第13話「この声が届くなら」
夕暮れの広場。
僕――一ノ瀬 陽斗は、スピーカーとマイクのチェックを終えて、大きく息を吐いた。
結城 美玲は、少しだけ緊張した面持ちでステージ代わりのスペースに立っている。
まだ人通りはまばら。だけど、この場所ならきっと大丈夫だ。
「準備、できたよ」
「……うん」
彼女は、小さく頷いた。
***
最初の一歩は、誰だって怖い。
でも――彼女はもう、逃げないって決めている。
「無理しないで。自分のペースでいいから」
僕はそう声をかけた。
それに、美玲はわずかに微笑んで。
「ありがとう。一ノ瀬くん」
そして、そっと息を吸い込んだ。
***
音楽が流れ始める。
美玲の歌声が、広場に響く。
最初は誰も立ち止まらない。
でも、その声は空気を少しずつ変えていく。
(……届いてほしい)
(この声が、誰かの心に)
***
1曲目が終わる頃には、ちらほらと足を止める人が現れた。
子ども連れの家族、学生、買い物帰りの人たち。
誰かがスマホを取り出して撮影しているのが見えた。
美玲は、それにも動じない。
歌いながら、少しずつ表情が柔らかくなっていく。
(楽しんでる……本当に、歌が好きなんだ)
***
2曲目。
彼女の声は、さらに伸びやかに響いた。
自然と広がっていく拍手。小さな歓声。
通りがかった人たちが次々に足を止め、輪が広がっていく。
スマホのカメラがいくつもこちらを向いている。
(これが……俺の推しだ)
(誰が見ても、誰が聞いても――)
(本物だ)
***
歌い終えたあと。
美玲は少し照れくさそうにマイクを持った。
「今日は、少しだけ……聴いてくれて、ありがとうございました」
その声に、拍手が大きくなった。
彼女は深く頭を下げて、マイクを置いた。
***
片付けをしながら、僕は彼女に声をかけた。
「……お疲れさま。すごかったよ」
「……ありがとう。一ノ瀬くん」
彼女は、小さく微笑んだ。
その顔は、今までで一番自然だった気がする。
「……楽しかった。やっぱり、歌うのが好きだなって」
***
その夜。
SNSでは、早速今日のライブ動画が投稿され始めていた。
『偶然見かけたストリートライブの子、やばいくらい上手いんだけど……』
『この子誰?』『本物のアイドル?』
コメントは少しずつ増え、いいねが伸び始めている。
(これから、きっと忙しくなる)
(でも――それは、彼女が選んだ道だ)
画面の向こうで、彼女の歌声はまた誰かの心に届いている。
―――第13話・完―――




