第69話「揺らぐ日常、ひとつの兆し」
火曜日の朝。昇降口を抜け、廊下を歩いているだけで、目線が刺さるのがわかった。
「ねえ、あれ……やっぱりそうなんじゃない?」
「うちのクラスでしょ?あの噂のふたりって」
目を合わせないように小声で交わされる会話。
ただ歩いているだけで、呼吸が浅くなっていくのを感じる。
教室に入ると、昨日よりも少しだけ人の気配が近い気がした。
それでも、美玲の席の周囲は妙に空いていた。
「おはよう、美玲さん」
僕はできるだけ自然に話しかける。
「……おはよう、陽斗くん」
返ってきた声は控えめだったが、昨日よりわずかに明るかった。
***
朝のホームルーム前、席に戻った佐伯が隣の席の友人に耳打ちしているのが聞こえた。
「さすがに、あれは……ちょっとやりすぎじゃね?」
「俺は別に、悪いことしてるようには見えなかったけどな」
クラスの空気が、ほんの少しだけ揺らいでいる。
***
昼休み。購買でパンを買い、階段の踊り場に戻ろうとしたところで声をかけられた。
「なあ、一ノ瀬」
振り返ると、佐伯がこちらに向かってくる。
「……あのさ、結城って、本当に……付き合ってるのか?」
「……違うよ。でも、大事な人だと思ってる」
僕は目を逸らさずに答えた。
一瞬、佐伯の目が驚いたように見えた。けれどすぐに、ふっと肩をすくめる。
「ふーん。なんかさ、そういうの……ちょっとカッコいいと思った」
それだけ言って、彼はポケットに手を突っ込みながら立ち去った。
(……変わり始めてる)
噂が完全に消えたわけじゃない。けれど、その中で少しずつ“理解”が芽生えはじめていた。
***
放課後。視聴覚室。
美玲は窓際で歌詞ノートをめくっていた。どこか、表情が柔らかい。
「……コメント、全部読んだの。昨日の投稿についたやつ」
「“美玲さんの歌、ずっと待ってました”って人もいたね」
「私、救われたの。画面の向こうに、ちゃんといてくれる人がいるんだってわかって」
「うん。あの言葉たち、ちゃんと届いてたよね」
美玲は小さく頷くと、真っ直ぐこちらを見つめた。
「私ね……また歌いたい。もっと、本当の自分で。もう逃げたくないって、思った」
「じゃあ、やろう。次のステージに進もう」
「うん……次の動画、どこで撮ろうか」
彼女の目がわずかに輝きを取り戻す。
「もう一度、あの広場に行ってみよう。今なら、もっと素直に歌える気がする」
彼女の言葉に、僕は頷いた。
「それなら、今度はもっと準備して、音響も強化しよう。動画のテーマも決めておくといいかも」
「じゃあ……“わたしの想い、今度こそちゃんと届けたい”っていうテーマで」
その言葉に、僕は少し笑って応えた。
「うん、最高のタイトルだね」
夕陽が射し込む教室で、ふたりの影が重なっていた。
―――第69話・完
ここまで読んでくれて、ありがとう。
噂って、本当にやっかいだと思う。
何も言ってなくても、勝手に独り歩きして、知らないところで“答え”が決まってて。
でも、そんな中でも――信じてくれる誰かがいるって、すごいことだなって実感した。
美玲さんの言葉も、想いも、ちゃんと届いてたんだって。
これから、もっと大変なことが待ってるかもしれないけど、僕は――あの人の隣にいたい。
応援やコメント、すごく力になります。
もしよかったら、また感想を聞かせてください。




