黒いオタマジャクシと魔法少女
きゃあーーーーーーーーーー
耳を裂くような叫び声が聞こえた。
そりゃ、そうだ。ここは異世界なんだ。東京じゃない。街中を歩いていれば、そういういわゆるモンスターみたいなのに出くわすのもいわば当然なのだ。
あの宿を出て、異世界の街中を散策する暇もなくおれはこの叫び声に出くわした。まあ、おそらくこのパターンはモンスターか何か出くわしたのだろう。
その叫び声のほうを向くと、遠くの方から街を歩いていた人たちがこちらに向かって必死の形相で逃げてくる。
さて・・・どうすればいい?オレは何かそのモンスターを倒す術を持っているのか?
いや、まあまずは正体の確認だ。ここは異世界。まずはモンスターの姿を確認しておくのも悪くない。
転移してから最初に出てくるモンスター。まあこういうのは大抵スライム2匹とかそんな感じだ。それほど凶悪なやつはまず出ない。サクッと倒してレベル2っていう感じか?
おれは人の流れと逆走して、その叫び声のほうへ向かった。
「これは・・・」
そこには人だかりができていた。みんな中心の「黒いもの」を取り囲むように、しかし決して近づかず距離をとって、その物体を睨んでいた。
「黒いもの」は一言でいうならばカエルになりかけのドス黒い大きなオタマジャクシだった。
顔の部分が大きく丸くなっていて、その顔には大きな口と目が一つだけある。その黒い細長い胴体からは4本の足とも手ともつかぬものが生えている。その4本の足で爬虫類のように地面に這いつくばっている。
だいたい大きさは、1.5m前後くらいか・・・ワニくらいの大きさがある。
よく見てみると全身に毛のようなものがビッシリと生えている。そしてその一つ一つが生き物かのようにウネウネと動いている。
そして足元が赤黒い。これは、こいつの色じゃない。・・・・人の血の色だ。
こいつの足元に、元々人間だったと思われる物体が転がっている。手、足、体の一片。
こいつ・・・人を喰ってる
そしてその黒いオタマジャクシは、足元に転がっていたオバサンの上に乗っかかり、大きな口を開けてオバサンの頭を噛んだ。
オバサンは抵抗できない。・・・すでに左足の先端がなかった。
「助け・・・」
助けて。そう最後まで言い切ることなく、中年のオバサンは頭を砕かれた。
ボギ、グシャという異様な音が聞こえる。
「ひっ・・・」
周りから、押し殺したような悲鳴が聞こえる。
「おい、何でこんな街中に”バグ”がでるんだよ!!!」
「何とかしろよ。治安部隊はまだこねーのかよ!!」
周りの男たちは、手にはそれぞれ武器になりそうなものを持って、そのバグと呼ばれる黒い怪物を遠巻きに取り囲んでいた。しかし誰もおばさんを助けようとはしない。
そしてその足元には、震えて怯えている5,6歳の女の子がうずくまっている。
無ゲーだ。
スライムとかレベル1とか、そういう甘い考えはとうに飛んでいた。初めて嗅ぐ血の匂いと、目の前に広がる残虐な光景に、おれはすっかりびびっていた。足が震えだしている。
これが・・・この世界の日常??
冗談じゃない・・・会社がブラックとかそういうレベルじゃない。世界そのものがブラックじゃないか。
ブラック・・・黒・・・・黒の魔法
その言葉が頭に浮かんだ瞬間、左手に何かかすかな痛みのようなものを感じた。
手のひらを見ると、何か黒いものがウネウネと動いている。初めて感じる感覚だったが、不思議と違和感がなかった。
黒の魔法。恐らくオレはそれが使える。
しかし使えるからなんだ?このウネウネした黒いものでどうやってアレと戦えと?・・・ありえない。どんなブラック企業だってこれよりはマシなはずだ。
でも子供が・・・小さな女の子があのままじゃ・・・
左手の黒の魔法の芽が、しきりに戦えと言っているような気がする。しかし、できるのか・・・あんな正体不明の化け物相手に。失敗すれば、あのオバサンのように、死ぬ。
ドンッ
突然、鈍い小さな爆発音がした。手のひらから黒いオタマジャクシの方に目を向けると、それは目を半分瞑って呻いていた。
「キキキ・・・・」
金属のような機械音がなる。それがうめき声らしい。そして黒いオタマジャクシは咀嚼中のオバサンだった物体を手から離した。
もはやオバサンが生きていないだろうということは誰にでもわかった。
呆気にとられていると、オレの前に後ろから誰かが走り抜けてきた。
赤い髪・・?どうやら女のようだ。黒い服を着ている。
ん・・・?
あれ、女用のリクルートスーツじゃないか??
