第2話 ひとりのステージ
その夜、僕はいつも通りのルーティンをこなしていた。
白鷺台高校の帰り道、コンビニで半額になったスイーツを買い、帰宅してからはお気に入りのアイドル配信のチェック。
ただの“日常”――のはずだった。
PCモニターを二画面起動しながら、YouTubeの通知欄に目をやる。
《【アーカイブ】本日20:00配信|#結城ミレイ #カバー #歌ってみた》
その瞬間、僕の中で何かがカチリと噛み合った。
(今日、ミレイの配信あったんだ……)
思えば今日は、新学期初日のバタバタで、通知を見逃していたらしい。
再生ボタンをクリック。ヘッドホンを装着して、静かに“いつもの時間”に入り込む。
画面の中、彼女は歌っていた。
部屋の照明は暗く、ぼんやりとした暖色の間接照明に照らされている。
顔の輪郭は見えないけど、声、息の抜き方、ちょっと首を傾ける仕草。
それらすべてが、今日となりの席に座っていた**結城 美玲**のものだった。
心臓が、少しだけ高鳴る。
コメント欄には、常連らしきユーザーがいくつかのメッセージを残していた。
《やっぱこの歌ミレイに合ってるー!》
《今日も最高だったよ、ありがとう!》
《声の伸びがどんどん良くなってる気がする!》
再生回数は、まだ千にも届いていない。
それでも、確かにこの場所には“ファン”がいた。
そして配信の最後、彼女はぽつりと呟いた。
「……まだ、全然ダメ。でも、もっと届くようになりたいなって思ってるから」
その声に、僕は息を呑んだ。
自信なさげだけど、真っ直ぐで。
怖がっているようで、それでも前を向いていた。
(やっぱり……間違いない)
今日、教室で聞いたあの声。
返事の「はい」、ノートを渡されたときの「ありがとう」。
そして、配信でのこの言葉。
全部が、繋がっていた。
──彼女が、結城ミレイなんだ。
画面を閉じるタイミングを見失い、僕はしばらくヘッドホンを外せなかった。
***
次の日の朝、教室に入ると、美玲はいつものように静かに座っていた。
誰とも話さず、視線を下げて、カバンからノートを出す所作までが丁寧だった。
だが、僕は気づいてしまった。
今日の彼女の声が、ほんのわずかに掠れていることに。
(昨日、配信であれだけ全力で歌ってたから……)
そう考えた瞬間、なんだかおかしくなって、ひとりで笑いそうになった。
今までは“画面の向こう側”の存在だった彼女が、隣の席にいる。
しかも、それを知っているのは、たぶんこのクラスで僕だけだ。
それって、すごいことだと思った。
でも同時に、少しだけ怖くなった。
もしこのことを誰かに話したら――彼女はどう思うだろう。
きっと、いや、絶対に迷惑だ。
だから、この“気づき”はまだ僕だけの中に閉じ込めておこう。
そう思った。
***
放課後、ふと忘れ物を思い出して教室に戻ると、僕は聞いてしまった。
「……いつか、ちゃんと届きますように」
それは、誰もいないはずの教室から聞こえた、短いフレーズの鼻歌だった。
そっとドアを開けると、美玲がひとり、窓際で立っていた。
教室の隅で、カーテンが少し揺れていて、彼女の横顔が西日に染まっていた。
彼女は誰にも気づかれていないと思っているのか、無防備に歌っていた。
声は小さく、でもきちんとしたメロディがそこにあった。
(ああ……やっぱり)
疑いは確信に変わり、僕の中に熱のようなものがこみ上げてくる。
あの日、スマホの向こうから響いていた声。
公園で、ほとんど誰もいない中、真剣に歌っていたあの子。
そして今、教室で歌っているこの子。
全部、ひとつに繋がった。
彼女は間違いなく、俺の推しアイドル――結城ミレイだった。
***
教室のドアを静かに閉めながら、僕は心の中でそっと言葉を紡いだ。
「君の歌は、あのとき僕の世界を変えた。……だったら今度は、僕が君を変えてやりたい」
誰にも届かない声が、やがて誰かを救うなら。
その“誰か”に、僕はなりたいと思った。
―――第2話・完―――
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