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第三章 夏のドリームランド

 久々に会った孝平の研究室は、高層にあり窓も大きく、講師だというのに中々の部屋だった。とはいえすでに日は落ち、その窓はかんぜんに鏡になってしまっていたが……。彼のデスクは窓際にあり、今はチェアを手前側に回している。牧夫は部屋の中ほどの応接セットを勧められた。

 孝平は相変わらずガリガリだったが、大学教員という職業を勘案すれば、それなりに堂に入ったものだろう。

「久し振りだね。ひょっとしてちょっと迷った?」

「いや、図書館なんかを冷やかしたりしていた」

「でも君、大学は?」

「三浪で挫折した。その後アニメの専門学校のシナリオライター・コースなんかに行ったりしたけど、そっちは半年続かなかったかな……」

「いや、懺悔はいいよ。それにしては大学構内の歩き方が、堂々としたもんだなと思っただけさ。なるほどそれも、織作さんの仕込みってわけか……」

「織作さんの?」

 そこでしばらく会話が途切れた。

 確かに三十過ぎまで平気でふらふらしていた牧夫に仕事を放ってくれたのは、彼女だった。とはいえオカルト関連のいかがわしい仕事である。そして段階的に、彼女の大学院での研究の下調べなども任されるようになったのだが、改めて孝平にそう言われると、いかにも彼女の掌の上で踊らされていたような気がする。

 加えて彼女の、『裏野ドリームランド』への妄執と言ってもいいようなコダワリの問題があった。高三のときにはもうすでに、彼女はかんぜんに浮いた存在になっていたのだ。

 そしてそんな彼女から、毎日のように連絡がきていた。机、下駄箱への置き手紙。電話。牧夫も学校では先述したような立ち位置だったが、多少とも両名と親交があった番場大輔なども、これには彼のほうに同情的だった。

「織作さんとの『裏野ドリームランド』巡り。言っちゃ悪いがありゃ地獄だぜ。みながキャアキャア言ってる中、彼女だけが表情一つ変えずギリギリと周囲を睨み、しかも同じアトラクションになん度もなん度も……。お前はぜったい行かないほうがいいぜ」

 そう言えばネットがようやく社会に浸透し始めた頃、アドレスを教えてもいないのに彼女からメールがきたときには、はっきり言って「呪いの手紙」でも受け取ったような気分になった。とはいえ当時はネットリテラシーなどあったものではない。そして問題のメールを開いてみれば、なんのことはない。

『……メールアドレスは津久井孝平君に教えてもらいました。……』

 ふたたび孝平に眼の焦点を合わせながら、あのときは不用心なことをしてくれたものだな、などと記憶と戯れる。が、もしも尚美に引っぱってもらわなかったら、自分はいったいどうなってしまっていたのだろうか、ホームレスにでもなって野垂れ死にしてしまっていたのだろうか、などと考えたりもする牧夫だった。そんな牧夫の思考の流れに、孝平の言葉がシンクロした。

「高校時代の最後の頃は彼女評判悪かったけどさ、ある種の研究者の間じゃ、あれでけっこう認められてるんだぜ。特に彼女が関わった資料集がさ。普通ならどこかの旧家に死蔵されていたようなものが、一応書籍の体裁を取って誰にでもアクセス可能になったりしてるんだから……」

「知ってるよ。でもその資料の選択にいかにもキワモノ的なところがあって、評判になる一ぽう、なんたら学会の重鎮たちから顰蹙を買ったりもしてるんだろう?」

「ああまあ、『民俗学会』とかね……。彼女、研究者としては崖っぷちだな……」

 そこで孝平の声のトーンが、ぐっと低くなった。

「今彼女が進めているのが市倉寿輝って詩人兼仏文学者の包括的な全集なんだが、予定通りなら中に一冊、アダムスキーばりのUFO同乗記が収まることになってる。ニューアカ・ブーム以来文学部なんて、盛ってなんぼ、吹いてなんぼ、とにかく目立ってなんぼって状態なんだけどな。さすがにUFOまで持ちだしたとあっちゃ、彼女研究者として終わりなんだよ」

