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【09】フィルマン・ドリューウェットの『小麦畑』

「偽物をつかまされた……」

「ええ」


 部屋の中にいるのは父と母と、弟のフレディだけ。妹たちは大事な話だからと席を外されている。自分も参加したいと主張していたけれど、家の大きな話となると幼い娘たちに聞かせない判断というのは珍しくもない。現在この屋敷(というには小さすぎるかもしれないが)で働いているという見覚えのない使用人に、妹二人は連れていかれた。


 そして明かされた相談が、それだった。


「フレディ」


 母に名前を呼ばれ、ずっと不機嫌そうに顔を歪めていたフレディが立ち上がる。そして部屋の端、床の上に直接置かれていた何かから、布を取り去る。

 まぶしい黄色が私の目に飛び込んできた。


「……『小麦畑』」


 何を描いているかは一目でわかる。小麦畑だ。絵画ではよくある自然の風景だが、随分とぺったりしている。


「もしかして、これをドリューウェットのものだと?」

「あ、ああ」


 なるほど。

 フィルマン・ドリューウェット。既に死後数十年が経っている彼は、人気の高い画家の一人だ。


 彼は生涯に渡り様々なものを描いてきたが、若い頃から晩年まで一貫して描き続けてきたものがある。それが彼の故郷の地方で栽培されていた、一面の小麦の畑を描いたものだ。

 一年に一度も小麦畑の絵を描かない事はないと言われるほど、ドリューウェットは故郷の風景を愛し、小麦畑を描いてきた事で有名だ。

 多くの人間が小麦畑を描くドリューウェットを目撃していて、実際、小麦畑をドリューウェットから手に入れた人も多いとか。

 中にはドリューウェットの屋敷にて、何十枚もの小麦畑を見たと証言した知り合いもいたらしい。

 小麦畑と言えばドリューウェットと多くの人間が考えていた。


 ……数が多ければ価値がないのでは? と思われるだろうが、ドリューウェットの場合は話が違う。彼は小麦畑の絵を沢山描いたけれど、それの殆どが日の目を見なかった。

 彼自身が愛した小麦畑を手元に残していたという噂もあれば、納得いかなかった作品は処分されたという噂もある。

 彼が生きていた頃に描いた小麦畑は数多かったのに、死後ドリューウェットの熱狂的なファンであったとある貴族が彼の屋敷を探し回った結果、小麦畑を描いた絵は一枚もなかったという。


 残っていたものの多くは生前からドリューウェットから譲られた小麦畑ぐらいで、その多くも、既に別の人に売り払っていたりしていた。ドリューウェットの死後、価値の上がっていく事が予想された小麦畑の本物を所持し続けていた人は思ったよりも少なく、全部で五枚だけだったという。

 実は先祖がドリューウェットから手に入れていた……なんて謳い文句と共に多くの『小麦畑』が出てきたが、その中で本物と認定されたのはたった二枚しかない。


 ほかの絵ならばともかく、よりにもよってドリューウェットの『小麦畑』なんて……。


「お父様。ものの見事に偽物をつかまされましたね」

「えっ! そんな、アナベル、お前は今見たばかりじゃないか! どうしてそんな事を言うんだい」


 父は酷く衝撃を受けたという顔をしているが、一度でもドリューウェットの『小麦畑』を見た事があればこんな事言えなかったはずだ。


「お父様。私みたいな初心者でも見ればわかりますわ。この『小麦畑』からは何も感じないではありませんか。命が感じられません。ドリューウェットの『小麦畑』を美術館でご覧になった事はありませんの? カンクーウッド美術館には本物の『小麦畑』が二枚ありますが、どちらも一目見ただけで一面の小麦畑の雄大さと眩しく光る小麦の輝きが伝わってきます。どちらも生きているのです。このような、ただ紙の上に書いただけの小麦ではないのです。ドリューウェットのような高い実力を持った画家が、心の底から小麦畑の光景を愛して描いたのだと分かるのですよ」


 私が言葉を紡げば紡ぐほど、どんどん父は縮んでいく。


 そんな父の横で、母とフレディはぱちぱちと瞬いていた。


「驚いたわ、アナベル。いつの間にそんなに絵画に詳しくなったの?」

「詳しいと言う程ではありませんが、カンクーウッドにはよく通っておりますから。他の美術館にもよく行っておりますので、美術館で見る事の出来る『小麦畑』は全て見ているだけです」


 現在公の場に公開されており見る事の出来る『小麦畑』は三枚。

 前述の通り、内二枚はカンクーウッド美術館にあり、残りの一枚はグレボー美術館にある。どれも素晴らしい作品で、一体どれぐらいの時間をあの絵画の前で費やしたか分からない。

 残りの四枚はどれも個人所有であり、持ち主と交友がなければ見る事が出来ない。


「そもそも、ドリューウェットの『小麦畑』なんて、贋作の定番ではありませんか。よりにもよってどうしてこれを購入したのです」

「…………これを持ってきた人が、自分の祖父がドリューウェットと親しかったと。それで特別に、当時余っていた『小麦畑』を譲ってもらったが、祖父の死後には誰も管理していなかったといって……大事にしてくれる人に譲りたいと、そう言ってきて……」

「その話を信じたのですか?」


 父はこれ以上小さくなれないのではないかというほどに小さくなっていた。母はその背中を撫でながらため息を吐き、母を挟んで父と反対に座っているフレディは、とても実父に向けるものではない視線を向けていた。まあ、やっと持ち直したという所で見るからに偽物の可能性が高い絵画を買ったのなら許せなくても仕方がないだろう。


