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第四章 冬のドリームランド

 尚美の車は重量感いっぱいの4WDだ。

 民俗学関連の資料蒐集で全国津々浦々を飛び回っている。ときには山間の限界集落を訪ねることもあるし、この車の中で一夜を明かすことだってある。キャンプ用品などもしっかり装備している。

 ただし彼女がそうした機動力をフル活用して集めてくるのは、先述したようにキワモノの資料ばかり。──UFO、神隠し、呪い村など。

 フリーライターとしての仕事の場もそのようなネタを好むいかがわしいアングラ雑誌ばかりで……。加えて最近、紙媒体での仕事が激減してきている。と言ってネット上の仕事では中々現金収入に結びつかない。

 牧夫のほうはかんぜんなインドア派で、彼女の仕事を例の部屋でサポートしたりもしているのだが……。

 女は狩りに、とはいえ男は? といった感じの奇妙なカップルだった。

 その二人が今、夜の高速を飛ばし『裏野ドリームランド』へと向かっている。いよいよ牧夫も重い腰を上げたわけだが、ハンドルを握るのはとうぜん尚美。牧夫は免許を持っていないので、『ドリームランド』までの長い道のり、ずっと彼女が運転して行かなければならい。

 二人はすっかり着膨れしている。化粧っ気のない尚美の横顔に、ゴワゴワしたグレーのニットが妙に似合っている。

 要するに尚美待望の『裏野ドリームランド』行きは、二人の共通の友人である孝平からのプッシュなどもあったというのに、結局冬真っただ中の日取りになってしまったわけだ。

 牧夫は廃墟と化した終着地点の荒涼とした風景を思った。

「なんか登山靴みたいなのまで用意してもらったけどさ、この時期の『ドリームランド』って、やっぱ寒いの?」

「そりゃ山の上だし……。それにガラスの破片とかもあるから……」

「じゃあ来年暖かくなってからでなおすとか……」

「まだ言ってる。いつも行こう行こうって言ってたのに、榎本君が、今日まで動いてくれなかったんじゃん」

 やはり尚美は機嫌が悪い。

 前に一度、彼女と遊園地に行ったことがあった。今から向かう廃園などではない、普通の遊園地だ。めずらしく牧夫のほうから誘ったのだ。とはいえいろいろなコンテクストがあったわけだが……。確かに尚美は『ドリームランド』行きを言い続けていて、それを迎撃するような形で、逆に牧夫はこう言ってみたのだ。

「ほかの遊園地なら行ってもいいよ。たぶんそこにだってお化け屋敷の一つぐらいあるだろうし、だったらわざわざホラースポットなんか行って、ホンモノのお化けと対決することなんかないじゃないか。でも『裏野ドリームランド』は……。あそこはやっぱ俺にとっても、鬼門ってゆうかなんてゆうか……」

 すでに二人は体の関係になっていたが、牧夫としては鎌をかけるような気持ちもあった。それで彼女が逆ギレでもして、

 ──あんた何勘違いしてんのっ? 別にあんたとデートがしたいわけじゃないのよ! ただいろんな人と『ドリームランド』行ってみて、いつか例の噂の動かぬ証拠、この手で掴んでみたいってだけなの!

 などとでも言ってくれれば、むしろ安心だった。

 彼が彼女を初めて見たのは高一の春、北蘭学園松井高校で同じD組になったときだ。その時点で彼の人格はすでに固まってしまっていたので、そんな彼にとって例え括弧つきであっても、異性のパートナーがいる状態は、不安で不安で堪らないのだ。

 ところが彼女の応えは彼にとっては意外なことに、イエス。その上まさに花がほころぶような笑顔がついていた。

「ほんと? ほんとにいいの?」

 それはかつて、彼がクラス一の笑顔たちの中に加えていた笑顔だった。

 もう日本がネット社会に突入していた頃だ。ホームページをサーフィンし、直近の週末に予定を入れた。尚美はほん気ではしゃいでいるようだった。

 ただ残念なことに車の運転はもちろん尚美。それから、

「明日のお弁当お握りにする? それともサンドウィッチ?」

 と訊く彼女に対し、彼が例のパソコンに向かったままの姿勢で、

「マックにでも寄りゃいいんじゃない」

 と応え、ちょっとした修羅場を迎えるというエピソードもあったが……。

 車はいよいよ高速を降り、これから二人が青春の日々を過ごした神奈川県松井市を過ぎ、更に小一時間かけ旧称撒種山の頂上、『裏野ドリームランド』を目指す。

「榎本君、こわい?」

「べ、別に……」

「そう? 私はこわい。彼女、ぜったいでてくるから……」

 それが尚美の結論ならば、もう話すことは何もないはずだった。だが彼女は、なぜか言葉を切らない。

「これが終わったらさ、牧夫って呼び捨てにしていい?」

「別に今からでもいいけど……」

「ううん、これが終わったら。それからさ、今度また遊園地行こうよ。もちろん、今でもちゃんと営業してるとこ」

 彼女はほん気で怯えているのだろうか……。

 やがて山頂を削り取られ、そうしてできた人工の台地に『裏野ドリームランド』を押し戴いた旧称撒種山、またの名をUFO山の黒い影が見えてきた。『ドリームランド』へのアプローチはとうぜん通行止めになっているので、車はそこまで──。尚美も牧夫も着膨れの上に更にダウンジャケットを重ね、野太い懐中電灯を手に車を降りた。見上げると例の「だして……」の観覧車が、歪んだフレームを晒している。星空だけはやけに綺麗だ。