「でもそいつの全集、これまでにも何冊かでてるんだろう? 出版助成金とか言って税金まで使っちゃってさ。それを今更……」

「彼女を潰しにかかっているのは他ならぬその全集の共同編集者どもさ。市倉って奴は根っからの山師でね。UFOにかぎらずオカルト全般に関わる一ぽう、革命家気取りでフランスの毛沢東主義者たちともつき合ってたんだ。そしてパリ生活の詳細な日記を残した。連中、そこだけをいいとこ取りしようってゆうのさ」

 二人とも高校時代より口調がぞんざいになっている。彼らも彼らなりに成長したのだうか? しかし……。

「どうにも話が見えてこないな。二週間前は大喧嘩でさ、『ドリームランド』に一緒に行くか、お前に会うか、二者択一の最後通牒を突きつけられちまったよ」

 孝平はふーっとため息を吐くと、チェアを九十度ほど回し背後のデスクを探る。そしてドサッと、A4サイズの紙束を放って寄こした。

「これは?」

「市倉寿輝文学博士の『撒種山UFO同乗記』だ。もうゲラが上がってきている。頂上を削られ『ドリームランド』になった山は、もともと撒種山と呼ばれていたのさ。そして地もと住民たちからはUFO山とも呼ばれていた。博士の『おばぁ』の話ってのにも、天女に誘われ金星に行ったとかって樵か何かの話がでてくる。彼女どうやら、以前からコダワっていた『ドリームランド』の子供たちの失踪の件を、宇宙人によるアブダクションか何かの線で考えているみたいなんだ。まあ確かに、同園入場後十年ほどのスパンで観れば、失踪者も相当数でているようだ。そのゲラに主に地方紙からのコピーのスクラップと、彼女自身による解説文の草稿がふされている」

 牧夫は見るとはなしにその紙束をペラペラやっていたのだが、ふと呟くように「お前もそれ信じてんの」と言うと、デスクのほうから思ったより強い口調で、

「まさか! そんなわけないだろ! でもそれが世にでちまったら、彼女研究者としてかんぜんにお終いなんだよ! 『ドリームランド』つき合ってやれよ! そうすりゃ彼女も、何かが吹っ切れるのかもしれないじゃないか!」

 と、早口の言葉が浴びせられた。これには牧夫も少々ムッとし、思わず顔を上げると、

「だったら君がつき合ってやりゃいいんじゃないか! そこまで真剣に彼女の才能、惜しむ気持ちがあるんならさ!」

 と応じた。数十年のときを超え旧交を温め合っていたはずの二人に、思いのほか険悪な沈黙が流れた。

「そうやってまた逃げるんだな、お前は……」

「何言ってんだ。逃げたのはお前のほうだ……」

 そしてまた記憶への遡行が始まる。

 牧夫と優子とが言葉を交わすようになって、彼女が例の図書室にまでくるようになると、孝平は自然にフェイドアウトして行った。やがて彼女につられ、尚美と純一もそこを訪れるようになった。純一は天井近くまでびっしり並んだ大量の書籍に賛嘆の声を上げ、

「これ、俺たちも借りられんのか?」

 と眼を輝かせた。牧夫はそんな純一をチラチラ見ながら──。

「『Newton』とかは理科部のものだから、理科部の誰かに訊いて……。『S‐Fマガジン』その他のA6サイズの雑誌とSFの文庫本は、もともと津久井君の私物なんだ。たぶんだめだとは言わないだろうけど、一応確認するまで待って……。僕が持ち込んだ本はもちろん自由に持ってってくれていいんだけど、角川文庫とかソノラマ文庫とか、SFとしてはユルい本ばっかだからなあ……」

