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再び大地(フィールド)に立つために 〜中学二年、病との闘いを〜  作者: 長岡更紗


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22.みんなボウズ

「っしょ、っと」

「無理しないでいいよ、ゆっくりで」

「うん、大丈夫。いけそう」


 俺は杖なし支えなしで廊下を進む。

 あれからものの一週間で自力で歩けるようになっていた。ちょっと右足は引き摺るような感じではあるけど、自力で立てなかったことを思えばかなりの進歩だ。


「よし、もう一歩かな。僕がいなくてもなるべくたくさん歩くようにして。どんどん使っていく方が戻りは早いから」

「うん、わかった!」

「でも、無理はしない程度にお願いするよー?」

「大丈夫大丈夫!」


 リハビリの塚狭先生に疑いの眼を向けられる。限界ギリギリまで動き回ってやろうと思ったのがバレたかな。


「じゃあ今日はここまで。颯斗くん、そろそろお風呂の時間だろ?」

「あ、そうだった」

「荷物、風呂場まで持ってあげようか」

「大丈夫、自分で行けそう」


 塚狭先生には帰ってもらい、俺は自分でお風呂の準備をすると風呂場に向かった。

 扉はまだ『使用中』のプレートになっていた。誰かが入っている証拠だ。俺はその前で待とうと壁に背をつけた、その時だった。


「ぎゃああああああああああっ」


 突如けたたましい声が響いて、思わず体がビクッと震える。

 風呂場からだ。この声は……祐介か?


「大丈夫、大丈夫だからっ!」


 中から木下さんの声が聞こえてきた。なにがあったんだろう。俺は思わず扉に向かって声を掛けた。


「木下さん? なんかあった? 大丈夫?」

「っあ、ハヤトくん? ごめんね、すぐに出るから!」

「や、俺はいいんだけどさ……」


 こんなやり取りをしてる間も、祐介の泣き声は止まない。ナースコールを押してる様子もないし、点滴トラブルとかではなさそうだ。

 少しして「待たせてごめんね」という木下さんの声と共に、涙でグチョグチョな祐介が風呂場から出てきた。


「どうした、祐介」


 俺が問いかけても、祐介はビエーと泣くだけで答えてくれない。

 視線を祐介から上に上げると、木下さんは困ったように眉を垂れ下げていた。


「さっきね、髪の毛洗ってたらゴッソリ抜けちゃって……お風呂出た時に自分の髪の毛がなくなってるのを鏡で見て、パニック起こしちゃったみたい……」


 そういう木下さんの声も涙声だった。

 髪の毛がなくなるって、否が応でも病気なんだって思い知らされるもんな。母さんも俺の髪が抜け落ちるのを見た時、同じ気持ちだったのかもしれない。

 俺は膝を折ると、視線の高さを泣きじゃくる祐介に合わせた。

 幼児だからって、ショックを受けないわけないよな。髪の毛がなくなるって、こんな小さな子にとってもつらいことなんだ。たかが髪の毛、なんて思っちゃいけない。


「祐介、見てみろ!」


 俺はツルツルになっている自分の頭をペチンと叩いた。祐介は一瞬泣き止み、髪の毛一本すらない俺の頭を見ている。


「ほら、俺と同じだな。おそろい!」

「おそ……ろい……?」

「っそ、祐介も守も俺も、みーんな一緒だ。だからなんにも泣くことないだろ?」


 そう言って祐介の頭を撫でてやる。残り少ない髪の毛が、またパラっと散っていった。


「ユウくんの髪〜っ」

「お、もっとおそろいになったな! 早くにいちゃんみたいな立派なボウズになれよ!」

「ハヤトおにちゃ、りっぱ……?」


 祐介は立派って言葉に弱い。これに食いついてくれればこっちのもんだ。

 俺は自分に頭をツルツルと大袈裟に撫でてみせた。


「俺みたいにこんな立派なボウズには、中々なれないんだぞ。祐介はなれるかな〜ちょっと祐介には無理かもなぁー」

「ユウくん、立派、なるもんっ」

「よしっ! 祐介も早く立派なボウズになれるといいな!」

「うんっ」


 祐介の目にはもう涙はなかった。代わりになぜか木下さんの方が涙目になっていたけど。


「ありがとね、ハヤトくん……」


 やっぱ、帽子を被らなくて正解だったな。祐介に隠すようなことでも泣くようなことでもないんだって、分かってもらえたなら良かった。

 と思った瞬間、祐介がとんでもないことを言い出す。


「ね、お母しゃんも一緒にボウズしよー!」


 待てぇぇぇええ、祐介!!

