気弱な最強氷魔法剣士は、私を守る時だけ騎士になる
気弱な最強氷魔法剣士は、私を守る時だけ騎士になる
ポポロ村に来て三日目。
私は、人生で初めて「この人、大丈夫なのかしら」と本気で心配になる男性に出会った。
「す、すみません……!」
「え?」
「今日のスープ、少し塩を入れすぎたかもしれなくて……。もしお口に合わなかったら、別のものを作りますから……!」
食堂の厨房から、青年が今にも泣きそうな顔で頭を下げている。
白銀の髪。
整った顔立ち。
長身で、立っているだけなら騎士様のように凛々しい。
なのに、その本人は肩を小さく縮めている。
「ユリウスさん」
「は、はい!」
「私はまだ一口も飲んでいませんよ」
「えっ」
「どうしてもう謝っているんですか?」
「そ、それは……」
ユリウスさんは困ったように視線を泳がせた。
「……怒られるのが怖くて」
「…………」
私は思わず黙ってしまった。
その横で、幼馴染のミレイユが腹を抱えて笑う。
「エリナ。あんた、面白い男を見つけたわね」
「笑わないで」
「だって、料理を出すだけで怯えてるのよ?」
「僕は……争い事が苦手なんです」
「料理で争う人なんていないでしょうに」
「でも、味が気に入らなかったら……」
「普通は『次は気をつけよう』で終わるの」
「そ、そうなんですか……?」
「そうなの」
私はスープを一口飲んだ。
「美味しいですよ」
「……本当ですか?」
「ええ」
「……よかった」
ユリウスさんは、心の底から安堵したように笑った。
その笑顔は、とても優しかった。
◇
ユリウス・ガレオン。
二十歳。
ポポロ村の自警団員であり、この食堂の料理長。
そして――氷魔法と剣術の神童。
私は後になって、その事実を知った。
帝国軍の元将軍、ガレオン・ヴァルハルト。
その息子なのだという。
幼い頃から父親に鍛えられ、氷魔法では同年代に敵なし。
剣を握れば、一流の騎士ですら相手にならない。
なのに本人は、
「できれば剣なんて振りたくないです……」
と言う。
最初は冗談だと思った。
でも、本気だった。
「僕は、人を傷つけるのが嫌なんです」
食器を洗いながら、ユリウスさんはそう言った。
「敵だって、きっと誰かの大切な人ですから」
「……優しいんですね」
「い、いえ……僕が臆病なだけです」
「臆病と優しいは、別ですよ」
「そうでしょうか……」
「ええ」
私は笑った。
この人は、自分のことを何も分かっていない。
そう思った。
◇
「エリナ」
ある日の夕方。
ミレイユが私の肩を叩いた。
「何?」
「あんた、ユリウスのこと好きでしょ」
「なっ……!」
「分かりやすいのよ」
「そんなことないわ」
「じゃあ聞くけど、今日だけで何回厨房を見た?」
「……」
「五回」
「数えないでよ!」
「ほら」
「……だって」
「だって?」
「優しいから」
口に出してから、私は頬が熱くなった。
「誰にでも優しいのよね、あの人」
「そうね」
「子供にも、お年寄りにも、旅人にも」
「そうね」
「怪我をした冒険者の手当てもしてたし」
「そうね」
「料理だって、失敗した人には絶対に怒らない」
「そうね」
ミレイユがニヤニヤする。
「で?」
「……好きになったら、駄目なの?」
「いいんじゃない?」
彼女はあっさり言った。
「ただし」
「ただし?」
「あの男、自分が女に好かれると思ってないわよ」
「……そうなの?」
「たぶん、告白しても『罰ゲームですか?』とか言うわよ」
「そんな……」
「だから頑張りなさい」
私は小さく笑った。
「うん」
◇
その日の帰り道だった。
ポポロ村の外れで、男たちが道を塞いでいた。
「おい、女」
私は足を止めた。
十人ほど。
全員が武器を持っている。
野盗。
背後からミレイユが小声で言った。
「エリナ、走れる?」
「無理」
「私も無理」
「どうするのよ」
「……祈る?」
「今まで神様なんて信じてなかったでしょう」
「こういう時だけ信じるのよ」
野盗たちが笑った。
「金を置いていけ」
「持っていません」
「嘘をつくな」
「本当にありません」
一人が私の腕を掴んだ。
「なら、お前を連れていくか」
「離してください!」
「嫌だね」
その時だった。
「……その人を、離してください」
聞き慣れた声。
振り返る。
ユリウスさんが立っていた。
いつもの白い料理服。
手には、厨房で使っていた包丁。
顔は真っ青だった。
手も震えている。
「ユ、ユリウスさん……?」
「エリナさん……大丈夫ですか?」
「はい……」
「そうですか……」
彼は野盗たちを見る。
明らかに怯えていた。
「お兄ちゃん、怖いのか?」
「……はい」
ユリウスさんは正直に答えた。
「怖いです」
「なら帰れ」
「……それは、できません」
「なんでだ?」
「その人が、困っているので」
野盗が笑う。
「馬鹿か、お前」
「そうかもしれません」
ユリウスさんは俯いた。
「できれば、争いたくありません」
「じゃあ消えろ!」
野盗が剣を抜いた。
私に向かって振り上げる。
その瞬間。
「――やめてください」