 借りてきた猫のような牧夫のすぐ隣りで、鈴が鳴るような歓声が上がった。

「私それでいい! ううん、それがいい! ねえ、榎本君がこないだ読んでた本、あの本貸してよ!」

 優子だった。牧夫はますますしどろもどろになってしまう。

「もっ、もちろんいいけど、でも……。あれはアニメのノベライズ版で、そっちのほうにちゃんとした創元文庫版があるから、やっぱそっちのほうが……」

 さて、部室に顔をださなくなった孝平だったが、牧夫が廊下で声をかけると、別に屈託はない様子だった。

「あの本の貸しだし? あれは部に寄贈したもんだ。好きにしてくれて構わないよ」

 それどころか、

「今君たち五人だよね? 僕を入れて六人。理科部の人たちに協力してもらえば十人の線がクリアできて、正式な部活として認めてもらえるんじゃないかな。今度入部届の用紙もらってくるから、君たちの分、書いて持ってきてよ」

 と、またしてもいろいろ骨を折ってくれるようだ。

 優子たち四人分の入部届。実は牧夫は断わられるような気がしていたのだが、それも気持ちよく記入してもらえた。しかしほんとうのところを言えば、優子たちの入部がお流れになり、また以前のSF研に戻ってくれればいいのにな、などと思っていたのだが……。

 とはいえ表面上、彼らに非の打ちどころはなかった。

「これで俺たちも正式なSF部員か。榎本君、これからもよろしく頼むよ」

 クラス一の生徒たちが書いた入部届が、クラス一の笑顔とともに牧夫の手の中に集まってきた。ふと牧夫は尚美のほうを見た。

 ──やっぱ織作さん美形だなあ。メイクなんかしてなくても、笑うと自然に、メイクしたみたいになるんだなあ。

 にも関わらず牧夫は不安で、特によく話しかけてくる優子を、ときにおそろしく感じたりすることもあった。

 夏場は野球部の練習時間が長くなり、そうなると純一はSF研にはこられない。するとなぜか大輔と尚美もどこかに行ってしまい、優子と二人切りになってしまうのだった。そして優子はときどき、牧夫を更に不安にさせることを言った。

「なんか榎本君ってさあ、いつまでも打ち解けてくれないよね。どうしてかなあ?」

 ──それは重盛さんが可愛い過ぎるからです!

 と言う言葉は、心の中では自然にでた。だが結果的に、牧夫のほうがむすっと押し黙っているような状況である。

「『人間失格』は読んだ? SF以外読まないなんてこと、言わないよね? 私ってほんとは、あの大庭葉蔵みたいな子だよ。いつも必死に楽しい子を演じてるけど、そしてその演技はかんぺきに近いんだけど、ある日竹一ってクラスメイトに、ふいに全て演技だってこと、見破られちゃうの。あ、それは私じゃなくて葉蔵のことなんだけど……」

「ごめんなさい。教科書に載ってる三葉の写真のとこまでしか、僕は……」

「ふうん。じゃあ今度読んでおいて。葉蔵は竹一のこと、演技を暴かれたこと以外では一々ばかにしてるんだけど、私はね、彼は竹一とずっと友だち同士でいられたら、あんな風にならなかったのになって、思ってるんだ。演技を暴かれるっことはね、裏を返せば、自分のこと解ってもらえてるってことなんだから……。それがヒント……」

 太宰は案外読みやすかったという印象だけが、今も残っている。だが優子が言っていることを理解する勇気は、牧夫にはない。未だにそれを、はっきり言語化して理解していない。

 夏休み直前、SF研による『裏野ドリームランド』見学の話が持ち上がった。同部としての名目は併設されているプラネタリウムの見学だったが、少なくとも牧夫にとっては、クラス一のセレブたちによるグループデート以外の何ものでもない。しかも女子二人に男子三人だ。

「津久井君にも声かけてみるよ。彼が行くんだったら、僕も……」

 と子供みたいなことを言う牧夫に対し、優子はいつになく厳しい口調で言った。

「だめ! ぜったいきて! 万が一こなかったら、私あなたを赦さないから!」

 ほんとうに孝平にも連絡を入れた。

 牧夫としてのこの件の落としどころは、余りもののヲタク男子二人、カフェテラスで粘りながら文庫本でも読んでいようというものだったのだが、当の孝平はさすがに行けないと答えてきた。

 優子に言われてから太宰を読み続けていた。当日は『斜陽』を持って行こうというのが、彼なりの「誠意」だった。

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