 懐中電灯の脇腹を叩き接触を確認しつつ、尚美が白い息を吐いた。

「おかしな連中はきていないようね。よかった……」

「おかしな連中? 暴走族とか?」

「まあそんなとこ──」

 尚美はもう慣れたもので、バリケードの先の道を登るのではなく、右手にある森に入り、獣道のようになった土の上をぐんぐん進んで行く。足もとは凸凹していて木の根なども飛びだしている。

 牧夫はすぐに息を切らせた。久し振りの運動発作だ。しかしなぜか、彼女に「待って」とは言えなかった。

 森の中の獣道を抜けると、そこはかつて芝生だったらしい草むらだった。すぐ先にフェンスがあり、その向こうにも同様の草むらが続いている。そしてアスファルトが打たれた『ドリームランド』のプレイゾーン。

 開けた場所にでて余裕がでたのか、尚美が牧夫の発作に気づいた。

「ごめんなさい! 榎本君、喘息だったんだよねっ? だいじょうぶっ?」

「ああ。でもやっぱ俺、情けないよな……」

「そんなこと言わないで! 少し右に行ったところにフェンスが破れたところがあって、中には汚いけどベンチもあるから、なんとかそこまでがんばってっ」

 そしてどうにか休めるところまで辿り着いた。かつてのカフェテラスの端だ。

 ここに二人でくることに関しあれほど強硬だった尚美が、今やかんぜんに取り乱している。

「ほんとうにごめんなさいっ。飴とか舐めるといいんだよねっ? ちょっと待ってて──」

 そう言ってポケットを探る尚美を制し、牧夫は、

「だいじょうぶ。ただの運動発作だから……。しばらく休んでりゃ収まるよ……」

 と告げた。

 そのときとつぜん異変が起こった。周囲がパッと明るくなり、エレクトリックな音楽が流れだしたのだ!

 見上げると観覧車のイルミネーションが灯っている。それだけではない。メリーゴーラウンドも楽し気な音楽とともに……。アクアツアー、ミラーハウス、ドリームキャッスル。看板のネオンを煌めかせつつ、他のアトラクションもみな復活している。

 夢でも見ているのだろうか? 『裏野ドリームランド』はかんぜんに再生していた!

 そして……。

 復活した馬車から降りてきたのだろうか? メリーゴーラウンドのイルミネーションを背景に、まだ少女のものらしいシルエットがこちらのほうに向かってくる。尚美も牧夫も息を飲んだままだったが、それでもやはり、最初に声を発したのは尚美のほうだ。

「優子……」

 イルミネーションを背にしてもなお、白い歯並びが輝いている。例のキューティクルの黒髪は、金環食のときの月の輪郭のようだ。尚美はその姿に見覚えがあった。あの夏の日、ここ『裏野ドリームランド』で消えたときのままの、重盛優子だ。

 セパレートの水着のようなタンクトップにホットパンツ。上に羽織ったベストもボタンも留めずひらひらしていて、「これは水着じゃないですよ」という言いわけのためについている程度だ。ただ靴だけは彼女の細い足首に比ししっかりとした存在感がある。

 驚異の復活を遂げた少女は、それらにまつわる様々な疑問を端から無視して、まずそのファッションについて触れた。

「ふふふ、凄い格好でしょ? もう尚美には見られちゃってるけど、ほんとはあの日、榎本君に観てもらいたかったんだ」

 言い終えると改めて尚美のほうに視線を据える。

「しばらく彼借りるけど、いいよね?」

「だめっ、今彼喘息で──」

 反射的に腰を浮かせた尚美だったが、優子のほうが動きが素早い。一瞬で牧夫との距離を詰めると、その上なんと、キスを奪った。もとは華奢な少女だったが、先述のようなファッションの上、更に身を屈めた姿勢。胸の谷間が深く刻まれた。

「これで楽になったでしょ? じゃあ、きて」

 そして優子は牧夫の手を取り、イルミネーションの渦の中へ駆けだして行った。

 その場に取り残された尚美も、二人のあとを追い、悲鳴のような声で叫んだ。

「だめっ! 榎本君! 行っちゃだめっ!」

 そんな尚美を実体を持った闇が包んだ。滅多やたらと腕を振り回し、更にその闇に爪を立てると、手の中で何かがグシャッと潰れた。見ると大きな蝶である。紫色の翅をしている。そう言えばこの闇自体、紫色の陰影を持っているような気がする。

