
しかし、アレと戦うって、相当のブラック企業なんじゃないだろうか。命を投げ出すにしては、年収800万は安い。日本の警察や自衛隊の給料はどれほどなのだろうか。
「まー、入社目的なんて何でもいいけどね。」
エリナはまた窓に顔を向けてそう言った。
「それで助かる人たちがいるんならさ」
そうだ。確かにさっきは、あの小さい女の子を助けた。エリナとオレがいなかったら、あの女の子の命はなかっただろう。・・・ただ、あれを仕事としてやり続けられる自信はない。
そもそも仕事なんて金のために仕方なくやるものだ。本当に”やりがい”なんてものを持ってやってる奴なんているんだろうか。
もしいるとしたら、それは洗脳された社畜だけだ。エリナは意識高い系のいい社畜になれそうな奴だ。オレは元々この世界の人間じゃないし、NNTグループの社畜になる気は毛頭ない。
しかし・・・バグの殲滅が目的とはっきりと断言するエリナは、何やらカッコよくも見えた。
「そういえばさ、あのバグの攻撃を跳ね返したやつって何?何系統の魔法なの?」
エリナが全然違う話題を振ってきた。
系統・・・。あれは、黒の魔法、だ。何故かそれだけは知っている。しかしソレは系統と呼ばれるものなのだろうか。この世界の魔法には、炎や氷といったような魔法の系統があるのだろう。ゲーム何かでよく見るやつだ。
「いやー・・・まあ何ていうか企業秘密ってやつで。手のうちは明かさないほうがいいだろ?」
「はあ?まあ別にいいけどさ。あんたも多少は魔法使えるのね」
うまく誤魔化すことができたようで、エリナに納得していただいた。何かオレもこの世界に慣れてきた気がする。
エリナと話をしている間に、あのデカい塔が近づいてきたようだ。バスの速度が先程よりも落ちてきた気がする。
「・・・あー、何度見ても間近だと迫力あるわねー」
あの塔が間近に見えるようだ。オレも窓から外を見てみる。
確かに間近で見ると迫力があった。ファンタジーというよりもSFに出てきそうな建造物だ。現代のどんなビルよりも、あの塔は大きいと確信できる。何せ上のほうがどこまで続いているのかわからない。
塔は不思議な金属でできていて、周りの風景を反射して青くキラキラと光っている。一体なんのためにこんなものを建てたのだろうか。
バスがその塔に向かって近づいていく。近くで見ると何やら少しいびつな形をしていることがわかった。まるでレゴブロックの塊を適当に積み上げたような・・・。増改築を繰り返したのだろうか。
そして不思議なことに、その塔には窓らしきものがなかった。その代わり、その壁にはこのバスの底にあったような、青く光る導線のようなものが張り巡らされている。それがブロック同士を繋ぎ合わせる接着剤のような役目をしているかのように見えた。
バスはその塔の手前で速度を落とし始めた。そして、その手前の広場のようなところに着陸した。そこにも、街の道路に使われていたような石畳が敷いてある。どうやら駐車場のようだ。
そして、広場には他の似たような形のバスが何台かそこに止まっていた。そこから「治安維持部隊」と書かれたあの青い作業服を着た人たちが何人も降りてくる。
それをボーっと眺めていると、乗ってきたバスの扉が開いた。エリナが軽いステップでバスから降りる。オレもノソノソと後に続いた。
バスから降りると、あのデカい塔が百メートルくらいに迫っていた。上空からはわからなかったが、この塔の下には土台部分みたいなものがある。3階くらいの大きさの暗い銀色の建物が、広大な土地に広がっている。そして、その真ん中あたりに、あのいびつな塔がそびえ立っていた。
「えーっと・・・入社式会場はこちら、とあるわね。」
エリナはカバンから紙を取り出してそれを見ながら、右のほうを指さした。案内のようなものが書かれているらしい。
「そういえば、あんたカバンは??」
そういえばカバンは持ってない。左手に抱えているのは血がついたジャケットだけだ。
「いや、その何て言うか・・・さっきのドサクサでどっか行った。すまん、案内とか全部失くしたんだ。ちょっと案内とか見せてくれないか・・・?」
初めから持ってなかったのだが、そう適当に嘘をついておいた。
エリナは冷たい目でこっちを見ながら、無言で案内の紙をこちらによこした。
――― 入社式会場はこちら!
案内の紙を見ると、デカデカと赤い文字と矢印が目に入ってきた。広場から壁の中を通って、その会場に行くまでの地図が書いてある。入社式会場は、あの地上部分の1階らしい。
「げっ・・!」
いきなりエリナが小さな叫び声を上げる。
「どした?」
「どしたじゃないわよ。入社式11時からよ。もうあと10分しかないじゃない。しまった・・・さっきの部隊の人に車で送ってもらうんだった!それくらいの権利はあったはずよ!」
エリナは頭に手を当てて、失敗したーとブツブツ言っている。
車・・・?あの現場に来ていた治安維持部隊の人たちは、このバスのような乗り物で来ていたのだろうか。近くには見当たらなかったが。
しかし、時間の感覚がまったくなくなっていた。まだ朝の11時なのか・・・。オレがこの世界に転送されてきたのは早朝だったということか。そう言えば時計を全然見ていなかった。
すでに色々なことがありすぎて3日くらい経っている気がする。
「まあ、あんなことがあったんだし、遅刻くらいはいいんじゃないか?オレなんてカバンもないし、ジャケットは血まみれだぜ。」
「・・・Fラン君と一緒にしないでよ。入社式で遅刻って印象最悪でしょーが。」
やはりムカつく女だ・・・。というか、10分しかないならブツブツ言ってないで急いだほうがいいんじゃないか。走ればまだギリギリ間に合うと思うぞ。
「走る!」
オレの心を読んだのか、エリナはそういうとダッシュで広場から右の入口らしきところに向かった。あのピチピチの黒スカートでよくダッシュできるもんだ。意外とストレッチ素材とかでできてるのだろうか。オレも仕方なくダッシュしてエリナについていく。
少し走った後、急にエリナはストップして振り返った。そして片手の手のひらをオレに向けて言った。
「はい、ちょっとストップ!」
「ん?なんだ?」
「Fラン君はここでちょっとだけ待っててね。」
「なんでだ??」
「そんなカバンも持ってないジャケット血まみれ男と一緒に入社式に行ったら、あたしが恥ずかしいでしょーがっ」
「・・・・・」
「これあげるから。あたし覚えたし。ま、しばらくしてからきてねっ!」
そういうとエリナはオレに案内の紙を押し付けた。
「じゃあね~~」
言い返す隙も与えず、呆気にとられているオレを尻目に、エリナは颯爽と入口らしきところ目がけて走って行った。