1.思考に至る病
永遠に続いているように見える線路の上に、セーラー服を身にまとった幼馴染がいた。
と言っても、七海葵とは近所に住んでいるだけの関係性で、あまり話したことがない。
だから、俺は同級生の行動を踏切から見守ることにした。
陽炎のせいか歪んで見える線路の枕木を、両手でバランスをとりながら、七瀬は優雅にまったりと歩くと、感慨深げに左右を見渡した。
低面積の田んぼと、森林しか存在していない。大して珍しい光景ではなかった。
だと言うのに、七瀬は満足そうに頷くと前方の線路を辿るように見つめていた。
この先は盆地になる。辺り一面田んぼが広がり、その中央にのどかな住宅街やロードサイド店が広がっている。日本に住んでいるのなら、どこでも見られる普遍的な光景だ。
買い物にでも行きたいのだろうか? いいや……
俺がそう疑問に思った瞬間、彼女は後ろを振り返った。
目を丸くしている七瀬と目が合った。
疑念交りの薄茶色の瞳。俺は思わず目を逸らした。
「藍坂くん。ここで何をしているの?」
それは俺が聞きたかった。夏休み。部活もしていない七瀬が、線路の上で何をしていたのだろう。
「本屋にでも行こうと思って……それで、七瀬こそそんなところで何をしている?」
「私は、下調べをしているの」
「下調べ……」
「うん。下調べ」
「ちなみに、何の?」
「線路が本当に続いているかの下調べ」
『ああ、やっぱりか』
僕は苦笑いをしそうになるのを必死に抑えながら、とりあえず頷いた。
「えーと。それは……楽しそう」
「全然思ってないでしょ」
バレたか。どう返事をしようか迷っていると、七瀬は矢継ぎ早に口を開いた。
「つまり、私が変人だから?」
二度も建前を見せるのは良くない。俺は、心苦しいが頷いた。
「そか」
普通は同級生に奇行を目撃されたら、行動を控えるものだが、七瀬は違う。興味がないのか踵を返し、再び線路の上を歩きだした。
そう、これが七瀬だ。
七瀬は、二つの意味で有名だ。
一つ目、奇行をすること。
幼少期の頃は、ごく普通の性格の女の子だった。ある時期を境に七瀬は変ってしまった。魔導書や宗教書を、休み時間に読むようになった。
それから、黒板に変な紋章を描いたり、仲が良い人間に呪文を唱えるようになったりした。
中学時代に一番驚いた奇行は、深夜に天体観測を屋上でしていたことだ。
鍵が掛かっている屋上に、中学生の女子生徒が侵入した。
この事件は、七瀬をこの地域で有名にさせるだけの力があった。
とはいえ、友達が完全にいなくなることはなかった。
そう、二つ目は、スタイルと顔がべらぼうに良いことだ。
長く伸びる黒髪は絹のように滑らかで、瞳は琥珀のように美しい。
日本版黄金比に近い目鼻立ちに、すらりとした体躯。制服は決して着崩さず、しかしお洒落を意識しているのかスカート丈は標準的。ほのかに香る甘いハンドクリームの匂いも、男子生徒を虫のように集わせる要素だった。健全な男子生徒――俺だって例外ではない。
見てくれが良い女子と付き合ってみたいと思う気持ちは、誰だってあるはずだ。
ま、まぁ、この近辺で間違いなく、一番顔が整っていると言っても過言じゃない。
だから、毎年馬鹿な男子生徒が告白するが、七瀬は恋愛に興味がないようで……結果はお察しの通り。
同じように、七瀬は友達付き合いも少ない。器用に同級生と付き合うが、見た目の割に校内で孤立しがちだ。完璧超人であるのに。
俺には、七瀬の言動の全てが理解できなかった。恵まれた容姿と地頭の良さ。運動神経も抜群だ。だと言うに、普通の幸せを追求しない。いつも何かに悩んでいるように見える。
いつも奇妙な事をしている。
今日だって、盛夏の中、七瀬は線路を調べている。
「その、線路を歩いているけど、何かあるのか?」
七瀬は、振り返らずに答えた。
「ううん。何もない。ただの田舎の線路。辺りは花や木々だけ。あ、たまに虫がいるよ」
「そうじゃなくて、何が目的?」
「だから、本当に線路が続いているか調べているの。それに、線路に乗ってみたかったから」
「ああ、本当に……」
「何か言った?」
「いや、別に」
「ねぇ、藍坂くん。私のしている事が気になるんでしょ」
「こんなことしてたら、誰だって気になると思う」
クスリとした笑い声が聞こえてくる。七瀬は、「確かに」と言うと矢継ぎ早に話した。
「自分で言うのもおかしいけど、私って変人だもんね」
「否定しない方がいい?」
「もう否定してるよ」
「確かに」
互いにクスリと笑った後に、七瀬は線路の上で踵を返す。ローファーと金属が擦れる音。
七瀬は暫く悩んでから、口を開いた。
「聞きたいの?」
「いや……俺は別に」
「聞きたいんだ」
「な、なんで! 俺はそう言ってない」
「顔に出ているよ。でも、覚悟はしといてね」
七瀬は神妙な面持ちのまま、線路を指差した。