第1話 教室のあの子
新学期の朝、僕は例年通りのテンションで白鷺台高校の門をくぐった。
周囲は「進級だー!」「また担任あいつかよー!」と浮かれた声で溢れていたけれど、僕――**一ノ瀬 陽斗**はそんな熱量とは無縁の人間だ。
人付き合いは最低限、昼休みは一人で屋上、趣味は動画編集と推しアイドルの配信チェック。まあ、いわゆる“目立たない系男子”である。
「……ってことで、席順は出席番号順に適当に座ってくれー」
そう言ったのは、新任らしい若めの教師だった。口調はラフで、学ランの前を開けていた生徒に注意もせず、教卓の前でプリントを配り始めている。
教室に入っても、僕のテンションは相変わらず低空飛行。
すでに何人かは固まり始めていて、知り合いグループが笑い合っていた。
新年度の教室なんて、少し早く始まったゲームのロビーみたいなもので、遅れてきたプレイヤーは居場所を見つけるのに苦労する。慣れている。
僕は淡々と出席番号の席へ。窓際の後ろから2番目。背中を太陽が押してくるような、穏やかだけど逃げ場のない席だった。
と、その隣の席に、ひとりの女子生徒がいた。
制服の着こなしは普通。髪は黒のセミロングで、肩より少し下まで下ろしている。姿勢はやや控えめで、顔も伏せがち。
印象としては“おとなしい子”という感じだったけれど……何だろう、どこか引っかかった。
顔立ちもかわいらしいけれど、どこかで見たような、もしくは“感じた”ことのある雰囲気をまとっていた。
特に、視線を外す時の目線の動かし方。
(……いや、気のせいか?)
僕は頭を振り、机にカバンを置いた。考えすぎだろうと自分に言い聞かせる。
「……あ、はい」
その声が聞こえたのは、担任が出席を取り始めたときだった。
彼女――**結城 美玲**の名前が呼ばれた瞬間、ほんの短く、けれど耳に残る返事だった。
澄んでいて、やわらかくて、少しだけ緊張をはらんだような声。
その一音が、僕の記憶をピンと張ったように揺らした。
聞いたことがある――そう思った。
でも、どこで? いつ?
それを考えるうちに、次の名前が呼ばれ、授業が始まり、周囲の雑音がまた教室を満たしていった。
だけどその声だけは、僕の頭の中に小さな余韻として残り続けた。
授業中、ちらりと隣の彼女を見ると、真面目にノートを取っていた。
ペンの動きは控えめだけど整っていて、姿勢もきれい。どこか完璧主義っぽさがあった。
(……地味、だけど、浮いてはいない。いや、たぶん……目立たないようにしてる?)
そんな風に思ったとき、彼女が小さく咳払いをして、目が合いそうになった。
僕はあわてて視線を逸らす。
バレたらまずい、というより――自分が何をしているのか、自分でよく分からなかった。
その日の放課後、僕はいつものように屋上に向かった。
白鷺台高校の屋上は、鍵こそかかっていないものの、生徒の出入りはほとんどない。昼休みにも人が来ることは稀で、僕のお気に入りの“避難場所”だった。
春の風が吹いていた。やわらかくて、少しだけ眠気を誘うような風だ。
フェンスにもたれながら、スマホを取り出す。YouTubeの再生履歴から、あの動画を選んだ。
──【#路上ライブ】【#結城ミレイ】【観客ゼロでも全力の歌声】──
数ヶ月前。偶然出くわしたその動画は、通りすがりのライブ映像だった。
公園のベンチ横に簡易マイクスタンドと小さなアンプ。観客はたった数人。
でも、その少女は必死だった。目を伏せながらも、声をまっすぐに響かせていた。
動画越しの音なのに、不思議と心に刺さった。
それが、僕が彼女を“推す”ようになったきっかけだった。
(声が似てる。仕草も。雰囲気も、目の動かし方も……)
画面の中の少女と、今日、隣に座っていたクラスメイトの姿が、何度も頭の中で重なった。
(……まさか。でも……)
心臓の鼓動が、ほんの少しだけ速くなる。
理由は、まだ自分でもよく分からなかった。
けれど、確かに僕は、今日初めて――誰かのことを、クラスメイト以上の意味で「気にして」いた。
⸻
「──もし、あの子が“本物”だったら、どうする?」
春の風が、ゆっくりとページをめくるように吹き抜けていった。
―――第1話・完―――
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