 それは駄目だぁああああああ!!


「ええっ、お母さんも!?」

「ボウズ、りっぱよ〜」

「う、うーんっ」


 木下さんは自慢の長い黒髪を持ち上げて眺めている。

 いや、それ切っちゃ駄目だろ! ましてやボウズとか!


「お母さんもボウズにしてほしいの?」

「うん、おそろいしよーっ」

「祐介がそう言うなら、お母さんもボウズにしちゃおうかなっ」

「ちょ、待て待てーーッ!!」


 俺はたまらずに止めに入った。

 木下さん極端だから、本当にボウズにしちゃうよこの人!!

 いきなりボウズになってる奥さん見たら、旦那さんだってショック受けるだろっ!!

 しかもその理由が、『ボウズは立派だ』って言ったからとか……俺のせいになっちゃうしっ!


「祐介、お母さんがボウズにしなくても、俺がおそろいなんだからいいだろ!?」

「お母しゃんも一緒がいい〜」

「あのな、祐介……」

「ああ、いいよハヤトくん。病院では髪長いのは手入れが大変で。切ろうと思ってたとこだし」


 確かに、洗髪所で髪洗うのは大変そうだったけど! でもボウズは駄目だ、どうにか止めないと!


「切るって言っても、ボウズにするつもりはなかっただろ?!」

「まぁそうだけど……でもほら、よくドラマとかであるじゃない? 友達とか家族とか、一緒になってボウズにするってやつ」

「あれやってんの男だけだし! 女はやっちゃ駄目だってっ!」


 俺の言葉に木下さんは迷いが生じたようだ。うーんと唸り声を上げて考え始めた。


「今はよくわかってないからボウズにしろって言ってるけどさ、よく考えてみてよ。祐介がもう少し大きくなった時、自分のせいで母親をボウズにさせちゃったんだってわかったら、苦しむのは祐介なんだよ?」


 俺の言葉に木下さんはハッとしている。

 やっぱり男と女じゃ髪を切るって……しかもボウズにするって、意味合いが違うと思うんだ。祐介のことを考えるなら、逆にボウズになんかしちゃいけないってことがわかると思う。

 俺は説得の対象を、木下さんから今度は祐介に変えた。


「祐介も、お母さんは綺麗な方が良いだろ? 長い髪のお母さん、似合ってるから今のままでいいよな?」

「えー、お母しゃんもボウズがいいー」


 くっそ、空気読めよ祐介ーーッ!!

 このまま説得できそうだったのに!!

 俺の気持ちも知らず、祐介は木下さんのボウズをご所望だ。どうすれば……。


「じゃあお母さん、髪の毛短く切ってくるから、それで許してくれる?」

「わかった、いいよー」


 カクッと俺の膝が折れ曲がる。あっさりだったな。結局子供ってその程度のもんか。

 でもまぁ、木下さんのボウズを回避できて良かった。


「ボウズにできなくて、ごめんね」


 木下さんはそう言って祐介を抱き締めていた。

 本当にボウズにしなくたって、その気持ちだけで十分伝わると思うんだよな。

 いくら応援の気持ちだからって、もし俺の母さんがボウズにしてたらふざけんなって逆に怒るしな。母親は他にたくさんの色んな応援をしてくれてるんだから、そこまでやる必要はないんだ。


「じゃあ、お父しゃんにボウズしてもらうー」

「わかった! 今度頼んでみよっかー」


 二人はニコニコ顔でそんなことを言い始めた。もうそこまでは面倒見切れない。祐介のお父さん、嫌なら自分で回避してくれ……。

 俺は二人を横目で見ながら、すっかり遅くなった風呂に急いで入った。


 次の日、木下さんの長かった髪はスッキリとしたショートヘアになっていた。祐介は勿論、木下さん本人も満足そうな笑顔だったので、これで良かったんだろう。

 その週の日曜には祐介の父親が来ていたけど、ボウズ頭にはなっていなかった。仕事の関係でボウズには出来ないって言ってたけど、木下さんと祐介に責められてて可哀想だったな。

 男だって髪は大事なんだから、ボウズは強要しちゃいけないと思う。自主的にやってくれたら、やっぱり感動するとは思うけどね。

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