光(アマテラス)と影(オモイカネ)
アマテラス無事の知らせに、胸を撫で下ろした。
しかし、葦原の長であるスサノオと共に高天原に向かっているという報告も同時に受け、油断ならぬと悟った。
彼が高天原を訪れるというアポイントメントが、先方から入っていないのだ。アマテラスが連れ立っているとはいえ、警戒をして過ぎることはないだろう。
やはり、あの女を行かせるべきではなかったか……。
スサノオは、アマテラスの弟君だ。こういうことになろうことも、予測はできた。
慈悲深いとか、慈愛に満ちていると言えば、聞こえはいい。
しかし、私の尺度で言うと、彼女は、甘い。
とはいえ、彼女に悪気はなく、むしろ責任感で動いているのだから厄介だ。
町の入り口にある大鳥居の下で、アマテラスの帰還を待つ。
陽は一番高いところに届こうとしており、風さえなければ、麗らかで温かいことだろう。
やがて、針葉樹に見守られるように伸びる山道の向こうから、その影が現れた。
白い袴を身に纏い、大きな弓と数多の矢を携えたアマテラス。
レインウェアにダウンジャケット、トレッキングシューズと、登山装備の男。
そして、見覚えのない若い男女八名。
………………幻覚、ではないか。
あまりにも異色。そして、思わぬ大所帯に目を疑った。
瞬きをして眼鏡をかけ直してみたが、その光景に変わりはない。
細く、息を吐く。
まずは、状況を知る。それからだ。
「ただいま戻りました。出迎えありがとう、オモイカネ」
アマテラスは、穏やかな表情をしていた。
役場を出発したときの緊張感のある微笑みとは、わけが違う。
「おかえりなさい。よく戻られました」
「あら、大袈裟ね」
口許に指先を添えて、小さく笑う。
しなやかな髪がさらりと揺れて、ふと気づいた。
艶のある黒髪に映える髪飾りや、優雅に揺れる宝玉のイヤリングが、無くなっている。
……なるほど。卜占ですか。
恐らく、それらを懸けてスサノオと向き合ったのだろう。見覚えのない青年たちは、そのときに現れたに違いない。
その結果、連れ帰っていいと判断した、と。
アマテラスのやや後方、気も漫ろな様子で周囲を観察している男に、視線を向けた。
清潔感があり、好感さえ抱かせるほど爽やかな風体をしている。
これが、葦原の管理を任された身でありながら、荒くれ者として疎ましく思ってきたあの男の、現在の姿か。
私と視線がぶつかると、彼は明け透けな笑顔を見せた。
「ども! お久しっすね!」
「ええ……。お久し振りです」
人は、そう簡単に変わらない。
スサノオは、お父上より葦原からの追放を宣告され、黄泉におられるお母上の元へ行く決心をしたと。
高天原を管理し葦原を見守る、姉上のアマテラスに事情を説明し、挨拶をするために来たと話した。
役場の応接室で話を整理している間、アマテラスは、マグカップから立つ湯気を物憂げに見つめていた。
「他意はないと、信じていいですね?」
スサノオは、力強く頷いた。
「黄泉に発つ前にこちらまで来た理由は? アマテラスが了承したのであれば、そのまま向かうつもりだったのではないですか?」
「わたくしが、少しゆっくりしていきなさいと提案しました」
「は?」
間の抜けた声が漏れていた。
「各々の立場を取り払えば、わたくしたちはただの姉弟です。お母様の元へ行く前に、わたくしと共有する時間があってもいいでしょう」
ゆったりと、それでいて勝ち気に微笑んでいる。
アマテラスの事だ。嘘はついていないだろうが、秘めた考えがあるに違いない。
建て前を述べるとき、その意志を譲ろうとしないのだ、この女は。
まったく……、仕方がないですね。
眼鏡を押し上げて、スサノオに向き直る。
「ところで、貴方の後任は決まっているのですよね?」
「え? 知らんす」
スサノオは、飄々と言って退けた。
「そんな顔しないでくださいよ! だって、すげー剣幕で出てけって言われたんすよ!? あとのこととか引き継ぎとか、そんなんしてるヨユーあるわけないじゃないすか!」
そんな顔とは、どんな顔だろう。
抱いた不信感を誤魔化すほど、器用でない自覚はある。
無責任。無自覚。
どんなに外見を繕っても、この男は信用に足る人となりではない。
「お父様のことだから、きっと大丈夫よ。あとで確認の連絡をしてみます」
見兼ねたのか、アマテラスがマグカップを静かに降ろした。
「ええ……」
「それに、わたくしだって、考えてなくはないですし。焦る気持ちもわかるけれど、急いだからといって解決することばかりじゃないでしょう。急がば回れ、という言葉もあります。様子を見ながら、みんなで決めましょう」
エゴを押し通すようなことを言ったり、意味深な態度を取ったりしていたかと思えば、今度は正論をぶつけてくる。
