003
「あっ」
「あっ」
街に繰り出してしばらく歩いていると、僕は真星和と鉢合わせしてしまった。
今から調査をする訳なのだが、このタイミングは果たして丁度良いのか、分が悪いのか、心境的に微妙なところだ。
「…………」
「…………」
やはりこの子を前にすると、上手く話が出来なくなってしまう。
何というか、真星からは言葉に出来ないような威圧感を感じる。決して、怖い訳では無いのだが。
「……さっきのあれ」
「えっ?」
「さっきのあれ……あなたは何故分かったの」
さっきのあれとなると……ああ、あれか。
鞄に仕込まれたペーパーナイフと、真星の『最悪の結末』。どちらとも、僕の中の魔女が教えてくれた事なのだが、他人からはそうは理解して貰えない。
まるで僕が、以前から真星の事を知っていたかのように傍からは見えてしまう。これではまるで、僕が真星のストーカーのようだ。
まさか彼女も、そんなとんでもない事を考えているのだろうか。
「勿論、あなたの事をストーカーではないかとも思ったけれど、そこまでわたしは自分の事を持ち上げる人間ではないわ。それに、わたしと顔合わせするまではあなた、わたしの事全く知らないようだったし、そんな素振りをわざと見せたようには見えなかったわ」
また考えを先読みされてしまった。
釘を打たれる。これで、二回目。
まさか僕の素振りまで細かく見ていたとは……あなどれないなこの子。
「そうだな……ただの当てずっぽうだよ」
「そうかしら?ただの当てずっぽうで刃渡りまでは言えないと思うんだけど?」
「ぐう……」
僕はあの時、なんで刃渡りまで細かく言ってしまったのだろう。
後悔に次ぐ後悔。
ほんと、あなどれないなこの子。
「本当の事言っても信じないと思うけど、予言って言えば良いのかな?」
「予言?もしかしてあなた、探偵でもあり占い師でもあるのかしら?」
「いや、そうではないが……」
「それとも、探偵というのは世を忍ぶための姿で、本当は占い師であるとか?」
「全然違うよ!」
占い師になるために、世を忍ぶ必要など無いだろう。
そもそも、占い師になる気なんてないけど。
「僕が予言した訳じゃなくて……うーん……まあ知り合いに占い師みたいなのがいて……それで」
「知り合いが……ふうん」
知り合いと言うか、僕の中にいるんだけれど。これも知り合いの内に入るのだろうか?
上手く割り切るための言葉が思い当たらない。
「予言なんて、大抵は当たらないものなのに、あなたの知り合いの予言はよく当たりそうね」
「まあ、そうかな」
「もしかしたら、あなたに依頼するより、その方に依頼した方が良かったかしら?」
「…………」
「冗談よ。泣いてもらってもわたしが困るわ」
「勝手に泣いた事にされた!」
支離滅裂。
しても無い事を、やってる事にされた。
自分勝手とは、少し違うようだが、勝手な解釈は止めてほしい。
「ところであなた、一体こんな所で何をしているの?」
「えっ……ああ、調査だよ調査」
「調査?わたしの依頼の?」
「それ以外無いだろ……今から君の家を訪ねようと思っていたんだ」
「わたしの家?……あなた、わたしの依頼の内容を忘れたとは言わせないわよ」
急に真星の声色が低くなる。
何か、気に障ることでも言ってしまっただろうか。
「忘れてなんかいないよ。さっき契約したばかりなのに」
母親の恋人の信用調査。これで間違いないはずだ。
「だったら何故、わたしの家を調べる必要があるのかしら?調べるなら、むしろ相手の方の家が先なんじゃない?」
「まあそうだろうけど……一番手っ取り早そうな所から調べるとしたら君の家だったからさ」
手っ取り早いと言っても、真星の家が事務所から最も近かっただけ。
それに、依頼対象者の家の住所なんて僕は知らない。調べずに調査に出てしまったのだから、当然の事なんだが。
「……わたしの家に行った所で何も無いわよ。諦めた方が良いわ」
「えっ?それはどういう……」
「そのままの意味。調査する価値も無いわ」
何なんだこの拒絶反応は。
そんなに僕を家に近づけさせたくないのだろうか?でも、何故?
