【04】ドロシアーナ
屋敷に帰った後、どれぐらいお金に余裕があるかを確認しよう。そう思い顔を上げると、メラニアと目があった。
「ああ戻ってきたわね。この後はどうするの? 何か絵画を選ぶ?」
「…………いいえ、今日は良いわ」
「ならアナベルを連れて行きたい所があるのだけれど…………良いかしら?」
「大丈夫よ」
元々今日はメラニアと会う以外の予定がない。……そもそも私には、一日の予定というものが皆無だ。なんとなく今日はこれをしよう、明日はこれをしようと考えている程度だ。
なので急の用事が入ったとしても、それに合わせるのは簡単だ。
「良かったわ!」
メラニアはとても嬉しそうに微笑んで、私を自分の乗る馬車に押し込んだ。最初の目的地から次の目的地に移動する場合は、いつもこのパターンになっているので、従者も慣れた様子で私が乗ってきた馬車の方へと一人移動する。
そうして連れていかれたのは王都に本店を構える貴族向けブランド『ドロシアーナ』の取り扱い店。
名前は知っているが、来た事はなかった。ドロシアーナは一年ぐらい前に立ち上がった、まだまだ新規のブランドだ。貴族は権威が大好きだし古くからの付き合いを軽んじる事はそうそう出来ないので新しいものを手を出すのは普段から関心の広い人とかぐらい。私は……服は、辛うじて今の流行が分かるぐらいの女だから……興味が皆無という訳ではないのだけれど、わざわざ新しい店に足を運ぼうという気持ちにはあまりならなかった。
王都の店を回る事を止めて屋敷に商人を呼ぶスタイルになった後は、昔からライダー侯爵家と付き合いのある商家から購入していた。私に特に懇意にしているお店がなかったから自然とそうなっただけだが。
「さあ入って!」
メラニアに背中を押されるように入店すると、高級感のある黒で纏められた店内と、揃いの制服を身に纏った年若い男女の店員たちに出迎えられた。
「おかえりなさいませ、メラニア様」
「ええ、ただいま。ドロシアは手が空いているかしら?」
「今朝籠ったきり出てきておりません。確認させますので、よろしければ奥の部屋でお待ちください」
「分かったわ。さあアナベル、入って頂戴」
メラニアと店員の一人は慣れた様子でそう会話をすると、私と付き添いの従者を連れて奥へと向かう。
通された部屋が普通の応接間とかではないという事は一目でわかった。店内は貴族向けのためにどれもこれも見るからに高級な良い素材で作られていたけれど、この部屋単体では敵わないだろう。少し大げさかもしれないのを承知で言えば、王族などを招いても問題がないぐらいには品格すら感じそうな部屋だ。
私はかなり場違いで居心地が悪い。
「め、メラニア」
「少し待っていて頂戴ね。ドロシアは調子が良いとよく部屋に籠るのだけれど、調子が悪くてもよく部屋に籠っているから。今日は多分悪いと思うの。良かったとしてもオーナーの妻が来たのだから顔を出すと思うわ」
「オーナー?」
予想外の言葉に私は目を丸くした。そんな私の反応にメラニアは意外そうに小首をかしげる。
「あら知らなかった? ドロシアーナは夫が一年ぐらい前に立ち上げたのよ。『ザ・ローズ』にいたデザイナーだったドロシアを引き抜いてね」
ザ・ローズは老舗のブランドだ。名前の通りブランドを示すマークが薔薇で、一部のオーダーメイドを除けばほぼすべての作品に、ブランドを示す薔薇が刺繍されている。
ザ・ローズで働いていたのなら、かなりの実力あるデザイナーだという事は簡単に想像できる。ドロシアという名前からして、恐らく女性のデザイナーだろう。それにしても、私が前々から知っている店とはまた別に、ドロシアーナまで経営しているとは驚いた。手広さ、という意味で。……いいえ、元々貴族の服も作っていたから、それに集中した店を作るのも、別におかしくはない…………のかな。
それにしても私がわざわざドロシアーナに連れられてこられた理由……まあ、少し言い方が悪いが、服を買わせるのが目的だろう。ライダー侯爵家は国内でも力を持つ貴族の一つ。その若夫人が着た服となれば、多かれ少なかれ注目を集める。――普通は。
私の場合は勿論だが、そんな事はない。
結婚後はただの一度も舞踏会も茶会も、社交と呼ばれるような集まりには参加していないのだ。メラニアにその件で問いただされた事はないが、それでもその事実は知っているはず。だから私が服を買っても、他人に影響を及ぼす事は難しい。……そもそも、ブライアンが私を普通の妻として扱って外に連れて行っていたとしても、私ではそこまで広告塔にはなれないと思うけれど。
