第57話「高まる鼓動、迫る影」
静かな控室に、美玲の浅い呼吸音だけが響いていた。
フェス本番まで、あとわずか。
氷室の試練を乗り越えたばかりなのに、胸の奥は再び強く締め付けられるような感覚に襲われていた。
(……大丈夫。私はできる。できるはず……)
そう繰り返し心の中で唱えるけれど、不安は簡単には消えてくれない。
窓の外には、春の柔らかい陽射し。
だけど、美玲の肌に感じる空気はどこか冷たかった。
***
「美玲さん……」
控室のドアがそっと開き、陽斗が顔を覗かせた。
一瞬で緊張を見抜かれたことに気づき、美玲はぎこちなく笑う。
「……平気だよ。ちょっと考え事してただけ」
陽斗は何も言わずに、美玲の隣に腰を下ろした。
しばらくの沈黙が、かえって心地よい。
「俺も、正直プレッシャー感じてる」
ぽつりと呟いた陽斗の声は、どこか弱々しかった。
「プロデューサーって立場でここまで来たけど……本当にこれでいいのかって、思う時があるんだ」
珍しく弱音を吐く陽斗に、美玲は驚きつつも、少しだけ肩の力が抜けた。
「陽斗くんでも、そんなふうに思うんだね」
「俺だって人間だよ」
二人の間に、ふっと柔らかな空気が流れる。
***
事務所の廊下は、いつもより静まり返っていた。
スタッフたちも、どこか緊張した面持ちで仕事をこなしている。
まるで、この空間全体が“フェス本番”に向けて息を潜めているかのようだった。
(この空気に飲まれちゃダメだ……)
美玲は自分に言い聞かせながら、歩みを進めた。
***
一方その頃――
高層ビルの一室で、星咲ほのかはスマホを弄りながら、薄く笑っていた。
「順調に仕上げてるみたいじゃない、結城美玲……」
デスクの上には、フェスの出演者リスト。
そこに記された“結城美玲”の名前を、爪先でなぞる。
「でも――そんなに簡単にスポットライトを浴びさせてあげないわ」
背後には、マネージャーらしき人物が控えている。
「準備は?」
「……ええ、予定通り進めています」
星咲は満足そうに頷いた。
「舞台に立つ前から、終わらせてあげる。これが、芸能界の現実よ」
***
陽斗は事務所の屋上に立ち、遠くの街並みを見下ろしていた。
風が少し冷たくて、シャツの裾が揺れる。
(美玲さんを守るって決めたんだ……俺がブレるわけにはいかない)
拳を握りしめ、深く息を吸い込む。
背負っているものの重さに押し潰されそうになりながらも、
それでも前に進むしかないことを、誰よりも分かっていた。
***
控室に戻った陽斗を、美玲が真っ直ぐな瞳で見つめた。
「陽斗くん……私、やっぱり怖いよ」
その言葉に、陽斗は微笑む。
「……怖いのは、ちゃんと前を向いてる証拠だよ」
美玲は驚いたように目を見開き、やがて小さく頷いた。
「うん……ありがとう」
張り詰めた空気の中で交わされた、たったそれだけの言葉。
けれど、それは確かに二人の心を繋いでいた。
(絶対に、負けない――)
美玲の鼓動は高鳴る。
遠くで、フェス本番へのカウントダウンが静かに進んでいた。
―――第57話・完――
一ノ瀬陽斗です。
美玲さんが頑張ってる分、俺も“支える責任”の重さを感じてます。
正直、プレッシャーに押し潰されそうになる瞬間もあるけど……それでも、前に進まなきゃいけない。
美玲さんが怖いって言った時、実は俺も同じ気持ちだったんだよな。
でも、怖さを共有できたことで、少しだけ強くなれた気がする。
これから先、星咲さんの動きも気になるし、きっと簡単にはいかない。
だけど、俺たちは絶対に負けないつもりだ。
もし、少しでも応援したいって思ってくれたら、
コメントや評価で力を貸してほしい。
その声が、俺たちの支えになるから。
次回も見守ってくれると嬉しいです。