ユリウスさんの声から、震えが消えた。
顔を上げる。
そこにいたのは、私が知っている気弱な青年ではなかった。
怒っているわけではない。
殺気を放っているわけでもない。
ただ、静かだった。
恐怖も。
迷いも。
躊躇も。
すべてが消えている。
「その人に、触れないでください」
野盗の剣が振り下ろされる。
ユリウスさんが一歩踏み込んだ。
包丁が――凍った。
パキ。
パキパキパキッ。
刀身を覆った氷が瞬く間に伸びる。
短い包丁だった刃は、銀白色のロングソードへと姿を変えた。
「な……」
野盗の顔が引きつる。
ユリウスさんは剣を構えた。
「申し訳ありません」
静かな声だった。
「ここから先は、僕の仕事です」
一閃。
野盗の剣が宙を舞った。
二閃。
地面から氷柱が突き上がり、男たちの足を止める。
三閃。
別の男が殴りかかる。
ユリウスさんは身体を僅かに傾けてかわし、その腕を掴んだ。
「痛っ!」
「すみません」
ミシッ。
「い、痛い! 離せ!」
「離します」
ユリウスさんは手を放した。
男が逃げようとする。
「ですが」
ユリウスさんは一歩だけ踏み出した。
「もう、誰にも触れないでください」
地面が凍った。
男の足元から腰まで、瞬く間に氷が駆け上がる。
残った野盗たちは、一人、また一人と武器を捨てた。
誰も傷つけていない。
誰も殺していない。
それなのに――。
誰も、彼に逆らえなかった。
「……帰ってください」
ユリウスさんが言う。
「次は、止められないかもしれませんから」
野盗たちは這うように逃げていった。
◇
「…………」
静寂。
氷の剣が溶けていく。
パキ、パキ、と音を立てながら、元の包丁へ戻った。
「……エリナさん!」
突然、ユリウスさんが駆け寄ってきた。
「怪我は!? どこか痛むところはありませんか!?」
「大丈夫です」
「本当ですか?」
「はい」
「よかった……」
その瞬間。
彼の手が震えていることに気づいた。
「ユリウスさん」
「はい?」
「怖かったんですよね」
「…………」
「さっき」
私は彼の手を取った。
冷たい。
そして、震えている。
「怖かったんでしょう?」
「……はい」
ユリウスさんは、小さく頷いた。
「ものすごく怖かったです」
「それでも、助けてくれた」
「……」
「どうして?」
彼はしばらく黙っていた。
そして、困ったように笑った。
「僕は、自分が傷つくのは怖いんです」
「はい」
「でも……」
彼は私を見る。
「エリナさんが傷つくほうが、もっと嫌でした」
胸が、大きく鳴った。
「……それだけです」
「それだけ?」
「はい」
「それだけで、あんなに強くなれるんですか?」
「僕にも分かりません」
ユリウスさんは首を傾げた。
「ただ、守らなきゃと思ったら……怖くなくなるんです」
「…………」
「不思議ですよね」
「不思議じゃありません」
私は彼の手を握った。
「それは、勇気ですよ」
「勇気……」
「はい」
「僕が?」
「あなたが」
ユリウスさんは、しばらく呆然としていた。
それから、ほんの少しだけ笑った。
「……ありがとうございます」
その笑顔を見て。
私は確信した。
私は、この人が好きだ。
強いからじゃない。
最強だからでもない。
怖がりながら、それでも誰かを守るために立ち上がれる人だから。
◇
「――で?」
少し離れたところから声がした。
「いつまで手を握ってるの?」
「ミ、ミレイユ!?」
彼女は腕を組んで呆れ顔をしている。
「私が来たことにも気づかないくらい夢中だった?」
「違っ……!」
「ユリウス」
「は、はい!」
「この子のこと、どう思ってる?」
「え?」
「好き?」
「す、好きって……」
ユリウスさんの顔が真っ赤になった。
「そ、それは……」
「ほら。言いなさいよ」
「で、でも……僕なんかが……」
私は彼の手を握り直した。
「私が好きだと言ったら?」
「…………え?」
「私は、あなたが好きです」
「…………」
「ユリウスさん」
「…………僕、ですか?」
「あなたです」
「……本当に?」
「本当です」
「……夢じゃないですか?」
「現実です」
「……」
ユリウスさんは両手で顔を覆った。
「ど、どうしよう……」
ミレイユがため息をつく。
「そこは喜ぶところでしょうが」
「だ、だって……!」
「はいはい」
私は笑った。
「ユリウスさん」
「はい」
「これからも、私のことを守ってくれますか?」
彼はしばらく考えた。
そして。
「……はい」
今度は迷わなかった。
「僕にできることなら、何でも」
その声は穏やかで。
優しくて。
少しだけ震えていた。
「でも……」
「でも?」
「できれば、僕のことも……」
彼は恥ずかしそうに目を逸らした。
「……守ってくれると、嬉しいです」
「もちろん」
私は笑った。
最強の氷魔法剣士。
誰よりも強くて。
誰よりも優しくて。
誰よりも臆病な彼の手を、私はもう離さなかった。
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