15.初めての外泊
九月八日。
俺は病室の中をいそいそと片付ける。この日をどれだけ待ったことか。
「お、もう行く準備してるんですか。お母さんはいつ迎えに来るんですか?」
中に入って来た主治医の小林先生が俺の状態を見てニヤニヤしている。
そう、俺は今日から二泊だけ、外泊を許されたんだ!
治療もワンクールが終了して、二回目のクールが始まる前の休憩って感じだ。
「んー、多分そろそろだと思うけど」
「薬を持って帰るのを忘れないようにね。あと、お風呂に入る時はカテーテルに水がつかないように、ビニールとテープでしっかり防水すること」
「風呂に浸かっていいの!?」
「一番風呂ならね。出る時はちゃんとシャワーで流してから出てくださいよ?」
「はいっ!!」
うわぁ、久々の風呂だ!!
ジジくさいとでもなんとでも言え、俺はゆっくり風呂に浸かりたい!!
「じゃあ、点滴外しましょうか。血液が固まらなくする薬を入れて、ロックするからね」
そう言って小林先生はキュキュっとカテーテルと点滴を繋ぐ管を外した。そして注射器を取り出して、カテーテルの中にチューっと注ぎ込み、パチンとカテーテルの先端を閉める。ロック完了だ。
「わかってると思うけど、人の多いところに行くのは禁止ですからねー。もちろん学校もダメ」
「友達が俺ん家に遊びに来るのは?」
「うーん、あんまり大人数でなければいいですよ」
「よっしゃ!!」
「言っておくけど、性行為は治療が終わるまではやめてくださいね」
「っし、しないしっ!!」
なぜか俺に彼女がいることは周知の事実となっていて、みんなに色々とからかわれてしまう。
だーから俺と真奈美はまだキスすらもしてないんだってばっ!
……けど、性行為禁止か……ちぇ。
「じゃあ十日のお昼までに帰ってくるように。なにかあったらすぐにここに電話すること。わかりましたか?」
「わっかりました!!」
「返事だけはいいですね」
小林先生は失礼なことを言って、部屋を出て言った。
その後すぐに母さんがやってきて、外泊の手続きを終わらせて外に出る。もちろんマスクはしっかりしたままでだ。それでも久々の外の空気はめちゃくちゃ美味しかった。
一ヶ月と二週間ぶりの外は、暑かった夏が過ぎて、少しだけ涼しくなっている。
「車に乗って、颯斗」
「うん」
俺は母さんと一緒に車に乗って帰った。
久々に見る家はなんか懐かしい。中は『我が家』の匂いがする。俺は荷物を置いてソファに腰掛けた。
「香苗、そろそろ帰ってくるかな」
「学校終わったら飛んでくるって言ってたわよ。今日なんか学校休んで一緒に迎えに行くってきかなかったんだから」
「ははっ」
残念ながら今日は平日で、香苗は学校だし父さんは仕事だ。せっかくの外泊なのに、みんなと一緒にいられる時間が少ないのは悲しいな。
「あ、帰ってきたみたいよ、香苗」
母さんの言葉と同時に、玄関のドアノブがガチャガチャと激しく音を立てている。どうやら焦り過ぎて開けられないみたいだ。
「なにやってるのよ、あの子は……」
「あ、開いたみたいだ」
ガチャッと最後に音がすると、ドタドタっと走りこんでくる。
「お兄ちゃんっ!!」
「おかえり、香苗」
「お兄ちゃんもおかえりなさいっ!!」
飛びついて来る香苗を抱き止める。香苗は俺の腕の中で丸い顔をニコニコとさせた。
「香苗の顔、相変わらずまんまるだなぁ」
「そういうお兄ちゃんも、お顔プクプクだー。どうして?」
「ああ、これな。ムーンフェイスっていうんだって。ステロイドっていう薬の影響だよ」
「へぇ〜。太っちゃったのかと思ったー」
「や、まぁ実際太った……ステロイドで食欲も増進された上に、運動できないからなぁ〜」
「そうなんだ! よかった〜! 病気になっちゃったらガリガリになるのかと思って心配したんだよ!」
「大丈夫だって! 記念に写真撮っとくか!」
「うんっ!」
俺はスマホのカメラで香苗と一緒に写真を撮る。カシャッと音がしてすぐ確認すると、香苗と同じまんまる顔の俺が写っていた。あんまり似てない兄妹だって言われるけど、顔が丸くなるだけでそっくりに見えるから面白い。
「お兄ちゃんお兄ちゃん、今日は香苗と一緒に寝ようねっ」
「えー、お前寝相悪いからなぁ〜」
「お行儀よくするもんっ」
「わかったわかった」
この香苗が寝ながら行儀よくなんてできるわけがないけどな。たまにしか会えないんだし、蹴られても我慢するか。
香苗は次に俺の手を引っ張ってくる。
「お兄ちゃん、あそぼー!」
「香苗、宿題は?」
「後でするー」
「出せって、見てやるから。先にやっとくと楽だぞ」
「う〜〜〜〜っ」
香苗は「先にお兄ちゃんと遊びたかったのにとブツブツ言いながらドリルを出した。連絡帳を見ると、今日の宿題は算数のドリルと国語の音読みたいだ。
それを見てやってから、ゲームしたりトランプしたりして遊んだ。
夕方になって父さんが帰ってくると、久々に家族四人揃っての食事だ。
ウニは却下されたけど、刺身は色々な種類が食卓に上げられている。
「今日はご馳走だな!」
脂ののった刺身を見て、父さんが舌なめずりをしている。
「まぁ、久々に帰ってきたんだからこれくらいはね」
「じゃあウニも買ってくれたらよかったのに」
「それは全快祝いの時にしましょ」
「約束だからな〜」
母さんは『約束』とは口に出さずに『いただきます』とご飯を食べ始めた。
買ってくれそうにないな、こりゃ……。
久々に食べた刺身は美味しかった。家族全員で食べるから余計だな。
のんびりと浸かった風呂も、香苗と一緒に寝る布団の上も最高だった。
普通の生活ってこんなに有り難かったんだって、本当にしみじみ感じたんだ。
「ん……お兄ちゃん……」
香苗の蹴飛ばされた布団をかけ直してやり、我が家の香りを感じながら俺は眠りに落ちた。