この人には敵わない。
多忙を極める姉と、自由奔放な弟の擦れ違いは、必至だった。
アマテラスが高天原のために労を尽くす間、スサノオに与えられたのは時間。
彼がとった行動は、やはり、穏やかなものではなかった。
あるときは田の畔を壊し、あるときは水路を埋め、またあるときは、食堂で泥酔して暴れ……。
アマテラスは、姉として町長として、職務の合間を縫ってその対策対処に追われ、日に日に疲弊していった。
最早、静観していられる状況ではない。
「このようなこと、あまり言いたくはないのですが……。いつまで、弟君をここに置いておくおつもりですか?」
「……あなたや、みんなの気持ちも察します。でも、あの子に悪気はありません」
事務室で机に向かうアマテラスは、表情を失している。
「悪気がなければ、全て許されるわけではないでしょう! それに、私が心配しているのは、町の被害だけではありません。貴女の身になにかあってはと、それを懸念しているんです! 体力だけでなく、精神疲労だって目に見えて……」
「問題ないわ」
凛とした声が、私の言葉を遮った。
瞳の奥にはジリジリとした熱が垣間見える。
「本当にごめんなさい。あの子は、後先考えない無鉄砲ではありますけど、ただ純粋なのです。畔を壊してしまったのは、それがなければ多くの稲を植えられると思ったからです。水路を埋めたのは、子どもやご年配への配慮だと言ってました」
そんな屁理屈を、この女は鵜呑みにしているのだろうか。
「たとえそれが真実だとしても、彼の一存でそんな勝手が許されるわけがないでしょう」
「もちろん、注意しました。わたくしたちにも考えがあってそうしてるのだから、思うことがあったら、行動する前に相談や進言をしなさいと。だから、どうかもう少し、様子を見てもらえませんか?」
伺うような言い方をしていても、彼女に譲る気持ちはない。
「……貴女の目的が、解りません」
「え?」
彼女は首を傾げた。
「彼をここに連れてきた目的です。こう言っては失礼かもしれませんが、黄泉へ行く弟君を、ただ引き留めているようにしか見えません」
その瞬間、アマテラスが視線を泳がせた。
沈黙。
それは、次の言葉を予測させるには充分な材料だった。
「…………その通りよ」
溜め息を堪えられない。
「……結局、情ですか?」
なにか、考えがあるのだと思っていた。
否、そう言い聞かせてきた。
高天原の人々に迷惑をかけ、町に被害を受けて尚、留まらせる理由。
それが、ただの情。
それだけだなんて、認めたくなかった。
「情をかけて…………なにが悪いのですか」
俯く彼女が、机に両手を突いて立ち上がる。
「あの子は、わたくしの弟です! 母を恋しがる甘えん坊な末っ子。その弟が、母の面影をわたくしに重ねて想っていたと知ったんです。だったら、わたくしが目一杯の愛情であの子の心を満たせたら、黄泉に行くことをいつか忘れるかもしれない。そう期待してなにが悪いのですか!? 背中を見送ったら、大事な弟ともう二度と会えなくなる、そんな覚悟を決めることが簡単に出来なくて、なにが悪いのですか!!」
声が、震えていた。
「高天原を守るためには、弟への情は、切り捨てなければいけない……?」
顔を上げた瞳は、緋く濡れていた。
長い間。姉弟が過ごした時間よりも、随分と長い年月、アマテラスの傍らに付き従ってきた。
しかし、一度も見たことのない表情だった。
姉弟の情愛は、時間で生成されるのではない。
「どうか……その情で、身を滅ぼさないでください」
初めて見る表情に居た堪れなくなり、彼女の前から逃げるように、事務室をあとにした。
風のない、ある日。
伝統技術を守り続ける、老舗の機織屋に来ていた。
「これは……辛いわね」
一目見ただけで質の良さがわかるほど光沢のある反物が、今は埃と泥汚れで美しさが霞み、それを手に取ったアマテラスは、落胆の息を吐いた。
前日の暴風雨によって工場の屋根が損壊し、屋内は水浸しになり、織機や反物が被害を受けた。
機織屋の職人を含めた従業員は、全員女性だ。一夜明けた今も肩を落とし、自分達ではなにも守れないと、非力さを嘆いていた。
「あなたたちは、非力なんかではありません。こんなにも繊細で美しい、芸術的な反物を作り出せるんだもの。どうか、自信を持って。受けた被害を取り戻すことは簡単ではないけれど、やり直しましょう。わたくしに出来るサポートは、最大限します」
アマテラスの言葉に、職人たちは顔色を明るくした。
その時だった。
「姉ちゃん! これ見てよ!」
空から降ってきた声に、そこに居る全ての者が視線を上げた。
「屋根が壊れたの、これのせいだね!」
屋根に空いた穴から顔を出したスサノオが、大きななにかを担ぎ上げていた。
あれは――!
