こんな魔王が居たはずだ。
一つの世界に一人の英雄がいた。
英雄は一人でも幸せになれるようにと戦い続け、勝ち続けた。
英雄は強かった。否、強すぎた。
人々はやがて英雄を恐れた。
命を削るような戦いに赴き、勝利を収めながらただの一度も報酬を受け取らない英雄の心を疑った。
どんな戦いでもけっして敗北しない、その英雄の力に圧倒的な恐怖を覚えた。
どんなに疑われても怖がられても、顔も知らない誰かの幸せのために英雄はひたすらに戦い続け、守り続けた。
やがて、世界は平和になり英雄が戦う必要の無い世界になった。
英雄は素直に喜んだ。もう、戦わなくていいのだ、と。
英雄は今まで救ってきた国を訪れ、その平和に笑顔を見せていた。
だが、世界はやはり英雄を恐れた。
そして、世界は彼を魔王と呼び、人々は魔王を殺すための勇者を選び始めた。
英雄はやはり強かった。
幾百の勇者達を幾千の戦いの中で退けながら、ただの一人も殺すことは無かった。
それだけの強さがあった。
だが、英雄も心までは強靭ではなかった。
英雄はだんだんと疲れていった。
彼の心は次第に色褪せていき、ついに一人の勇者を殺してしまった。
世界はそれ見たことかと更に多くの勇者を送り込んだ。
彼はそれでも多くの勇者達を殺さずに退けていった。彼らにも家族が居るのだと、掴むべき幸せがあるのだと信じ続けて。
だが、それでも殺してしまう勇者はいた。
その度に彼は涙を流した。
彼が魔王と呼ばれ始めてから、3年がたった。
彼が殺してしまった勇者の数は3桁にのぼり、とうとう英雄は世界中の全ての幸せを願うことをやめた。
彼は世界中の人間を一人残らず殺し、平和を真に愛する魔族たちによる新たな世界を願った。
彼は自ら魔王を名乗り、各地に散らばる救われない魔物たちを集め魔王軍を作った。
そして、世界侵略を始めた。
魔王がこの地に生まれてから、二・三百年がたった。
すでにかつての王族や民はおらず、そのひ孫などが爺さんになっていた。
多くの地域が魔王、かつての英雄の支配下に落ちた。
魔王は魔王軍の一人の将、リッチによって不老になっていた。
幾億の人間が殺され幾億の魔族が救われた。
そんな中、この世界に一人の勇者が降り立った。
異世界より現れた勇者は瞬く間に世界中を魔王の支配下から開放していった。
そして、とうとう魔王の眼前にまでたどり着いた。
その様は、かつての魔王を思い出させた。
顔も知らない誰かのために独りで戦い続けていた、英雄だった自分を。
勇者は青年だった。15・6ぐらいに見える黒髪黒目の黒い軽鎧に身を包んだ細身のどこにでもいそうな凡人。
魔王は問う、「貴様は何を求めて、我の軍と戦い続ける?」
勇者は答える、「とりあえずは、飢えて死にそうだった俺を助けてくれた小さい町のおばちゃんの笑顔のために。」
彼は驚いた。自分にはそんな風に助けられたことなんて無かったし、自分は顔も知らない誰かのために戦っていただけだった。
魔王は更に問う、「貴様は何を守るために、我の城に来た?」
勇者は答える、「心が折れかけてた俺を慰めてくれた、大きな町の女の子の笑顔を守るために。」
彼は羨ましいと思った。心が折れかけていた頃の自分を慰めてくれるものは居なかった、英雄だった自分に向けられるのは敬意と畏怖だけだった。
魔王は再度問う、「貴様は何を信じて、我と戦う?」
勇者は答える、「俺を召喚したアニメみたいな美少女姫巫女さんの実力を信じて。」
彼は苦笑する。アニメ、というのは良くわからないが普通は異世界から強制的に連れてきた相手は恨むものではないだろうか?それを信じるなどとは・・・
魔王は最後に問う、「俺を殺して、お前は何をしたい?」
少しだけ口調が昔に戻った彼、かつての英雄、目の前の魔王に驚きながら勇者は答える。
「美人な嫁さんもらって、向こうに居る親父とお袋を安心させる」
その言葉に魔王は静かに微笑んだ。
この勇者は世界が滅ぼうとどうでもいいのだろう。
彼は今まで見てきた個人を救おうとしているだけだ。なんとも狭い世界だ。視野が狭く、自分勝手な思いでもあるだろう。
だが、それはとても羨ましかった。
魔王は王座から静かに下り、久しぶりに自らの愛剣であるかつての聖剣を手に取った。
その様子に勇者は静かに剣を握る手に力をこめる。
きっと彼の手に握られているのも聖剣なのだろうと、魔王は静かに思った。
そして、かつての英雄と現代の勇者は剣を交えた。
英雄の洗練された剣技が勇者を襲い、勇者の鋭い剣閃が応じていた。
幾千もの火花を散らし、空気を裂く音が魔王城に響き渡る。
英雄は今までに積み上げてきた経験に従い剣を腕を脚を勇者に向け、勇者は驚異的な反応速度でその全てに対処し反撃を繰り出す。
それは、一種の舞踏にも見え、血みどろの殺し合いを美しく見せていた。
名剣であっても刃が潰れ鈍器と化していたであろう打ち合いの中で、二人の手に握られた二振りの聖剣は立派に剣として機能し、お互いの命を奪おうと刀身を煌めかせていた。
徐々に傷が増えていく英雄と勇者だったが、かつての英雄は自らの不利に気づいていた。
彼を支えているのは今までの膨大とも言える経験だがそれ故に急に変わることはない。それは劣化することは無いが進歩も無いということだ。
ところが、目の前の勇者は違う。彼の剣閃はいまだに未熟だが、それでも互角。そして、未熟ゆえに今この瞬間にも進歩し続けている。
こんな状態を続けていればいずれ自分は競り負けるだろうと、かれは思う。
そして、その時は来た。
勇者の剣技がかつての英雄の剣を弾き、そのまま流れるように彼の右胸に深々と突き刺さった。
だんだんとかすれていく視界の中で、涙を流す勇者を見た。
(ああ、彼も俺と同じなのか)
英雄は人を殺すのが嫌いだった。魔王を名乗ってからは抵抗が少なくなったとはいっても、やはり嫌いなことに変わりは無い。
だから、せめて笑って逝こうと思った。
それが目の前の弱くて脆い自分と似ているようで全く似てない青年の負担を減らすことになるだろう。
そうして、かつて世界を救うために戦い続けた英雄はその生涯を閉じた。
これは優しすぎた魔王の生涯のお話である。