その理由の、見当がつかない。だからと言って、僕が調査を中止する気はさらさら無い。
彼女が何かを隠している事は、ここまで来ると、むしろあからさま。それが一体何なのか、僕は知りたい。
僕だって一応、新米ながらも探偵なのだから。
「……調査する価値なんて、君が決める事じゃない。それを決めるのは僕だ」
「あなた何を……わたしは依頼人よ。依頼人が調査を拒否するのなら、その方針に従うのが供給者の務めのはずよ」
「調査の方針を決めるのは僕達の仕事だ。依頼人には、それを変更する権利は無い」
「…………」
「…………」
相互沈黙。
次に出てくる言葉が、なかなか出ない。
やっぱり、不味い事を言ってしまっただろうか。
「……わたしも、まだまだ考えが甘かったって事ね。新人だからって聞いて、ちょっと嘗め過ぎていたわ」
「な、嘗めすぎてって……」
「あら、失礼だったわね。力量を見誤ったと言った方が良かったかしら?」
「それもそれでどうかと思うが……」
ニュアンスとしては変わっているが、意味としては変わっていない。
このままでは、僕は嘗められたままだ。ここは一発、彼女に然るべき言葉を言ってあげなくてはならない。
この場合の、然るべき言葉。
「僕だって、新人だけど一応探偵なんだ。調査の方は僕に委ねて欲しい」
「なるほど……だが、断らせてもらうわ」
「即答かよ!」
信用度、ゼロ。
信頼も何もあったものじゃない。
「確かに、調査の方針を決めるのはあなた達サプライヤー側の権利であると思うのだけど、そこに全くクライアント側が意見を申し立てれないと言うのはあまりにも理不尽かつ合理的な手段であるとはわたしには到底思えないのだけれど?」
「いや……まあ……」
ぐうの音も出ないとはまさにこの事だ。
一瞬の内に、立場逆転。僕の詰めの甘さが命取りになってしまった。
こんなのでは、嘗められてしまっても仕方ない。だけど、嘗められたからといって、僕は僕の意見を変える気は到底無い。
他人の道などどうだっていい。僕は、僕の道をひたすら歩むのみなのだから。
「それでもさ……僕が怪しいと思う限り、その場所は僕の調査対象になるんだ。悪いけど、君の意見を取り入れる事は出来ない。やはり先程からの君を見ていると、僕にはどうしても君が何かを隠しているように見えてならないんだ」
「…………」
澄ました表情を、なおも見せる真星。
しかし僕には、彼女は動揺しているように見えた。
「……だったら、あなたがそう言うのであるのならば、この依頼自体を白紙に戻して貰うわ」
「依頼を取り消すのにはキャンセル料金が必要だ。それに、君は僕に借金をしている。どうやって依頼を取り消すつもりだい?」
「あなた……わたしを脅迫するつもり?」
「そんなつもりは無いよ。ただ、それが現実問題だろ?」
「…………」
真星は黙り込んでしまう。
最後の足掻きだったとはいえ、少し強引過ぎただろうか。
後先考えずに行動してしまう。僕の悪い癖だ。
「……フフ、どうやら形勢逆転されてしまったようね」
追い詰められたというのに、彼女は僕に微笑して見せた。
諦めたのだろうか。それとも、まだ僕を問い詰める余裕でもあると言うのだろうか。
自然と身構えてしまう。
「あなた……この先にどんな結末があったとしてもこの事件を解決する自信はある?」
「えっ?」
意味深な言葉。僕には、そう思えた。
言葉の捕らえ方は、人それぞれ。もしかしたら、僕は真星に試されているのだろうか?
もしそうなのだったら、僕はそれに受け答えなくてはならない。
それが、提供者としての勤めだ。
「……絶対とは一概に言えないけど、解決してみせるよ」
「そう……だったらわたしに着いて来なさい。あなたが見たかった物を見せてあげるわ」
真星は僕に背を向け、前進する。
僕が見たかったもの……おそらく、彼女は僕を家へ案内しているのだろう。
でも、何故?さっきまでの強情な態度は何処に行ったんだ?