「なにをしているの! 危ないから、降りてきなさい!」
「だいじょー……っ!!」
スサノオがバランスを崩し、担いでいた大きな影が落ちてくる。
織機が下敷きになり、派手な音を立てながらコンクリートの床に打ち付けた。
悲鳴が響き、工場内が騒然とする。
「あっ……ごめん!!」
スサノオの声が聴こえたが、誰の耳にも届いていないことだろう。
落ちてきたのは、馬だ。皮の一部が捲れ上がっており、如何にも痛々しい姿をしていた。
「なに…………一体……」
アマテラスが、表情を歪めて呟く。
「きゃあぁぁっ!!」
再び悲鳴が響いた。
振り向くと、数人が一点を凝視して固まっている。
近づいてみると、一人の女性が倒れ、その腹部は真っ紅に染まっていた。
注視すると、機織に使用する舟形の道具である梭が、下腹部に深々と突き刺さっていた。
恐らく、馬が織機を壊した衝撃で弾き飛ばされたその先に、不運にも彼女が居たのだろう。
誰もが言葉を失い、戦慄く。
一緒に働く仲間が多量の血を流して倒れる光景など、 か弱い女性たちに堪えられるものではない。
「みなさんは、ここから離れてください。貴女は、みなさんに付き添って……」
隣に居るアマテラスへ声を掛けると、苦痛に堪えるような、哀しみの中に悔しさを滲ませるような、複雑な表情で佇んでいた。
当然だ。この女が、この惨状に心を痛めないはずがない。
「貴女は、みなさんと一緒に居てください」
そう言って背中を押すと、彼女は機織屋の女性たちと共に工場をあとにした。
アマテラスが帰ってこない。
病院まで付き添ったあの女はきっと、今回の事故を悔やみ、気を落としているだろう。
搬送先の病院からは、女性が一命を取り止めたと連絡が入った。
しかし、彼女のお腹には小さな命が宿っていたらしく、その命は、無惨にも散ってしまった。
そして、これから先、新たな命を授かることもないと……。
女性はまだ深い眠りに就いており、この事実を知らない。
目を覚まし、残酷な現実を知ったとき。どんなに傷つき、打ちのめされてしまうことだろう。
“不幸な事故”などという言葉で片付けるには、あまりにも痛ましい。
そして、あれから姿を見せていないスサノオもまた、気掛かりのひとつだ。
ひとりの女性の人生を狂わせたと知って、人知れず猛省しているのか、逃げ出したのか。あるいは、どこかでのうのうとしているのだろうか。
故意に起こしたことではないとはいえ、引き金ではある。
そして――。
夜の帳が下りた。
陽が落ちるには、まだ随分と早い時刻だ。空は分厚い雲で淀み、痛みを覚えるほどの冷たい風が山肌を滑る。
もう、限界だ。
人を想い傷心しているアマテラスを、そっとしてあげたい気持ちもなくはない。
だが今は、あの女の心を尊重していられる情況ではない。
関係各所に連絡を取り、アマテラスを迎えるための段取りに取り掛かる。
思わぬ日暮れ。寒波の襲来。
町長の不在の非常事態に、だれもが戸惑いを覚えていた。
かじかむ手を擦り合わせ、白い息で気休めに温めながら、牡鹿の肩の骨を焼いて得た卜占の結果に従って、遍く光を取り戻すべく準備が進められる。
「……オモイカネさん」
「なんですか」
「本当に、アマテラスさんは出てきてくれるんでしょうか……」
フトタマが、周囲を見回す。
松明が照らし出しているのは、安河の河原でドーム状に大きく口を開けた洞窟の中だ。
高天原で最も高い山である香久山から採った立派な榊を祭壇に見立て、上方には勾玉を幾百にも連ねた飾りが取り付けられた。中央には、曇りひとつなく磨き上げられた大きな鏡が鎮座し、その下には白と青の幣が結び付けてある。
洞窟の中心には、桶を逆さまにしたような簡易な板敷きが用意された。
「なにを言いますか。むしろ、彼女の好奇心を刺激するには、最適な方法ではないですか」
「好奇心……?」
フトタマの円らな瞳が、さらに丸くなった。
普段は町長として澄ましているアマテラスだが、実のところは好奇心旺盛で純真無垢な、少女のような面もある。