皆が憧れる女性と言えば、胸が大きく、腰は細く、尻はそれなりに大きい……という要素。細かい個々人の趣味はさておいて、体格としてはそのあたりが言われる事が多い。あとは背丈もか。あまり大きすぎるのは好まれない。そこに、目立つ髪の色や目の色が加われば、無敵とも思える美人が完成する。勿論、鼻が高い方が良いとか、肌は白くとか、他にもあるけれど、服を際立たせる体型と考えると、重要なのはそのあたりに思える。
私はといえば、幼い頃の控えめな食事の影響か、胸は小さい。腰は太くはないけれど……尻は大きい訳でもないし、背丈も女性にしては高い方だ。他は栄養不足が原因かと思うのだけれど、背丈だけはなぜか伸びた。どれぐらいかと言われれば、男性と並ぶと普通ぐらいにはなる……という感じ。私より背の低い男性も少なくないし、女性で自分より高い人にお目にかかる事はほとんどない。極めつけは目立つ要素のない茶髪に茶目。
そこまで考えて、いやいやと首を振る。メラニアが私に広告塔のような事を求めてくるとは思わない。恐らく、普通にドロシアーナの商品を多少購入する……お得意様に名を連ねてほしいだけだろう。それなら私も彼女の力になれる。だから大丈夫だろう。うん。
一人そんな風に考えている間に私とメラニアの前に、ドロシアーナの店員たちの手により紅茶やお菓子がおかれていった。
あまりに大物のような対応をされて少し困ってしまうが、対外的に今の私は侯爵家の若夫人。そういう対応をされるに値する立場なのだろう。実情は、全然違うのだけれど。
申し訳なさと気まずさによる居心地の悪さは消えないでいた。そんな時、部屋がノックされる。
「失礼します」
「はいってちょうだい」
聞こえた声は低い男性のもので、またドロシアーナの店員の誰かが来たのかなと思った。メラニアは私の目の前で紅茶のカップをそっとソーサーに戻してテーブルに置く。
ドアが開くと、赤毛の背の高い男性が立っていた。一瞬不思議に思ったのは、その男性の服装が他の店員とは違った事だ。店員たちは男女の違いはあれど、皆統一した服を着ていたのに、彼だけが違ったから、もしかしたらお店の責任者なのかもしれない。
そんな風に考えている私の目の前で、メラニアは体の向きを入り口に立つ男性に向ける。
「ドロシア! 待っていたわ、ほら早く中に入って」
私はメラニアの横顔を見つめる。彼女は私には顔を向けていなくて、笑顔を男性に向けていた。
今、今、デザイナーの名前が彼女の口から出たような……気がしているのだけれど……。
「メラニア様…………前触れもなく突然呼び出さないでいただけませんかね?」
少し疲れたような顔で、男性が返事をした。ドロシア、と話しかけられたのが自分だと迷ってもいないような様子で。
「あら、顔色を見るに、朝からあまり調子が良くなかったように見えるけれど」
「……ええ、まあ、確かに仕事の進捗は微妙でしたがね……」
「え…………えっ…………?」
困惑する私を置いて、メラニアはいつの間にか私の横に移動してくると、私の手を片手で握り、もう片方の手で男性を示した。
「アナベル、紹介させてちょうだい。彼はドロシア、ドロシアーナのデザイナーよ」
やはり彼がドロシアで間違いないようだ。ドロシアってどう考えても女性名だと思うのだけれど……。ああでも、本名じゃない名前で仕事をする人もいるから、そういうものなのだろうか。
疑問は抱きつつも、基本的には目上の人から目下の人に挨拶をするのが一般的なので、立ち上がって会釈をする。
「はじめまして、ドロシア様。アナベル・ライダーと申しますわ」
「……ドロシアーナのデザイナーを務めております、ドロシアと申します」
お互いに挨拶を終えると、三人全員が席に着きなおす。話を始めたのはドロシアだった。
「それでメラニア様。突然の呼び出しの理由はなんだったのでしょうか」
「あら。見たら分かったでしょう?」
見たら? と首をかしげる私に対して、ドロシアは僅かに眉を寄せた。
「…………ええ、まあ、言わんとしている事は」
「うふふ、そうでしょう!」
分かっていないのは私だけのようで、困ってメラニアを見つめるが、返事が来るより先にメラニアは私の肩を掴んで私に密着しながら笑顔を浮かべた。
「ドロシア、貴方にアナベルを全身コーディネートしてほしいの!」
「え」
「承りました。メラニア様からのご依頼ですから勿論です。どのような場での服を想定されますか?」
「えっ」
「ドロシアならそう言ってくれると思ったわ! アナベルは美術館とか、劇場とかに行くのが好きだから、ドレスより外出用の服がいいわよね。ねっ?」
「えっあっうん」
「なるほど……オーダーメイドご希望でしょうか」
