価値と共感
今回はこの話を、『小説家になろう』にて連載して思ったことを簡潔に書きたいと思います。
まず今回の話のテーマは、「虚無」「存在理由」「本能的合理性(本能的にそれが善いと感じる合理性)」でした。
そんな中、現実を直視する二人が、愛に基づき(あえて曖昧に書きます)惹かれ合う物語りになっています。
私は非常に惹かれるテーマであり、現代人が悩む理由であると思っていました。
しかし、この小説を投稿してみて、それは誤りであると分かりました。
『小説家になろう』の読者層があまり頭が良くないってことは理解できますが、それでもこれを選択するのであれば理解はできると思って書きました。
とは言え、大多数の人々に理解されるような書き方はしていませんので、ある程度の評価になるのは想定してました。
物語が面白いか面白くないかの理由は、共感と差異の両輪であると言われています。
つまり、読者諸君は共感できなかったわけです。
私は非常に深い悲しみと、絶望を感じました。
私の小説が読まれないからではありません。共感されないからです。
つまり、この程度のことを理解していないことに。
私の孤立感の原因が垣間見えた気がします。
さて、理解してもらうために、最後にもう一度この物語の本質を説明する必用がありそうです。
無意味な人生において、人との触れ合いがかなり重要な側面を担っているでしょう。理想的で徳のある人物同士の触れ合いは心地よいと思っています。その最善を目指して書いていた小説でした。
他の理想は極力省いた現実的な世界での、理想です。故にアニメ的なキャラも、理想の教師も、理想の友人関係もいません。エッチなシーンも、きゅんとするシーンも、かわいいシーンもありません。
真に現実を捉えたヒロインの徳で成り立つ物語です。
その地点まで到達できていない読者が複数いる現実は、非常に残念でなりません。
「分かるけど拙い」と「分からない」では全く意味が違ってきます。
これから私はこのような小説を書く際に、評価を非公開にしなければなりません。
読者の程度の低さには辟易します。