その性格を煽ることができれば、彼女は必ず現れる。
「迷いがあれば、成功するものもしません。信じなさい」
洞窟内に、続々と人が集まり出していた。
「そろそろです。貴方も支度して、持ち場に着いてください」
「はわわっ! はいっ!」
藤の紋が入った紫色の袴を纏うコヤネの姿を見つけて、フトタマが慌てて祭壇へと向かった。
それを合図に静寂が訪れると、いよいよという緊張感に支配される。
フトタマが自ら作った幣を捧げ持ち左右に振ると、清浄な空気に包まれた。
コヤネの伸びやかな声が、祝詞を奏上する。
太陽に対する感謝の言霊だ。
温かく、ときに情熱的に、分け隔てなく私たちの生活を照らし、導き、恩恵を受けること。
それがどんなに尊いものかと讃える、見事な祝詞だった。
踊り子であるウズメが壇上に上がると、観衆たちの視線は一点に集中した。
蔓を髪や体に巻き付け、笹を両手に持ち舞うその優雅さに、だれもが見惚れて息が漏れた。
だが、彼女の本領はここから発揮される。
茜色の袴の裾から白い足を踏み出し、板敷きから軽快な足音が響き始める。
ゆったりとしていた舞が艶っぽさを含んだものになり、観衆から拍手が沸き起こった。
呼応するように、さらに激しさが増していく。着衣が乱れ開けても、なにかに取り憑かれたように夢中で踊り続ける。
観衆は大いに歓喜し、声を上げて笑った。
「ちょちょっ!! おっ、オモイカネさん!? とっ! 止めないんですか!?」
フトタマが顔を赤らめ、体ごと視線を逸らして慌てている。
「止める? どうしてですか?」
「だっ、だって!! あんな姿……!!」
ウズメの方へ意識を引かれながらも堪える葛藤をしているのが、見て取れた。
「いいではないですか。こんなに大勢の人々が歓んでいるのですから」
「ぇえ!!? 本気で言ってますか!!?」
「もちろんです。私は冗談など言いません」
「ああー……」
一際大きな歓声が上がった。
寒空の下であることを忘れさせるほど汗を散らせるウズメは、下着が露わになっても構うことなく熱い踊りで人々を魅了している。
柔らかく弾む豊かなバスト、括れて艶かしくくねるウエスト、美しい曲線を描くヒップ、引き締まったボディラインが躍動する度に、観衆が沸いた。
不意に、石が削れるような音が、足許から響いた。
――――来た!
洞窟の最奥にある一枚岩の扉が動き、僅かな隙間が生まれていた。
そっと近寄り、声を掛ける。
「こんなところで、なにをしているのですか」
「なにって…………」
扉の向こう側から小さな声が返ってきた。
「……そちらこそ、なにをしているのですか? 随分と賑やかに……」
「当然です。祭りですから」
「祭り!?」
裏返った声が、洞窟内に響いた。
「アマテラス!!」
ウズメが、ステージを降りて駆け寄ってくる。
熱狂する観客を魅了していた妖艶な踊り子とはまるで別人の、天真爛漫な姿だった。
「そんなところに閉じ籠ってないで、早く出てきて!」
「その声は、ウズメ?」
「あああのっ! うっ、ウズメさん服! 服っ!!!」
フトタマが狼狽する。
「服? 今それ大事?」
「大事じゃないですか!? 大事じゃないんですか!? 今は……違うのか? いやっ、いやでも! やっぱり!!」
「落ち着きなさい」
フトタマを窘め、視線で祭壇を示すと、はっとした表情を見せて駆けて行く。
こんなときまで忙しないのだから、世話が焼けるものだ。
「ねぇアマテラス! お願い! こっちに来て!」
「そんなこと、言われても……」
消え入りそうな声だった。
「わたくしのこと、は……しばらく、放っておいてください……」
「そのようなこと、本気で仰ってますか? しばらくとは、具体的にいつまででしょうか」
「よくもそんなことを……! わたくしがいなくても、みなさん楽しそうにしているじゃない!! 」
塞ぎ込むあまり、いじけてしまっているらしかった。
「そうですね。今の貴女など、居るだけ迷惑です」
