鬼ダラケ
むかしある村に、たいそう器量の良い女がいたそうな。優しい夫と、元気なかわいい子どもにも恵まれて、たいへん幸せだった。
ところが、夫が急な病で死んでしまうと、村の男たちは女に言い寄り、受け入れられない事に業を煮やした一人の男が、その子どもを山奥にさらってしまう。
女は追いかけたが、無惨にも子供は殺されてしまう。
目の前で子どもを殺された女は気が狂い、その男を殺し、鬼となった。
人喰いの鬼となった。
それがこの山、鬼羅岳に伝わる風聞、異聞、都市伝説だ。
現代ではただのお話。
しかし、今でもこの山では年に数人の行方不明者が出る。どれも事故として処理されている。
何故か。それは、誰一人として都市伝説など信じてはいないからだ。
「泣いているな。泣いている。子どもが一人泣いているなぁ」
山の中、子どもが一人。それを見つけた女の顔はそれを構成する一つ一つのパーツが異質だった。
眉はなく、異様なほどつりあがった目。濁った青い瞳。
鼻があったであろうと思われる場所にはぽっかりと開いた大きな二つの穴だけ。
ひび割れた唇はうすく開かれ、そこからのぞく黄色い歯はどれも尖っていて、よじれた長い白髪はいまにも子供を絡めとろうと広がっている。
鬼だ。
「久しぶりの柔らかそうな肉だ。うまそうだ。ここに迷い込んだことを悔やむのだね」
「やあああ、おばあさんだあれ? きよか、迷ってなんかないよ」
「くく、ならば何故ここにいる? 迷って、怖くて、泣いていただろう」
「……泣いてないもん。ママが、迎えに来てくれるから」
「この深き森に? 見つけられるわけがなかろう。まあ、何でもいい。どのみちお前はわたしに喰われるのだから」
「きよか、食べられちゃうの? 死んじゃうの? やだ、痛いのはいやだ」
「痛くなんかないよ。一瞬さ。お前みたいな子どもは一飲みだ」
「……痛く、ないの? ……おばあさんはそんなにお腹が空いているの?」
「空いているさ。ぺこぺこだよ。お前みたいな、コロコロした子どもを待ってたのさ……いや、よく見れば、ずいぶん痩せた子だね。まあ、いい。ぺこぺこだよ」
「……わかった……」
「くく、聞き分けの良い子だ。心配する事はないよ。母親がお前を探しに来たら、同じように喰ってやるから」
「だめ! ママは食べちゃだめ! きよかのことは食べてもいいから、ママは食べないで」
「ああ、面倒くさいね、近寄るんじゃないよ。冗談さ、こんなところまで母親が来るわけがない。今頃ふもとで、お前を探しているよ」
「ママ、迎えに来てくれるって言ったもん」
「お前、さっきもそんなことを言っていたね。どう言うことだい?」
「少しのあいだここで、『かくれんぼ』していれば、すぐに迎えに来てくれるって言ってたから」
「……ひょっとして、母親に連れてこられたのかい? ここまで」
「うん」
「ふう……ああ、そうかい。そういうことかい。わかった。いますぐ喰ってやるから服を脱ぎな。服は不味くて喰えないからね」
「……はい……」
そう言って、少女は震えながら上着を脱いだ。
その体は痩せ細り、あばら骨が浮き出ていて、無数のあざと、ところどころに焼けただれたあとが見られた。
「これは……母親にやられたのかい?」
「違うよ。違う。ママはそんなに、ぶたないもん。きよかが悪い子だから、言われたことを、すぐ忘れちゃう悪い子だから」
「父親……か」
「ううん。パパは、いない」
「じゃあ、誰がやったんだい?」
「ママの……お友だち。でもね、これは内緒なの。きよかが話しちゃうと、ママがぶたれちゃうから」
「ご飯は……食べているのかい?」
少女は首をかしげた。いつ食べたのかも覚えていないようだった。
「前に……お腹が空いちゃって、お友達の大好きなお肉を黙って食べちゃったから、もうご飯は食べちゃダメって……きよかが、悪い子だから」
「他の大人たちはどうしてるんだい? 周りにたくさん大人がいるだろうに」
「? 学校の先生は前にお家に来てくれたけど、おかあさんたちがものすごく怒って、もうお話は聞いてくれないの」
「……もういいよ。もう……いい」
「……はい」
「お前、さっきから何だい、それ。強く目をつむって、歯を食いしばっているみたいだ。どこか痛むのかい?」
「食べられるのが、怖いから。こうしてるとね、痛いの我慢出来るの。毎日こうしてるから——」
女は目を見開いて立ち尽くした。尖った黄色い歯がカチカチと音を立てて震えている。その濁った青い瞳はうるうると濡れ、ぼろぼろと水の玉が頬を伝うが、瞬時にその干からびた肌に吸収されていく。
「おおおおおん」
まるで女は、涙を流さずに泣いているようだった。
「お前の身体はあざだらけで不味そうだ……食欲も無くなったよ……」
女はそう言って少女の手を握った。
「鬼どもめ。何百年経っても、世は鬼だらけか」
女が小さくつぶやいた。
数時間後——少女は警察に保護された。
上半身裸で、身体中アザだらけの少女が、いつのまにか警察署内にいたらしく、監視カメラでもはっきりとは確認できなかった。
汚らしい着物を着た老婆を見たという者もいたが、信じるものはいなかった。
少女の証言から、自宅と、母親の勤め先等に連絡をしたのだが、繋がることはなかった。
母親と、その知人の男性が失踪していたのだ。
しばらくして、身寄りの無くなった少女は児童養護施設に入所した。
おしまい




