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2.思考に至る病

 何が起こるのだろうか。俺は身構えてしまった。

 しかし、実際には何も起こらなかった。

 七瀬は、ただ口を開いただけだった。

「今から言うことが私のやりたいこと。それで質問だけど、線路は続いていると思う?」

「え? 続いていると思う」

「もしかしたら、電車に乗り続ければ、異世界や並行世界にワープするかも」

「そんなわけ……」

 俺は、その後の言葉を喉の奥に押し込めた。幼馴染とはいえ、七瀬とはあまり話したこともない。否定をするのは良くないかと思った。

 しかし、七瀬は踵を返すと、続きを口にした。

「そんなわけ、ない。続いてなんかいないよ。マップアプリでも、線路は永遠に続いている。でも、何か特別を私は見てみたい。だから、線路の先を自分自身の目で確かめたいの」

「何か特別」

「うん」

 いかに他人に合わせるかを考えてきた俺には理解ができなかった。

「それってどういう」

「人生は線路のような物でしょ。いずれ終点が来るけれど、その中に特別な意味があればと思うの。だから特別」

「価値ってこと?」

「そうかも。藍坂くんは特別ある?」

 僕は、答えられなかったことに衝撃をうけた。

 そもそも、特別な価値とは何だろうか。

 そんなことを考えたこともない。今までの人生で一番楽しかったこと……思い浮かばない。誕生日? 友達と行った祭? ゲーム? それとも、今か。

 分からない。そう考えた途端に、俺は自分の人生に、価値が無いように思えた。

「分からない。でも、一般的には……余暇を楽しむ事とか?」

「じゃあ、どんな人生を生きたら価値があるの?」

「……え? それは、普通に学校に通って普通に就職して、週5~6で勤務して……それから、お金をためて、あわよくば結婚をする。子供は一人。贅沢品だから」

「ふーん。藍坂くんは、そういう人生が良いんだ」

 七瀬はそう言うと、矢継ぎ早に話した。

「私は、何か特別な事をしたい。誰かの記憶に残るようなことをしたいと思っていた」

 だから七瀬は奇妙な事をしていたのかと思った。確かに同じ学校の生徒は、七瀬のことを生涯忘れないだろう。それほど変哲なことをした。

 とすれば、七瀬は価値を達成したのだろう。

「記憶に残るか。なるほど。だから線路を辿って再び変な事をしたいってこと?」

 俺は、七瀬の魔術に嵌まっているのかもしれない。話を途切れさせないように、口を開いた。

「ううん。全然違うよ。線路を辿るのは、奇跡を見つけるのと同じだよ。誰かの記憶に残っても、その人が死んだら終わりだと気づいたから」

 七瀬は小さく嘆息すると、空を見上げた。

「この入道雲も何れ消えちゃう。そんな悲しい事ってあるかな」

 七瀬は、線路を隠すように低下した入道雲を指差した。湿度で外郭が歪んで見えるそれは、確かに存在しているか怪しげな状態を保っている。

 七瀬はいつもこんなことを考えているのか。というか、少し気まずい。

 七瀬は平気なのだろうか? チラリと一瞥する。ただただ、青空を眺めているだけだった。

 本当に変わっている人だ。夏の空と七瀬の儚げな表情は、美しかった。

 その様子を見ていると、七瀬の思考が伝播してくる気がした。

 入道雲のように何れ消えるか。考えたこともない。

 俺はいつの間にか思考を始めていた。

 俺も何れ消える。七瀬も。両親も。愛犬も。なんて儚いのだろう。

 じめッとした空気も、草木の爽やかな香りもしないどこか。

「それは悲しいな」

「うん。だから、記憶に残る事なんて意味がないんだ。私ね、小さい頃にお爺ちゃんが死んだの。毎年、この時期になると蛍を見に行っていた。でもね、高校一年生になった今、あまり思い出せなくなっちゃった。ああ、こんなことがあっていいのかって。あんなにも楽しかった出来事なのに。あんなにも大好きな人だったのに。記憶が消えていく感じがして。その時に、全ては忘れ去られるんだって、思った。だから、私が中学のときにした奇行も無意味だった」

「なんて答えればいいのか」

「そんな暗い顔をしないで。もう昔のことだから。それに、全ては消えるでしょ」

 七瀬は気にもしていないのかケロッとした表情をした。

「それで、どう思う?」

「どうって何が?」

「私は、人生において特別な価値を見つけられるかな? ああ、生きててよかったって思える」

 それを俺に聞くか。何も思索を積み重ねてこなかった俺が、理解できるわけがない。

 それに、七瀬の人生を追体験したわけでもない。気を利かせるのなら、『肯定』すべきだろう。

 しかし、七瀬は真面目な人間だった。だから、俺はできるだけ七瀬のことを考えて、結論をだした。

「……そんなの答えられない」

 そうだ。分からない。俺には分からなかった。

「そっか」

 七瀬は短くそう言うと、再び踵を返して線路を歩きだした。

 困ったことに、線路は電車が走る物体ではなく、七瀬が歩んでいる人生に見えてきた。

 入道雲で覆われている先まで長く続いている。

 もし線路に何も価値ある物が存在していなかったとしたら……

 俺たちは、何のために生きているのだろう。

「特別な何か……」

 それは、呪いのような言葉だと思った。

 その言葉は、心の奥底に粘りつく。

 人生の意味とは何だろうか。

 俺は何のために生きているのだろうか。

 七瀬は何のために生きているのだろうか。

 両親はなんで俺を生んだのだろうか。

 思考の発散は、列車が近づく音が聞えるまで病まなかった。

 この日を境に、俺は『特別な何か』を考えることになった。

 土日を思考に費やした。答えは出なかった。

 答えが無いようにも思えた。

 もやもやとした感情が湧いてくる。特別ってなんだよ

 生きる意味ってなんだよ。……七瀬はどう思っているんだよ。

 俺は、思考に至る病に陥っていた。


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