同じ場所に、違う目で。
初めて小説?というものを書いてみました。
読みにくかったり、誤字脱字が多いかもしれませんが大目に見てくれると助かります。
カラスである俺は、今日もクルミを車道に落とし離れて見ていた。
ある程度スピードが出ている車が俺の置いたクルミを勢いよく踏みつけ、パキンという音が鳴る。クルミは割れ、熱いアスファルトの上に転がる。
俺はしばらくそれを見つめていた。すると他のカラスが降りてきて見つめていたくるみの実をついばみ始めた。俺たちは仲間意識が強くても協力して食べ物を共有することはあまりない。餌の取り合いは日常茶飯事。誰かに取られる前に急いで食う、それが俺たちの基本だった。
今までの俺も生きるために急いで食べてり、横取りをしてきた。けれど今、目の前で起こっている状況を見て俺は動かなかった。というよりも動けなかった。
「俺たち、これがなきゃ食えないのか?」
俺は子供の頃から「人間は怖い。けれど、人間を使うと楽ができる」とそう教わってきた。
今までは道具を使うのは賢さの証。でも人間という「道具」は、クルミを割るだけではなく他の動物、俺たちの命を奪うことだってある。
「これは賢さなのだろうか。それとも、俺たちはもう自分で生きられないほど弱くなったのか?」
賢さは強さだと勘違いしていただけなのだろうか。いろいろな様々な感情や疑問が俺の中で渦巻く。
仲間達より知性があると自負している俺は人間達を観察し始めた。何かに疑問を持ったならそれに目を向け観察することが大切なことが俺にはわかっていた。
通勤、通学により電車にぎゅうぎゅうに詰め乗る人間、すれ違っても目すら合わせない人間。いろいろな人間がいる中で共通して誰も空を見上げていなかった。それどころか下ばかりを向いていた。
ただ時々、人間の子供が笑って言う。「カラスがクルミ落としてるー」と。
「俺たちは、人間を使っている。でも人間は俺たちを知っているのだろうか」
ある日、ガラス張りのビルの屋上に降りたとき、強い風が羽を撫でた。ふと、ガラスに映る黒い影に目が留まる。そこには俺がいた。濡れたように光る羽。鋭く尖ったくちばし。だが、それ以上に、どこか寂しげな瞳。
「これが……俺?」
仲間たちと同じようで、まるで違って見えた。
俺に“俺”があるのなら、仲間たちにもあるのだろうか。ただ餌をつついてるように見えるあいつらの中にも、小さな“何か”がいるのかもしれない。
人間が自分を持つというなら、イタチやタヌキは? 草むらの虫は?
動くのは、生きるため。それだけなら、俺らはただの仕組みでしかない。
でも今こうして立ち止まり、考えてる自分がいる。それに……少しは意味があってほしいと願ってしまう俺もいた。
今は羽の中でゆっくりと風を感じていることしかできなかった。
俺はある日、クルミを落とすのをやめた。仲間達は
「お前、どうやって食うんだよ?」「そんなことしても、意味なんかねえだろ?」そう言う。
「意味があるかどうかじゃない。俺が、俺だけの足で生きてるって感じたいんだ」と返す俺に「何様のつもりだ」やら「空ばっか見て、腹がふくれるのかよ」って仲間は俺を冷やかす。
割れたクルミを誰にも取られないように急いで取りに行く仲間達を横目に、力強く空に羽ばたいた。高く、高く、誰よりも高く。
下では割れたクルミや、ひかれた死体をつつく仲間の姿があった。
でも俺はその空間から外れることで、初めて自分という存在を確認した。初めて他の仲間達とは全く異なる価値観を得た気がした。
その次の日も俺は他の仲間たちと同じように、割れたクルミを急いでついばんだ。
「結局戻ったんだな」そんな声が聞こえた気がした。
けれど、違ったのは“俺がそれを知っている”ということだ。
前はただ生きるために食べていた。今は、自分で選んで、ここにいる。俺は餌をついばみながら、時折、空を見上げた。仲間の影が重なっても気にならなかった。
もう俺は、ただのカラスじゃない。
そう思えた瞬間、昨日と同じ空がまるで別の世界に見えた。
小説書くのって難しい。
書いている人尊敬です。
ありがとうございました。