46.美味しくない
移植が終わったその日の夜の食事は、なんだか進まなかった。
お腹も空いてるし、今のところ特に気分も悪くないのに。
まぁこんな日もあるかなと、半分ほど食べたところで片付けてもらった。
でも、それは次の日も同じだったんだ。なぜだか食べられない。食事が美味しいと感じられない。
もしかしてこれ、味付けおかしいんじゃないか?
「あ、颯斗くんまた残したの? 朝も残してたよね?」
御膳を下げにきてくれた園田さんが少し眉を寄せている。
「うん。なんか全然美味しく感じられなくってさ」
「え、本当? あ、もしかしてそれ……味覚障害かも」
「みかく……しょうがい?」
その言葉は聞いたことはあるけど、詳しくは知らない。園田さんはコクンと頷くと説明してくれた。
「抗がん剤の影響で味覚障害になる人もいるし、骨髄移植をした人にも見られる症状なんだけど……なんにも味を感じないって人もいれば、甘味だけが感じられないって人もいるし。颯斗くんはどう?」
「うーん、どうだろ……とにかく美味しくない。味はするんだけど、ちょっと苦味を感じるっていうか……」
最初は作ってる人が調味料を間違えたのかと思ったけど、どうやら原因は俺の方にあったらしい。
味覚障害って、マジか……食事を美味しく食べられないとか、ちょっと泣ける。
「そっか、わかった。先生に伝えておくね」
その後、三時のおやつに出された袋入りのクッキーも、全然美味しいとは思えなかった。口の中でボソボソする感触と、ちょっとの苦味。苦いクッキーとか本当に不味くって、半分食べて吐き出してしまった。
まさか味覚にくるとか、盲点だ。病室から出られないから、食事は唯一の楽しみだったのに。
でもちゃんと食べないと、せっかく戻ってきた体重がまた減っちゃうよなぁ……。
大きな溜め息を吐いていると、ようやく小林先生が回診に来てくれた。
「颯斗君、味覚障害が出てきたって聞きましたけど?」
「うん、食べても美味しく感じないんだ」
「そうですか。移植の時に、口の中に違和感はありませんでしたか?」
「え?」
そう言われて、昨日の骨髄移植の時の事を思い出す。そういえば、口の中がちょっと臭いような、変な感じがした気がする。
「確かにちょっと気持ち悪かったような……」
「骨髄移植で味覚障害を起こす人は割といるんですよ。心配しなくても、しばらくすれば元に戻る人が大多数です」
「しばらくって、どのくらい?」
「一応は、治療が終わるまでと考えてもらっていいでしょう。人それぞれですけどね」
治療が終わるまでって、退院するまでってこと? マジかよ……長い。
まぁ一生続くものじゃないってわかっただけでよかったけどさ。
小林先生とやり取りした後の夜の食事も、やっぱり半分残してしまった。
お腹は空いてるのに、なにを食べても美味しくないとか.……結構キツい。食べたいのに食べたくないっていう矛盾。
そりゃあ、痛いのや苦しいのよりはよっぽどいいけどさ。美味しいものを食べる幸せって結構大きいものだったんだなって、しみじみ思う。
「あ、また残しちゃった?」
園田さんが俺のお膳を見てそう言う。今日はロングの日かな。朝から夜までの勤務の園田さんは、俺が全部の食事を残しているのを知っている。
「全然食べ足りないんだけど.……美味しくなくて、入っていかないんだ」
こんなことを言って、怒られるかと思った。ちゃんと食べないと治らないよ、とか、そんな風に。
けど園田さんの反応は、想像だにしないもので。
「明日から食事、変えてもらおっか?」
そんなことを言い出したんだ。その言葉の意味が分からない俺は首を傾げる。
「食事を.……変える? え、どういうこと?」
「普通の病院食の他にね、『こってり食』っていうのがあるの。それだとちょっと味が濃いから、誤魔化しながら食べられるかもしれない」
こってり食.……初めて聞いたな、そんなのがあったんだ。どっちにしろこのままじゃまともに食べられそうにないし、お願いする以外にない。
「じゃあ、そのこってり食っていうのに変えてもらうよ」
「わかった。明日から変えてもらうようにするね。あ、そうそう、八時になったら薬を飲むの、忘れないでね」
「うん、わかってる」
「じゃあこれ、明日からの一週間分のお薬。ここに置いとくからね」
それだけ言って、園田さんはお膳を持って病室を出て言った。
食後の薬はもう飲んでいるけど、それとは別に免疫抑制剤って薬を移植後に飲まなきゃいけなくなった。それが、毎日朝八時と夜八時の二回。
この薬は移植後の拒絶反応を抑制する薬で、今一番重要なものだ。絶対に飲み忘れのないように釘を刺されている。八時に携帯のアラームをセットしてるから、大丈夫だけどな。
結膜炎にもなりやすいからって、予防の目薬も出されてる。
元々飲んでた薬も多いし、管理が大変になった。ここに来て最初の頃は、全部看護師さんが管理して持ってきてくれたけど、ある日突然「颯斗くんなら自分で薬を管理できるでしょ」と任されてしまったんだ。
これが結構面倒臭くて。
朝晩だけ飲むもの、昼だけ飲むもの、夜だけ飲むもの、月水金だけ飲むもの、毎食後に飲むもの.……はっきり言って、めちゃくちゃこんがらがる。一週間分を分けて袋に入れるだけで、かなりの時間を取られるんだ。まぁ退院したら看護師さんはやってくれないわけだから、今のうちに慣れとけってことなんだろうけど。
俺はひとつ息を吐いて、園田さんが置いて行った大きなナイロン袋を手に取った。
中には一体何種類あるんだと問い詰めたくなるくらいの薬の量。それを一個一個に切り分けて、月曜の朝、月曜の昼、月曜の夜、と順番に分けて用意しておくんだ。
これをしてなかった時、全部なくなるはずの一週間分の薬が、一粒だけ残っていて冷や汗を掻いたからな。もうあんなことはないようにしないと。
俺は仕方なく、この面倒な作業を一人で黙々と続けてた。