 私は手に持っていた扇を開いて口元を隠す。家族相手に真意を伏せる必要はないが、癖だ。


「仕方ありません。いくらで購入したか知りませんが、高い授業料だったと思うしかないでしょう。一応、真贋鑑定は受けた方が良いとは思いますが、恐らく恥をかいて終わりですよ」


 勿論真贋の判定するものは個人情報を漏らしたりはしないだろうが、恐らくドリューウェットの『小麦畑』と聞いた瞬間に呆れてしまうだろう。

 ドリューウェットの『小麦畑』に贋作が多いと広まってなお、贋作を売る人間は後を絶たないし、それを本物だと信じて持ち込む人間もゼロにはならないのだから。


「ともかく、私から言えることはそれだけですよ」

「まってアナベル。問題は、カーティスが贋作をつかまされたことではないの」


 母に言われ、私は僅かに眉を寄せた。カーティス……私の父が飽きもせず騙されてしまった事が問題ではないのならば、何が問題だというのか。


「では一体何が?」

「今度我が家でパーティを開くの。大きなものではないわ。昼間に集って、少し食事会をするぐらいよ」


 それは驚きだ。我が家主催のパーティなど、一体何年ぶりだろうか。


 祖父が存命の頃はそれなりの頻度で開かれていたようだが、父がみるみる資産を減らしてからは一度も開かれていない、はずだ。

 しかし何故今その話題が……。まさか。


「そのパーティの招待状でね、カーティスがドリューウェットの『小麦畑』を手に入れたと言ってしまったらしいの」

「馬鹿なの?」


 取り繕うのも忘れてストレートな罵倒が口から零れた。父はもう頭を下げているのかと思う程上体を倒しており、顔は分からない。

 が、申し訳ないが、後ろにジェローム(侯爵家の人)がいるのは分かった上で、こればかりは、言わなければならない。


「少し考えれば、そんな事をしようなんて思わないはずでしょう」

「だ……だが、パーティへの参加者を増やさなければと……実際! 多くの家から参加の連絡があったのだ!」


 もごもごと父が反論する。気持ちは分からないでもない。長年まともな社交なんてしていないブリンドル伯爵家には親族以外の横のつながりはないし、親族こそ私たちの事を見下してきていた筆頭だ。それ以外との縁を欲するのに、目玉が欲しかった気持ちは分かる。

 恐らくこのパーティは、フレディの結婚相手探しも兼ねている。フレディは今年十八、そろそろ婚約者が出来てもおかしくない年頃だ。特に、家を継ぐ嫡男ならば。


 多くの家を招くために父なりに考えて行動した――それは分かるが、昔からそのように行動した結果、多量の問題を引き寄せていた事を忘れてしまったというのか?


「増えるに決まってるわ。参加の表明をした家の殆どが、我が家を嗤うために来るわよ」


 母の手によって体を起こされた父は、パクパクと口を開閉するが、声が出てこないらしい。


「お母様が私を呼んだ理由が分かりました。確かにこれは、ブリンドル伯爵家の大問題ですわ」

「ええ。本物の小麦畑を用意するのは不可能よ。けれどそのまま見せれば、必ず真贋鑑定は受けたのかとでも聞かれるわ」

「ええ、していないと誤魔化せばそんな本物かも分からないものを目玉にしたのかと嗤われるわ」

「したと嘘をつけば、事を大事にする者がいるかもしれない」

「絶対に嘘は駄目よ。どこかで必ず露見するわ。…………大人しく、素直に、手に入れた『小麦畑』が偽物だったと言うしかないと思うわ」

「アナベル!」


 父が悲痛な叫びをあげる。つい冷めた目を向けてしまったが、私が声をかけるよりも先にフレディの怒声が響いた。


「何も建設的な意見が述べられないなら黙っていてくれ!」

「ふ、フレディ…………」

「一人前に誇り(プライド)だけデカイ()()()()()の癖に……!」

「フレディ! お父様に言い過ぎよ!」


 フレディの怒りは真っ当だが、言葉が悪すぎる。流石に母が咎めれば、フレディは凄い顔で舌打ちを一つして立ち上がり、そのまま部屋を出て行ってしまった。


 父は泣きそうな顔で固まっていて、それを見送った母は溜息をついた。


 ……これはジェイドもレイラも怯えて、私にあれほど熱心に抱き着くわけだ。元々よく面倒を見ていたから懐いてくれていたが、それにしても必死さがあるなと感じていたのだ。


「……ごめんなさい、アナベル。帰ってきたばかりでこんな……」

「別に大丈夫です。お父様が原因で言い争いなんて、よくあったもの」

「…………本当に、ごめんなさい。本当なら嫁いだ貴女に頼るべきではないのだけれど、カーティスは騙されたことを公表したくないというし、けれどこの絵は偽物で…………」

「真贋の判定は受けたのですね?」

「ええ。一目見て、偽物ですねと言われたわ」


 だろうな。私でも偽物だと思うぐらいだ、プロが見れば一目見て分かるだろう。

 贋作でも出来の良いものというのは存在している。そういう作品は、本物か偽物か苦労しながら調べられる。

 だがこの『小麦畑』は、あからさまにただ描いただけの小麦畑。悩むまでもなかっただろう。


 私は溜息を大きくついた。

 頭が痛い。

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― 新着の感想 ―
[一言] 短編も好きですが連載版も丁寧に書かれており面白いです!! 応援しています
[良い点] 短編から連載見つけて一気読みしたした! [気になる点] これからの展開が気になります(o^^o)
[良い点] この、いらぁぁ!ってするお父様がいいスパイスですね。お父様にざまぁして下さい。
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