最初のリアルイベント
周囲からはささやかにリズムを刻む音が聞こえる。カッカッと、小動物が軽く引っ掻くようなそれは、以前ならば対して気になるものではなかった。しかし、真剣になった今だからこそ耳障りに感じ、恨めしい。
(ぐぬぬぬぬ……)
青年は自身の机に広がる何枚かの紙と睨み合っていた。その紙には、特におかしなところがない彼の母国語で綴られているのだが、右手に持つペンは、金縛りにあったように全く動く気配がない。
それはなぜか?
答えは簡単。勉強不足で頭の中がすっからかんだからである。長年付き添ってきた母国の言葉は、今は大魔王のごとく難問を突きつける。彼の頭脳という戦闘力はこの世界では村人にも等しく、果敢に挑むも大魔王の膨大な生命力を欠片も削れない。脂汗が額を伝う。このままではダメだ。
苦し紛れにそれらしい単語を、長年の怠慢で腐った脳から絞り出し、なんとか空欄を埋めていく。数打ちゃ当たる戦法で、同じ単語を何箇所かに書き記す。
しかし青年のキャパシティはかなしいほどに小さく、それでも全ては埋まらない。刻一刻と迫る終了時間、周囲から記入の音も次第に聞こえなくなり、更に青年の焦燥感は膨れ上がる。そしてそれは臨界点に達した。
ガタンッ!
「うぬがぁぁあぁあ!」
「君、黙りなさい!」
ゴーン、ゴーンと試験終了の音が鳴り響き、何名かの試験官が手分けして答案用紙を回収していく。通り過ぎざまに「こいつがさっきの」という珍獣を見るような視線を送られるが、青年は微動だにしない。
「それでは皆さん、退席してください。お疲れ様でした」
試験官の終了の言葉に、ガタガタと参加者が席から立ち上がり、出口へと向かっていく。
「おし正樹。帰ろうぜ」
試験中に叫び声をあげ、魂まで真っ白に漂白されていた青年、正樹に後ろから声がかかる。
「あー……うー……?」
「中毒症状はいいから、ほら、起立」
糸が切れた操り人形のように力無く立ち上がると、おぼつかない足取りで会場内から出て行く。
「しっかし、やっぱ最高だな、お前」
同じ会場で試験を受けていた友人、高沢陽介は嫌味なく笑う。同じ大学に通う同い年で、小中高とエスカレーター式で一緒に進み、バカレベルも同等だったので大学まで一緒になってしまった。日に焼けて褐色になった肌は健康的で、横に並ぶとインドア派の正樹が病的に白く見える。
「試験中に発狂して叫び声あげるなんて、前代未聞じゃね?」
「うるさいな、俺は死に物狂いだったんだ。カンニングしたとか、答え聞いたとかじゃないんだし、全く問題ない」
事実、あの行為によって正樹の点数が増えるような奇跡は起こらなかった。得たのは挙動不審者のレッテルと僅かばかりのリミッター解除、失ったのは十数秒の貴重な解答時間だ。
「周りの奴ら飛び跳ねてたけどな」
正樹よりずっと後ろの席だった陽介は本人の叫び声と、連鎖的にガタンッと身体をビクつかせた周囲の様子をリアルタイムで見ていた。
近くで寝ていた奴らは災難だっただろう。余裕をもって解答し突っ伏していたのに、ありえない奇声によって叩き起こされたのだから。
「ふん、あの程度で動揺するなんて危機管理ができてない証拠だ」
「試験期間に滝汗流してたのは誰だよ」
「あれは水をかけると文字が浮き出る特殊なカンニングペーパーを忍ばせてだな、わざと心拍数を上げ気づかれることなく水を発生させカンニングをするという手法を用い完全犯罪を成し遂げるという我ながら素晴らしい発想の元に…………」
トイレットペーパーのように口からデタラメを出し続け、自分はしっかりやったという自己暗示で自信を取り戻す。陽介はいつものようにはいはいと軽く流す。
「で、その成果は?」
世の中は結果が全て。たとえ結果論と言われても終わりよければ全ていいのだ。
正樹はふっと軽く鼻で笑い、目を閉じた。
「三途の川は余裕で渡りきったな」
「予想通りだなー。南無南無」
色々と終わってしまった正樹に向かって手を合わせる。正樹はその様子に口を尖らせて反論する。
「お前は良いよな、元々脳筋キャラなんだから」
脳筋キャラとは、ゲームなどで力を司るステイタスだけに特化した能力構成にし、他のものは一切上げないという火力馬鹿の事だ。威力は果てしなく高くなるが、当たらない、避けない、打たれ弱いなどなどその他が絶望的な性能になる。
「俺は本能に従った育て方するからな、今回のペーパーテストもやる気なしだった」
スポーツマンでもイケメン頭脳派というハイブリッド仕様の人間はいるが、陽介は旧型スポーツマンだ。つまりは勉強はからっきしの脳筋。
「まぁ、まだゲームも始まってないんだし、様子みようぜ」
ぽんぽんと肩を叩き、励ましてくる陽介に無気力な目を向け、二人は試験会場を後にした。
試験になぜゲームが関係するのか、それは年の初めの、とある発表によるものだった。