第5話 リクエストと本音
昼休みの終わり際、教室に戻ろうとしていた僕の背中を、誰かがそっと引き止めた。
「……一ノ瀬くん」
振り返ると、そこには**結城 美玲**が立っていた。
彼女は、いつもよりほんの少しだけ口元を引き結び、視線を伏せたまま、ぎこちなく言葉を続けた。
「ちょっとだけ、お願いしてもいいかな」
その声は小さくて、でもまっすぐだった。
***
放課後、僕は美玲と一緒に校舎の隅にある空き教室にいた。
誰にも使われていないその教室は、夕方の西日がちょうどきれいに差し込んでいた。
「……ここ、光の感じが好きで。静かだし、歌いやすいの」
そう言って彼女は、持参したスマホと三脚を僕に差し出した。
「録画ボタン、押してくれる? ……できれば、顔は映さない角度で」
頷いてスマホをセットする。
カメラ越しに彼女の立ち位置を確認して、ほんの少しだけ微調整。
「準備、できたよ」
合図を送ると、美玲は一度だけ深く息を吸い込んで、そっと目を閉じた。
そして、歌い始める。
その声は、やっぱり変わらず真っ直ぐで、でもどこか繊細で。
まるで透明なフィルム越しに心をのぞかせてくるようだった。
教室には音響なんてない。マイクもなければ、照明もない。
けれど、彼女の歌には、そんなもの全部いらないと思えるくらいの“説得力”があった。
数分後、曲が終わると、彼女はゆっくりと目を開けた。
「……変じゃなかった?」
不安げにこちらを見つめてくるその瞳に、僕は即答した。
「めちゃくちゃ、良かったよ。
顔なんて映ってなくても、ちゃんと伝わってきた。……気持ちが、ね」
彼女は少しだけ目を見開いて――それから、控えめに笑った。
「……そっか。よかった」
その笑顔は、まるで小さな成功を手にした子供みたいだった。
***
教室を出たあと、僕たちはなんとなく同じ方向に歩き出していた。
言葉がない時間がしばらく続いて、ようやく美玲がぽつりとつぶやいた。
「……なんか、変な感じだよね」
「ん?」
「学校じゃ全然目立たないのに、
誰も気づかないところで、夢だけ見てるなんて」
その声には、少しだけ寂しさが混じっていた。
「やってること、全部中途半端な気がして。
本当はもっと頑張ってるつもりなのに……届かないんだよね、なかなか」
その言葉に、僕は自然と口を開いていた。
「中途半端なんかじゃない。
あの歌、ちゃんと届いてたよ。少なくとも、俺には」
彼女は歩きながら、ふっと息を吐いて――少しだけ、こちらを見た。
「……ありがとう。なんか少し楽になった」
それは、ほんの小さな変化だったかもしれない。
でも、確かに“何か”が伝わった気がした。
***
その日の夜、僕は自室で撮った映像を確認していた。
映っているのは、顔を隠したまま歌う少女。
でも、そこには確かに“結城ミレイ”の本質があった。
(あの子がはじめて、“自分の気持ち”をこぼした気がした)
学校では地味で目立たない彼女。
でも、僕だけが知っている。
彼女が、本当はどれだけ強く、どれだけまっすぐ夢を追いかけているかを。
(この距離なら、まだ気づかれない。
けど、俺の中ではもう――ちゃんと始まってる)
それは、彼女の夢への第一歩であり、僕の本気の始まりでもあった。
―――第5話・完―――
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