 実体化した闇の中に、優子の声が谺した。

『<彼ら>によって選ばれた、私の仲間たち! 余りみんなを傷つけないで!』

「どうゆうことなのっ? 優子っ。<彼ら>って何っ?」

 優子は声はその問いには答えず──。

『上を観て! 尚美!』

 尚美を包む闇が遠ざかる気配がした。しかし星空は戻らず、天球全体が紫がかって見える。

『みんながこの園ぜんたいを覆ってくれているの! 自らの体を潰し、機械の破損個所を補完したり、油になったり!』

 尚美はなすすべもなくその場に立ち尽くすばかりだった。

 この蝶たちに護られた紫の闇の中では、時間の流れまで変わってしまっているのだろうか? 永遠とも思われる一ときが流れた。

 やがてイルミネーションが遠くのほうからぽつぽつ消えて行き、代わりに星がふたたび瞬きだした。天の川がはっきり観える。

 優子と牧夫が堅く手を繋ぎ尚美の前に帰ってきた。

「じゃあ約束通り、榎本君返すね。でもこのまま何も訊かず、……というわけには行きそうにないわね?」

 二人の手は繋がれたままだ。早くその手を放してもらいたいという思いもあったのだが、優子の最後の問いかけには、黙ってコクリと頷く以外ない。

「そう……」

 彼女のほうも深いため息とともに首を縦に振った。「じゃあ榎本君は、尚美の車のところまで一人で帰れるよね。バイバイ。楽しかった」

 ノロノロと歩きだす彼はゾンビのように見えなくもなかったが、こんなことまでできる優子が、わざわざ「返す」と言っているのだ。信じていいだろう。

「私たち普段はたくさんの虫になって、周囲の森の中とかで暮らしたりしているの。アクアツアーの水槽なんかに、隠れてた仲間もいたみたいだけど……」

 優子の話が途切れると同時に、多くの言葉が口をついてでた。

「彼に何をした? <彼ら>って何? それに早見君はどうなっちゃったの? 今の蝶たちの中にいたの?」

 彼女はまた「ふふふ」と笑った。

「最初の『彼』は榎本君のことだね? 尚美だいぶ慌てちゃってる。あんがい可愛いとこもあったんだ。<彼ら>というのは銀河連合の構成社会の一つ。金星人なんて呼ばれていたこともあったかな。最近あなたが調べていたUFO関連の人たちなんかからは……。早見君はね……。処理されちゃった……。もともとはね、彼と私は契約者同士だったの。<彼ら>らの介入の目的は地球固有種の保護育成だから、基本的には雌雄一組で選ばれ、この宇宙のどこかの惑星に移植されるの。でも選ばれた個々人の意思はぜったい的に尊重される。ほんとうに、ぜったい的に! それなのに彼はあの日、私たちがここを訪れたあの日、私からキスを奪って彼の虫をこの体の中に入れ、意思も奪って、<彼ら>さえも騙して移植のためのゲートを潜ろうとしたの。そんなことぜったいできっこないのに……」

「それで彼は?」という尚美の言葉の途中で、ふいにぼとっと、あの紫の蝶が落ちてきた。ぼとっ、ぼとっと、最初の蝶が呼び水になったのように、無数の蝶たちが落ちてくる。

 その蝶たちを見下ろす尚美の耳に、優子の哀し気な声が届いた。

「私のために無理させちゃったから……。それで力を使い果たして……。私たちの体、分解されるのがもの凄く速いの、それはもう融けるみたいに……。あなたたちには知られてはいけない存在だから……。早見君ももう、かんぜんに消えてしまった。物質的にも……。精神的にも……。早見君みたいな人がいっぱいでたからかな? ホモ・サピエンスの保護育成を銀河連合は凍結して、そして<彼ら>も、行ってしまった。すでに虫を植えつけられていた私たちには、ゲートを潜ることがまだ許されていたのだけれど、雌雄一組での移植がそもそもの大前提だし、私は榎本君と行きたかったけど、あの日きてくれなかったというのが即ち彼の意思なのだから……。尚美? これでいい?」

 優子の言葉通り、すでにジュクジュクと濃緑色の粘液を染みださせている蝶たちの屍から眼を上げ、尚美は言った。

「それであなたはどうするの?」

「どうするって、虫たちに還って……。でも今この形を解いたら、もう人間には戻れないかも……」

 それでもまだ去ろうとしない尚美に、優子は訝しむように小首を傾げる。「何? まだ何かある?」

「この形を解くって、ひょっとしてグロい?」

「そりゃあもちろん、あなたたちの感覚で言ったら……」

 尚美の声にある種の重みが籠もった。

「だったらそれ、観せて」

「えっ?」

「あいつ、あんたのことまだ引き摺ってんのよ。たぶんこれからも引き摺り続けると思う。だから、あんたのそのグロい姿を観て──」

「告げ口か何かするわけ? 無駄だと思うけどな?」

「ううん。私の中のけじめの問題」

「そう」

 優子の顔がなぜか冴え冴えと晴れ渡った。

「分った。じゃあ観て。でも観ると決めたからには、途中で眼を逸らしたりしないでね」

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