女心は秋の空とも言うが、そういう事なのだろうか。
「ここがわたしの家よ」
「……マジかよ」
絶句。
僕とした事が、さすがにこれは面食らった。
僕の目の前に広がっている風景は、一般人の住んでいる民家とは全く異なる、いわば異空間の遺物とも言えそうな不気味なものだった。
例えば、建物の壁や塀のいたるところに貼られたお札。例えば、玄関の周りにしきりに置かれてある溶けた蝋燭の数々。例えば、窓枠や扉の上に貼り付いている紙垂。
言い表すとしたら、ホラーハウス。
ここは遊園地じゃないんだぞ。
「どう?芸術的でしょ?」
「ああ……ある意味尊敬出来そうな美的センスだよ」
ある意味な。
ホラー的なセンスで。
「……これ全てお母さんがやったの。始めは気が狂ったのかとわたしも思ったわ。だけど……お母さんが気が狂った訳ではない事に気づいたのはしばらくしてから。あの男に縋りついていた事に気づいたのも……しばらくしてだったわ」
全て、事後。
真星の声色には、苦い物が含まれていた。混沌と渦巻く、悔しさ。
それでも彼女は、それを顔に出そうとはしない。
ポーカーフェイス。
「これがわたしの隠していた物の全て……あなたももう分かったでしょ?」
「ああ……お蔭様で分かっちまったよ」
紛れも無い、宗教及び霊感詐欺の手口。
何かを手放した劣等感を埋めるために、神へと縋る心理及び失ったものを悪霊に責任転嫁しようとする心理を利用した悪徳なもの。
おそらく真星の母親は、夫を失った原因が自分にある事を認めたくなかったのだろう。何が原因であろうと、離婚の要因の中心は夫婦間の仲であるのだから。
そんな足元を掬うかのようにして現れたのが、真星の母親の愛人。
全てが繋がりかけているのだが、それでも、それを裏付ける決定的な証拠が無い。
詐欺を裏付ける、決定的な証拠が。
「……一応聞いてはみるけど、不当な請求書とかは届いてないかな?」
「わたしの知る限りでは、そんな物見たことも無いわ。あったとしても、あの男が処分してるはずよ」
「まあそうだよな普通……期待はしてなかったけど」
「もし仮にそんな物を見つけたら、それこそ探偵に調査なんて依頼せずに警察に届けるもの。それくらい、常識でしょ?」
「何だか小ばかにされた気分だ……」
「そのつもりで言ったんだけど、伝わりにくかったかしら?」
「十分と言わず伝わったよ!」
むしろ、更に小ばかにされた気分。
言葉の暴力反対。
「……そういえば、証拠能力がある物は無いけど、ちょっと気にかかる物ならあったわ」
「気にかかる物?」
「ええ。一応保管はしておいたのだけど、証拠にはなりそうになかったから軽視していた物よ」
真星はショルダーバックの中から、ビニール袋で包装された紙切れを取り出し、それを僕に渡す。
随分と几帳面なんだな。
「セロハンテープで留めているから、そこから剥がして頂戴。決してビニールを破ったら駄目よ」
「…………」
訂正。
かなり几帳面な奴だった。
僕は爪で擦って、セロハンテープだけをどうにか剥がし、中身の紙切れを取り出す。
どうやらその紙切れはメモであるらしく、紙には殴り書きのような字体で『あした、申請今日』とだけ記されていた。
「お母さんが電話をしながら書いていた物よ。ゴミ箱に捨ててあったから、ちょっと拝借させて貰ったわ。何かヒントにでもなったかしら?」
「うーん……どうだろう。ただこのメモ、何か違和感を感じるんだよな……」
「違和感?」
「うん。ほら、『あした』は平仮名で書いてるのに対して、『申請今日』だけは漢字だし、メモにしては欠落している部分が多過ぎる気がするんだよなあ。何というか、ピンポイントされてる物が無いと言うか……そんな感じだな」
「……そう言われると確かに不自然ね。なかなか様になってるような意見だと思うわ」
「まあ……一応探偵だからな」
「どうやらその様ね」
「その様って……僕を今まで何だと思っていたんだよ」
「そうね……尾行魔かしら?」
「それはただのストーカーだ!」
「じゃあ、女の子の尻を追うのを趣味にして双眼鏡から見える物に刺激を貰っている人かしら?」
「それもストーカーだ!」
尾行をする時もあるのだが、決して趣味なんかではない。
あくまで、職業上での事だ。仕方が無い。
「話は戻るけど、このメモ、他の事を指しているんじゃないかしら?」
「他の事?例えば?」
「そうね……例えば、『申請今日』のところなんかは『申請』の事を指しているんじゃなくて、何か別の物を指しているとか?」
「申請今日……しんせーきょう……しんせいきょう……もしかして……!?」
僕は確認のために、携帯電話をポケットから取り出し、ある人物に電話を掛ける。
もしかしたら、あいつなら知っているかもしれない。
「……もしもし」
『もしもし……茅乃木君かい?なんだい急に僕に電話なんて』
「ちょっと聞きたい事があるから、今からそっちに行っても大丈夫か?」
『今から?……うーん、僕にもそれなりの用事が……』
「どうせ昼寝かメカいじりだろ」
『ばれたか……まあいいや、どうせ暇だったし』
「じゃあ今から向かう」
『御土産忘れないでよね。できればケーキとかがいいかな』
「分かったよ」
『じゃあ楽しみにしてるよ』
通話終了。
僕は携帯電話をポケットの中に直す。
「誰と話していたの?あの調子だと、事務所にいた上司さんとは思えないけど」
横で僕の通話を聞いていた真星は、どこか訝しげにしていた。
「うーん……知り合いってところかな?とりあえず、ちょっと着いて来てくれないか?」
「……何かを掴んだの?」
「ああ……」
まだ確実性は無いけれど、もしかしたら、もしかするかもしれない。
例えるなら、物を掴んだと言うよりかは、その残像を掴んだという方があてはまる。
それでも、空を掴んでいるよりかはマシだ。
だから僕は宣言する。
言葉に確証は無いけれど、それでも、自信だけはあった。
何の当てにもならない、自信だけは。
「もしかしたら……尻尾を掴んだかもしれない」