「オモイカネ!? なに言ってるの!?」
ウズメを始め、その場に居る人々の表情が凍りつく。
「これまでの意識のままでは、私たちは、同じ過ちを繰り返します。生まれ変わらなくてはいけないのです。そのためには、私たちには強力な統率者が必要。その方を迎える祭りをしていたところです」
コヤネとフトタマに頷いてみせると、二人は祭壇に飾られていた鏡を、扉の向こう側が映るように掲げた。
ウズメが、そういうこと、と呟く。
「見て、アマテラス! あなたもきっと喜んでくれる!」
「え…………? どなたか……いらしてるの?」
薄暗いせいで、よく見えないのだろう。
扉が、再び動く。
扉の影に身を潜めていた町一番の力自慢で大工のタヂカラオが、隙を突いてアマテラスの腕を引いた。
その瞬間。
一筋の光が射し込み、一瞬にして洞窟内に満ちた。
鶏の大合唱が始まる。
夜明けだ。
目が眩み、身動きがとれない。
静けさに包まれ、やがて、じんわりと空気が暖まるのを感じた。
胸の拍動が、脳にまで響く。
慣らすように、ゆっくりと、目を開く。
アマテラスは…………。
タヂカラオに腕を掴まれたまま、地面にへたり込んでいた。
彼女が閉じ籠っていた岩の扉には、大きな注連縄が張り巡らされている。
……作戦通りですね。
ほっと息を吐くと、連鎖するように、至るところから息遣いが聴こえてきた。
「アマテラスー!」
最初に声を発したのは、ウズメだった。
アマテラスに抱きつき、もう離さないと言わんばかりに、その腕に力を込めているのが判った。
「うっ、ウズメっ。くるし……っ」
「あっ! ごめん!」
明るく謝るその声に、人々が笑う。日常的な光景だった。
脈拍が、落ち着いていく。
「どうしたんですか? オモイカネさん」
「はい? なにか?」
フトタマの問いに、疑問を抱いたのはこちらの方だ。
「なんでもありませんよ。ね、フトタマ」
コヤネが、紳士的な笑顔を見せる。
「え? ……あ、はい」
フトタマがコヤネと私の顔を交互に見て引き下がると、コヤネが満足げに頷いた。
私は、この男の意味深な態度が得意ではない。
「もぅっ! みんな心配したんだからね!」
「あの…………はい、ごめんなさい……」
ウズメの叱咤に、アマテラスが呆然と謝罪を口にしている。
しかし、なにか納得していない様子だ。
「訊きたいことがあるなら、はっきり言ったらどうですか」
促すと、戸惑いながら、しかし意を決したようにはっきりと口を開いた。
「……新しい統率者とは、どなたですか?」
「新しい、統率者……?」
その言葉に、だれもが首を傾げた。
「だれが、そんなことを言いました?」
「だれがって、あなたが言ったではありませんか! 生まれ変わるとか! それにさっき、どなたかと目が合いました……。はっ! もしかして、この中のどなたか……オモイカネ!? まさかあなたなの!? 白々しく演出までしてっ」
「いい加減にしなさい」
突然の妄言に、額を押さえる。
しかし、勘違いを誘う方法であったことに違いはない。
「確かに、演出はしました。この中に居ることも、間違っていません」
扉の傍らを指差す。
「かがみ……?」
このために拵えたばかりの、大きな鏡が転がっている。
「ほかでもない、貴女ですよ」
「……………………うそ」
「ウソなわけないじゃん! ねぇ!」
ウズメが周囲の人々に投げ掛けると、 示し合わせたかのように一同が頷く。
「……ほんとうに?」
「ホント! それともアマテラス、あたしたちのこと、信じられないの?」
その問い掛けに、アマテラスは全力で首を振り否定した。
「でしょ!」
ウズメが鼻高々に笑う。
「こんなにも必要とされているのです。私たちを導いてくれるのは、貴女以外に考えられません。ほかに適任が居るなら、どうぞ連れてきてください」
町長の瞳に、溢れた感情溢れだす。
零れないよう堪えながら、笑顔を見せた。
弱く脆いところもあるが、それを知るからこの女は強く優しい。
その気高さを、私は尊敬しているのだ。