台風、川、氾濫。
耳をつんざくような轟音からやっと解放されたと思ったが、人混みの喧騒に今度は顔をしかめるしかなかった。いつもあれだけ広いと思っていた体育館が毛布などが敷かれてものすごく狭く見えるのはきっと俺だけではなく、隣で頭をバサバサ拭いている中山もだろう。
「はいはいー、初めての方はこちらで受付をお願いしまーす」
「あ、はい……って、なんだよ美沙じゃないか」
「えへへ、受付やってるんだ」
その可愛らしく笑う少女は俺のクラスメイトだ。普段制服姿しかみないせいか、私服姿が新鮮に思える。
「俺――島田数とあいつ、中山健次郎」
「えっ、二人で来たんだ」
「まあな、近所だったから一緒に避難してきたんだ」
「……はい、できました。じゃあ、中に入っていいよ」
「どうも」
俺は神経質に身体を拭いている中山を引っ張りながら中に入っていった。
暑い。
なんなんだよ、この暑さは。体育館の中は皆の熱気で蒸し暑かった。かといって窓を開ければ雨が吹き込んでくる。
「中山……」
「なんだよ」
「おまえ、うちわかなんか持ってるか?」
「扇風機ならあるけど」
奴はそう言ってハンドサイズのファンを渡してきた。なるほど、用意がいいな。
「見てよ、今丁度僕らのいるところの真上にいるよ」
奴はスマートフォンを俺に見せた。天気図が表示されていて台風の場所が表示されている。
「今までは愛知県にくるのはなかったからな。前の奴だって偏西風に乗れなくって和歌山の方に居座ってたしさ。まあ、でも今回は結構速い速度で行ってくれると思うよ」
なるほど、さすが理科の知識はクラス一。……まあ、学年で一番ではないが。
「あ、見ろよ中山。先生がテレビを持ってきたぜ」
体育教師らが大型液晶テレビをえっさほいさ持ってきていた。そしてそれをぼーっと眺めていると誰か男の叫び声が聞こえた。――と同時に隣で中山が悲鳴に近い声を上げる。
「や、やばい……川が……氾濫する……」
え、嘘だろ。
「こっちにくるかもしれない。あれだけ高い堤防があったのにもうそれを越えるという情報がきた。さっきのおっさんも同じだろう。やばい。やばいやばいやばい」
さーっと血の気が引いていく。
「中山、非常事態宣言を下す。今すぐ放送をジャックしてみんなに状況を伝えろ」
「わかった。おまえは?」
「安全に避難できるように手配をする。お年寄りも多くいるからな」
「了解した」
奴はぱっと立ち上がって放送機器がおかれているところに向かった。俺もすぐに立ち上がって受付の方へと急ぐ。体育館内の人々は薄々事態に気づいているようだ。もしもあの川が氾濫したらこの体育館はひとたまりもない。半分くらい沈んでしまう。
「美沙っ!」
美沙は雨風が吹き込んできていてびしょびしょになっている床を拭いていた。
「な、なに?」
「非常事態だ。川が氾濫する」
彼女の顔色がさっと青ざめた。
「今中山に避難指示を煽らせている。こっちは避難経路の確保と避難場所の受け入れ場所を探すんだ」
「……わ、わかった。この近くだと上沼公民館がすぐ近く。ちょっとそこは高台にあるから最悪床下浸水ですむかもしれない。そこへ行くには徒歩で5分くらいかかるわ。だけどこの雨だからどうなるかはわからない。お年寄りだっているんだから……」
「……どうもこうもない、そこに行くしかないだろ。ここにいたら確実に水没する」
「……わかった。すぐに連絡を取るから」
「頼む」
そのときスピーカーの電源が入る音がした。
「――非常事態、非常事態。川の氾濫の恐れがあります。みなさん落ち着いて聞いてください」
俺は奴のいる場所に走った。そして奴からマイクを奪うと
「避難先はここから約5分の上沼公民館です。状況を確認次第避難指示を出します。みなさん落ち着いて避難の準備を始めてください」
まさか、避難しに来たのにこんなことになるとはな。
「おい! 中山、島田! なにやっとるんだ!」
先生が怒鳴り込んできた。そりゃそうか。
「先生、今すぐ並ばせてください。山道を通りますから土砂崩れの可能性があります。人員を5、6人貸してください」
中山が的確な指示を出す。先生はそれにひるんですごすごと帰って行った。俺と中山はにやりと笑ったがすぐに険しい表情に戻った。
これからどうなるかはわからない。だけど俺は全力を尽くしてやっていかなければならない。
「た、大変だ!」
さっきとは違う教師が入ってきた。
「須坂美沙が……行方不明だ」
冗談だろ? そうしか思えなかった。
この物語はフィクションです。実在の人物・団体・地名とは一切関係はありません。