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第一章 秋の四畳半

 秋の日は釣瓶落とし──。

 今どきよく見つけたなというような古い四畳半のケバだった畳を、西日が黄金色に染め上げている。

 尚美の脳裏に、数秒前眼の端が捉えた自身の乳首の黒ずんだベージュが、残像のようにチラつき、瞼を離れない。

 くたくたになったブラウスが肌に貼りつき、腕が袖を通らない。

 ふと見ると牧夫は、尚美を置き去りにさっさとPCに向かってしまっていて、その背は相当まるまっているのに、なぜか壁のようだ。

 彼女も彼もフリーライターだった。したがって彼女にも、今彼がやっていることがすぐ理解できた。ファイルをUSBメモリーに移し、あとは自宅(=実家)に持ち帰って、というわけだ。同時にテキスト・ファイルなどは、ちょっと開いてチェックしたりもしているのだろう。

「今日の分の原稿? 捗ったの?」

「うんにゃ。まだまだこの部屋暑くってさーっ。PCの音もなんかへんだし……」

 彼は振り返りもしない。

「メールで送ったら?」

「けっこうデカい動画ファイルがあるし……。それにバックアップも兼ねてね」

 動画ファイル? と言ってもちろん彼は、製作サイドではない。どこかにレビューでも書くのだろうか? ひょっとしてそれは、アダルト・コンテンツなのかもしれない。

「エロは止めてよ……」

「うん……」

 HDいっぱいの動画ファイルに、それらに仮のリンクを張った、お勧め文のHTMLファイル。そんな状態ではもはや「単純所持」とは言えないだろう。同じシノギの仲間たちから、最近なん人か逮捕者がでていた(もっとも容疑はチャイルドポルノ関連で、加えてみな不起訴だったが……)。しかしこの二人、仕事を選べる立場ではない。

 阿佐ヶ谷に牧夫が借りた、彼の仕事部屋だった。

 木造モルタル。四畳半一間。トイレ炊事場共用。バスなし。おまけに夏場は、ゴキブリが大量発生する。そこで慌ただしく「愛を確かめ合った(?)」、その直後だった。

 ようやく服を着終え、尚美が恨みっぽいトーンで続ける。

「ねえやっぱ……。私の部屋で会えないかなあ……」

「えーっ? 浦和あーっ? せっかく都内に部屋借りたんだしさーっ」

「だから、こっちに越してきちゃっていいから……」

「枕変わっと俺、眠れないんだよねーっ」

 毎度毎度平行線の話になる。

 かぎりなく惨めなことを言ってはいるが、彼女は中々の美形である。アーモンド形の瞳。女優のような鼻筋。唇もナチュラルメイクなのに異様にセクシーで、これで本格的にメイクをしたら、ちょっとこわいくらいである。残念ながら「この歳にしては」と、つけ加える必要があるのだろうが……。とはいえ相当な「美魔女」になるだろう。

 大学も某有名大学の大学院をでている(ただし文学研究科比較文化学科博士後期課程単位取得終了と、就職的にはイマイチな最終学歴なのだが……)。

 織作尚美。高校時代から優秀だった。ところがその高校時代の二年目の夏、いや、春から? 彼女の運命は少しずつ狂い始めた。

 そして男のほう、榎本牧夫については、もともとこんなものだっただろう。この男との腐れ縁こそ、彼女にとって最大の不幸かもしれない。その始まりが高二の春、北蘭学園松井高等学校SF研究部への入部だった。

 北蘭学園松井高等学校。所在地名が校名に入っているが、公立ではなく私立である。普通科と商業科が併設されている。ただ残念なことに立地条件が悪く、偏差値的にもイマイチ振るわない。尚美には中学時代荒れていた一時期があって、結果その成績にそぐわない同校に進学することになった。

 そして問題のSF研なのだが……。尚美たちが入部する以前、部員はたった二名だった。したがって学校側は未承認。数年前から部員数ゼロで休眠状態になっていたものを、牧夫ともう一人の男子生徒、津久井孝平が復活させたという形になっていた。とはいえ部活の新設には二十名以上、休眠状態からの復活にも十名以上の入部希望者が必要という決まりになっているので、それはかんぜんな与太話だった。

 にも関わらず同部はなぜか、理科部の部室をいつのまにか侵食。文化部には部室が与えられず放課後の教室で細々と活動するのみという同校の残念な状況下にあって、めずらしく部室確保の文化部であり、なおかつ部員は二名だけという、淋しくはあるが最高の「住環境(?)」を達成していた。

 もっともこれはもう一人の旧来メンバー、孝平の活躍に由るところが大きい。彼はそれまで乱雑に積まれていた理科部の蔵書を整理、第三種郵便の封も切らずに放置されていた『Newton』などの中綴じの雑誌もきちんとバインダーに収め、背ラベルも貼り、いつでも閲覧可能状態にした。更に自分の蔵書も持ち込み、理科部の部室は同校の第二の図書室と化した。孝平が持ち込んだ本の中には講談社〈ブルーバックス〉なども相当数あり、加えて理科部の連中だって、もともとSFも嫌いではないのだ。また理科部が野鳥観察などで校外にでる際、SF研の二人に留守番を頼むこともあった。案外Win‐Winの関係だったのだ。