「そうねえ。勿論オーダーメイドが一番アナベルに合うものが選べるけれど……今日のところは既製品で構わないわ」
「かしこまりました」
流され流され。咄嗟に尋ねられて辛うじて返事だけして。気が付けばドロシアは立ち上がっていってしまった。
唖然としている私にメラニアはこう言った。
「突然でごめんなさいね。実は前から、アナベルの服が気になっていたの」
直接的な言葉に胸に矢が刺さったような心地になる。メラニアはいつもではないけれど、たまにそういう所がある。
それに、自覚があるので余計につらい。
私が今着ている服は、殆どが、屋敷の外に出る事を許可された時に雑に買ったものだ。それを止めた後は屋敷に商人を呼んではいたけれど、私に希望がなかったからか、どことなく……恐らく義母となった侯爵夫人が好んでいたのだろうな、という服を持ってこられる事ばかりで……そして私も、ハッキリとした意思がないものだから、その中から比較的好みな服を選んでいた。
遠回しに言わなければ、全体的に古い感じがあるのだ。
質は良い。ただ、今の流行とは違うだろう。社交に出ないので最先端は分からない私でも、普段出かけていれば周りの人間の服装ぐらいは目に入る。そこから、なんとなく今の流行りも、ぼんやりとは分かる事は分かるのだ。
メラニアと初めて会った時も、自分との違いに悲しくもなった。
「言っていいものか少し迷っていたのよ。でもね、アナベル、今服にあまり頓着していないじゃない?」
「よくお分かりですね……」
何故か敬語になってしまった。
そう、確かにかつて私はそういう事も気にしていた。……ただ最近は、自分の恰好は特に気にかけず侍女たちに任せきりで、今日はどこに出かけよう、何を観に行こうとそればかり考えている。
「分かるわ、友達だもの。だからね、アナベルがあまり気にしないなら、私が手を出したいなと思ってたの、前々から!」
貴族夫人としては失格だ。今まで後回しにしておいてなんだけれど、恥ずかしい。私はそっと持っていた扇を広げて顔を隠した。
「そんなに見苦しい……?」
「まさか。ちょっと古いかなぁというぐらいよ、それも私みたいな若い女だから気になる程度。もう少し上の世代だと気にしてもいないと思うわ。ただ私が、アナベルに似合う服を着てほしいというだけ」
「…………メラニア…………」
「ああっ、今日の服は私からのプレゼントだから、代金は気にしないでちょうだいね」
「気にするわ。お金はちゃんと払うわよ」
「私がアナベルに服を贈りたいのだから、気にしないでいいの。もしドロシアーナの服を心から気に入ってくれたら、また服を買ってくれればいいから」
いいや払うと言い募ろうとした所で、ドアが再びノックされて話しが中断される。入ってきたのはドロシアーナの店員さんで、その方に呼ばれるまま私は移動する事になった。
移動先には女性の店員さんばかりでドロシアの姿はなかった。初めての人たちばかりというのに少し緊張はしていたものの、言われるがままに今着ている服を脱がしてもらい、服を着て、着終わった後はすぐに移動する。移動先にはメラニアとドロシアがいた。メラニアは私を見た瞬間に、両手を合わせる。
「流石よドロシア! アナベル、よく似合ってるわ!」
「そ、そうかしら……?」
今着ている服は、花の刺繍が全体にある明るい青地のもので、差し色のように黒と緑が入っている。両腕を覆う手袋は黒で、差し色に合わせているのだろう。
「はい。ライダー夫人。何かお気に召さない所はございますか?」
「い、いいえ。とても素敵なドレスで…………その、気おくれしてしまいますわ」
「そうでしょうか。とても美しく着こなされていますよ」
服を売る人だからそれぐらいの言葉は出てきておかしくはないのだけれど、異性に見た目について言及されるのはブライアン以来の事で――。気持ちが少し浮かれてしまう。
「正直に言うともう少し濃い色の青が良かったのですが……ライダー夫人の背丈を考えますと、丁度良いものがなかったものでして。申し訳ありません、メラニア様」
「なるほどね。…………ドロシア。暫く大きな予約は無かったわね」
「はい、メラニア様」
「私が許すわ。アナベルに似合う服を見繕ってくれるかしら。オーダーメイドでいいわよ」
「かしこまりました」
「待って、待ってメラニア。そこまでしなくていいわ、既製品で十分よ!」
「では申し訳ありませんがライダー夫人、少し採寸をさせていただきますので、こちらへどうぞ」
「ねえ聞いて頂戴な!」
私の主張はむなしくも聞き入れられず、私は全身を採寸され、メラニアから青の外出用ドレスを一式渡されて帰る事となったのだった。