第7話 もうひとつのリクエスト
放課後のチャイムが鳴ったあと、僕はいつものように教室で荷物をまとめていた。
そのとき、となりから小さな声が聞こえた。
「……一ノ瀬くん」
振り返ると、そこには**結城 美玲**が立っていた。
何か言いたげに、でも少しだけ視線を泳がせている。
「この前みたいに……また、動画を撮ってもらえないかな?」
思いがけないお願いに、僕は少し驚いた。
でも、次の言葉はもっと意外だった。
「今度は……少し動きがあるやつ。ダンスと歌、両方で」
思わず聞き返してしまう。
「……顔も、映っていいの?」
彼女は一瞬だけ黙って、でもすぐにコクリと頷いた。
「……ちょっとだけ、なら」
その答えに、胸の奥が静かに揺れた。
(もしかして――彼女は、気づいてるのかもしれない)
***
夕方、僕たちはふたたびあの空き教室にいた。
教室のカーテン越しに、オレンジの光が差し込んでいる。
「じゃあ……撮るね」
彼女は、スマホの前に立つと深呼吸をして、ゆっくりと歌いはじめた。
先日のものよりも、テンポのある楽曲。
それに合わせて、簡単なステップと手の振りが入っている。
彼女の動きは、ぎこちないところもあるけれど、どこか楽しそうだった。
顔の一部は自然と映ってしまう。でも――それをもう、彼女は気にしていないように見えた。
(あのとき画面越しで見た“推し”が、今、目の前にいる)
カメラ越しに見ていた彼女と、
学校で地味に振る舞っている彼女と、
どちらも本当で、どちらも同じ“結城美玲”なんだ。
曲が終わったあと、僕が停止ボタンを押すと、彼女は小さく笑った。
「……ありがと」
その笑顔に、言葉が詰まる。
気づけば僕は、彼女と手が触れそうな距離に立っていた。
少し動けば、すぐに届く。
でも、僕は踏み出せなかった。
***
帰り道。
駅までの道を歩きながら、彼女がぽつりと呟く。
「……これ、アップしてみようかな。自分のチャンネルに」
「うん。いいと思うよ」
「少しずつだけど……私、変われてるのかなって思いたくて」
その声は、小さいけれど確かだった。
たしかに彼女は、前よりもずっと前を向いている。
しばらく歩いたあと、ふいに彼女が立ち止まって、ぽつりと言った。
「……ねえ、一ノ瀬くん。もしさ」
「うん?」
「もし、“クラスの地味な子”が、アイドルだったら……どう思う?」
心臓が跳ねた。
目の前の彼女は、わずかに笑っている。けれど、その瞳はまっすぐだった。
「……本気でやってるなら、すごくかっこいいと思うよ」
その答えに、彼女はふっと目を伏せて、
まるで“確認できた”ような顔で微笑んだ。
「……そっか。よかった」
***
帰宅後、ベッドに寝転びながら、
僕は今日の彼女の姿を、頭の中で何度も思い返していた。
カメラ越しに見た彼女の笑顔。歌う声。動き。
もう“地味なクラスメイト”なんかじゃない。
でも、どこかで“等身大の彼女”も確かにそこにいた。
(彼女は、俺に気づいている。たぶん、もうとっくに)
(でも――今はまだ、名前を呼ばないままで)
この、少し不器用な関係が、心地いいと思ってしまった。
―――第7話・完―――
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