そしてその女は、オレのほうを振り向いた。
「あたし、あれヤるから、あんたはあの女の子お願い」
そう言うと赤い髪の女は、手に持っていたピンク色の棒状の何かを、黒いオタマジャクシに向かって振りかざした。
ドン
また小さな爆発音がした。そして黒いオタマジャクシの頭が少し欠ける。その欠けた部分から少し煙が出ている。
「ほら、ぼさっとしてないで!!」
明らかにおれに言っている。つまり今のうちにあの小さい女の子をこっちに避難させろ、ということか。それくらいなら・・・できるかもしれない。
オレは、高校の体育祭のリレーで発揮して以来の全速力で、黒いオタマジャクシに近づいた。そして足元でうずくまっていた小さな女の子を抱える。
石畳の道路の上には、おびただしい量の血と、人間だった肉塊が転がっている。リクルートスーツのジェットに血がべっとりとつく。オレは胃からこみ上げるものを必死に我慢した。
どうやら女の子は、まだ無事なようだ。顔が青ざめては震えているがケガをしている様子はない。女の子を片手で抱きかかえると、まだ黒いオタマジャクシはうめいていた。
よし、このままダッシュで立ち去れば・・・
シュッ
そう思った瞬間、黒いオタマジャクシは、口の中から、短い黒い手のようなものをムチのようにこちらに伸ばしてきた。
その手はすごいスピードで真っすぐオレのほうに向かってくる――
あぶない!
反射的に、目をつぶって左手の手のひらをそちらのほうに向けた。
キンッ!
音がして、左手に強い衝撃を感じた。その衝撃でオレは体勢をくずし尻餅をついた。オレの手から離れ、女の子が転がる。
目を開けると、黒いオタマジャクシの伸びた手の先端は上空にあった。
はじき返した?手で・・・
考える暇もなく、黒いオタマジャクシは第二撃を打たんと構えている。
ヤバい・・・今度こそやられる!
ドン
また小さな爆発音が走る。黒いオタマジャクシは頭を再度やられ、二撃目を放つことはできなかった。
見ると1度目に破壊した場所はもう再生している。再生している間は、動きが鈍るようだ。
「はやく!こっち!」
赤い髪の女が叫ぶ。
オレは、黒いオタマジャクシが再生しようと呻いている間に女の子を再度抱えて、ダッシュで赤い髪の女の後ろに戻った。
少し安堵して黒いオタマジャクシを見ると、大きな一つの目でこちらを睨んでいた。
獲物をとるな・・・顔がそう言っている。こんな怪物にも表情があるのか。
どうやら、あの手の射程はせいぜい2,3メートルのようだ。これだけ離れれば、とりあえずはあの手が飛んでくる心配はなさそうだ。
とりあえずは・・・助かった。そう思った瞬間、汗がドッとふきだしてきた。
「おっけー。これで全力いけるわね!」
赤い髪の女は、オレたちが離れたのを見るやいなや、そう言い放った。そうして目を閉じて息を吸い込むと、ピンク色の棒状のものを黒いオタマジャクシに再度向けた。ピンク色の棒状の先端から青い光が円状に広がる。
あれは、小さな青い魔法陣?
―――ドンッ!
赤い閃光のような光の玉が黒いオタマジャクシに向かっていく。着弾すると同時に大きな破裂音が響いた。爆風がオレの顔を襲う。前髪が風でめくれ上がった。
次の瞬間、目を開けると黒いオタマジャクシの頭が消えていた。そこからは赤い炎と黒い煙がモクモクと上がる。数秒して、残っていた胴体部分も塵のように離散していった。
この女が今のを放ったのか・・・しかし凄い威力だ。確かにこれは周りに人がいたら巻き込まれる。
「よしっと。終わりっ」
赤い髪の女がそういうと同時に、ことの顛末を固まったように見ていた観衆から、うぉおおおーという歓声が上がった。
「いえーい☆」
赤い髪の女は、歓声を上げる観衆に向かって、ピースをしてみせた。そして、オレと膝下で怯えている女の子に向かって振り返った。
「だいじょうぶだった?怪我はない?」
おう、と返事をしそうになったが、それは小さな女の子に向けられたものだった。
小さな女の子は、小さくうんと頷いた。まだ青ざめて震えている。あのオバサンは・・・母親だったのだろうか。
「ナイスダッシュ。あなた名前は?」
その赤い髪の女が今度はオレに向かってこう言った。
改めてその赤い髪の女を見てみる。前髪はピッチリと分けて、後ろで長いかみを束ねている。髪型は、よくある女が就活でやるようなやつだ。ただ色は真っ赤だが。そして黒いスーツに白いブラウス。黒いカバンを持っている。そこまではまさに就活用の格好だが・・・右手に持ったピンク色のステッキが恰好から浮いている。
顔は・・・かなりの美少女だ。少し釣り目だが大きな目。整った鼻。小さい口。まっすぐ人を見つめる目からは、自分への自信とプライドが伺える。例えるなら、気がつよいキャリアウーマン志向の意識高い系女子・・・
会社説明会なんかで率先して手をあげて「女性の昇進について」とか質問しちゃうタイプだ。
うん、オレの苦手なタイプの女だ。
「そっちこそ・・・ナイス・・・」
ナイス何だろう?ナイス魔法か?
「う、うん、ナイス。ナイスだった。おれは田中広樹。」
まあ、とりあえずナイスだ。少なくとも女の子はコイツのおかげで助かった。
「ふーん。タナカヒロキ?変わった名前ね。」
オレの名前はこちらの世界では変わってるか。まあそりゃそうか・・・
「ま、まあな。お前は?」
オレの問いに、赤い髪の女は腕を組んでドヤ顔で答えた。
「あたし・・あたしは」
「炎の魔法少女、エリナ・F・ロングよ!」
オレが呆気にとられて無言で見つめていると、その魔法少女エリナは、オレに向かって少し怒ったような顔で言った。
「何よ・・・ツッコミなさいよ。ノリ悪いやつね!」