 しかし牧夫は、孝平が整理した理科部+SF研の蔵書をただただ読み漁るばかりで……。当時から現在同様だめ人間だったわけだ(しかもSF研の部長はなぜか孝平ではなく、牧夫……。なんなんだ、コイツは!)。

 さてそんなSF研に、謎の接触を試みる美少女があった。重盛優子。尚美の親友。そしておそらく、彼女の不幸の直接的原因……。つまり……。

 重盛優子は失踪したのだ。

 尚美、牧夫、それにこの優子も加え、他に二名。五名の若い男女が一堂に会した、あの青春の日から数ヶ月後、夏真っ盛りの『裏野ドリームランド』で……。

 当時から尚美は化粧っ気がなかった。

 それゆえ優子とは親友同士と言っても、尚美が一ぽう的に引き立て役に回っていた感じだ。優子は背が低く色白で、多少儚気なところがあった。しかしアイドル級の美少女で、押しだしは弱いが表情が明るく、たぶんクラスで一番人気だっただろう。そしてそんな人気者の翳には、口さがないヒソヒソ話が常につき纏うもので……。

『なあ、織作ってさあ、なんだかちょっと怪しくないか?』

『うん、ありゃレズだな。間違いない。髪だってゴムで後ろに纏めてるだけでさ。ヘアケアになんか、ぜんぜん金使ってないもんな。あれでも女か?』

『だからさあ、男なんだよ。男。俺ほんと、重盛さんの純潔が心配だわーっ』

 だが当の二人にとっては、そんな噂話など全く関係ない。かんぜん無視だ。更に牧夫も……。

 彼はクラスで孤立していて、話相手の一人もなく、昼休みなども自分の席から動くことなく、弁当も食べずに文庫本に読み耽っていたのだった。……とはいえムッツリ助平だった。実はそうした「男子生徒たちによる『女性ゴシップ誌』的微エロ井戸端会議(この呼称自体は孝平に因る──ただし、北蘭SF研界隈限定)」にも、ハヤカワ文庫SFや創元SF文庫の表紙の背後で、しっかり聴き耳を立てていたのだ。

 ──何言ってやがる。織作さんってあれで案外、美人なんだぜ。俺はむしろ、彼女のほうに一票だね。

 もっとも彼は恋愛からも青春からも早々に降りてしまっていたので、それで尚美のことをどうこうしようというわけではなかった。結局、かえって陰湿だったわけだ。

 ところでそんな牧夫と孝平とは、男女に分かれ二クラス合同で行われる、体育の授業で知り合いになった。

 牧夫も孝平も高校に入ってからも喘息が抜けず、寒い時期にはちょっと走っただけで、引きつけのような運動発作を起こした。それゆえ体育はたいてい見学。他の生徒たちに言わせれば「お前らは楽でいいよな」という話なのだが、当の二人にはなんとも長く、そして屈辱的な時間だった。

 見学とはいえ授業中なので、校庭の隅に三角座りなどさせられながら……。同性が相手でもやはり牧夫は消極的で、最初に話しかけたのは孝平のほうだった。

「昼休みにたった一人、弁当も食べずに文庫本読んでる人がいるって噂なんだけど、それって君のことだよね? 何読んでます?」

「今は『ブレードランナー』の原作」

「おっ、ディックですか。いい趣味してますねえ」

「そう? 俺はとにかく、パンクと名のつく奴が大っ嫌いでね。ボコられて金取られた記憶しかない。だからとうぜん、あのサイバーパンクって奴も……。あんな奴らが反体制? 笑わせるね」

「まあその手の人たちだってニーチェの箴言の一つぐらいは暗唱できるでしょうからね。そうなるとなぜか、弱者こそが強者だなんて、そんな話になるわけです。文弱の徒は辛いですね」

 それからは体育の見学のたびに、なんとなく言葉を交わすようになった。

 ボケとツッコミならぬ、グチとツッコミ。牧夫はその頃からかんぜんなオヤジ体型。一ぽう孝平は高身長だがガリガリ眼鏡。ザ・ヲタク的凸凹コンビだった。しかし、牧夫は……。

「俺もまあ傍から見りゃしっかりヲタクなんだろうけど、でもヲタクのヲタク嫌いってのも、どうしようもなくあるんだよね。モビルスーツの名前言い間違えたぐらいのことで、なんで中学三年間、ネチネチネチネチ嫌味言われ続けなけりゃならないの? おまけに監督の富野は神様扱い。奴の作品は『ライディーン』辺りから復習しとかないと、『えっ? そんなことも知らないのっ?』」

 それでも孝平は北蘭学園松井高校SF研究部復活の作業を坦々と進め、一年生の夏休み開けには、先述の第二図書室を完成させてしまった。

 シェルター? いや、秘密基地!

 ネガティブなことばかり言っている牧夫だったが、そうなるととうぜん、そこに入り浸ることになった。

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