【38】儀式に詳しい人
手紙の返事は早かった。
ライダー侯爵家からは儀式が終わり、新子爵としてのお披露目のパーティーが終わった後が(私にとって)良いだろうという返事が来た。また、それまでの間に私がもし専門的な基礎知識を着けたいのであれば、そうした事に詳しい人間を紹介する事も出来るとまで記してあった。
その気持ちには感謝しつつ、まずは目先の儀式、それからその後開かねばならないパーティー…………それから、ウェルボーン子爵との外出が終わるまで、そういう事を入れても頭に入らない気がしたので、丁重に今は大丈夫と返事を書いた。せめて儀式が終わるまでは、そうした事には集中出来ないだろう。
それからメラニアからも即返信が来た。だから言ったじゃないという、やや怒ったような文から始まり、最終的には私の悩みが解消されたり、その目途が立ったことを喜んでくれた。本当に、私にはもったいないほど心優しい友人だ。
それから暫くして、ブロック館長から手紙が届いた。この前お話していた、儀式について詳しい方が私に教える事を了承してくださったという手紙だった。それから、最初の顔合わせを、館長同席でしてくださるという有難い事まで書かれていて、私はブロック館長に感謝しながらお礼の手紙を書き記した。
館長に一任し、私、館長、そして教えて下さる先生(と呼ぶべきかと思うのだが、実際になんと呼ぶかはお会いしてから決めるべきだろう)が顔を合わせる日が決まった。
私はジェロームやジェマたちに話し、数日前から屋敷の準備に追われた。掃除などはいつも綺麗にしてくれているが、お客様を通す部屋の内装全般やどんな飲食物をお出しするかまで、考える必要があった。侯爵家ではずっと、そういう事をアーリーンやギブソンたちがしてくれていたのだ。でも今は彼らがいない。ジェロームやジェマに一任しても良いのだろうが、子爵になったのだから、自分も携わるべきだと思った。そう思い、(主に)侍女たちと共に準備をしたのだが、これが結構大変だった。
まず来られる方がどんな方か分からない。なのでどんな風に部屋を纏めれば良いか分からないのだ。これは私の失態なのだが、ブロック館長からご紹介いただく方だから立派な方なのだろうと決めつけて、お名前も、どんな方かすらも手紙で尋ねなかった。日程含めて、館長にお任せばかりをしたせいで、男性が来るのか女性が来るのかすら分かっていない。なのでどんな風に準備をすればいいか……さっぱり分からない。
絨毯は何色が良い? 椅子は? 机は? 壁に飾る絵画は何が良い? お出しする紅茶は? お茶請けは?
何も分からないから、結局、私が考える、最も失礼がないだろう形で整えるしかない。
あまり華美過ぎない、けれど安っぽさのない絨毯を敷き、座り心地の良い椅子を選び、シックな雰囲気になるように机を選ぶ。絵画は……真面目な話なのだから、落ち着いた物が良いだろうか。
「ジェローム。デリンヴァ山の絵画をこの壁に飾れるかしら?」
「問題ありません。ご準備いたしますね」
「ジェマ。カップだけれど……壁紙の雰囲気と合わせて、白基調の物にしようかと思うのだけれど」
「かしこまりました。白基調の物をご準備いたします」
白基調のカップをジェマが出してきてくれて、その中から一番良いと思う物を当日使うよう、お願いする。
そんな風にラングストン邸の人々があれやこれと頭を悩ませてお客様を迎え入れる準備を整えて、ついに当日が来た。
外は生憎の曇り空だったけれど、雨が降らないだけマシだろう。
ブロック館長の馬車が外に見えた時点で、私はジェロームたちと共に玄関ホールに赴いて、お客様を待った。そうして館長と共にラングストン邸に姿を現した方は、驚いた事に私も知っている方だった。
「ご紹介いたします、子爵。こちらはシルヴェスター・スケルディング卿。普段は王宮で内務大臣補佐として働いております」
「再びお目にかかれた事、嬉しく存じます、ラングストン女子爵」
一瞬驚いて言葉が出なかった私だったが、スケルディング大臣補佐の挨拶で慌てて、カーテーシーをする。
「わたくしこそ、再びお目にかかれて光栄ですわ、スケルディング大臣補佐」
スケルディング大臣補佐は、私とライダー侯爵夫妻との間で契約を結んだ時に王宮から派遣されてこられた役人の方だ。まさか、ブロック館長とお知り合いだったとは。世間というものは存外、狭いと思いながら、私はお二人を応接間へとご案内した。
応接間に入り、ジェマが淹れてカップに紅茶が注がれる。薄く湯気が上るそれが、スケルディング大臣補佐とブロック館長の前に置かれた。二人が紅茶に口をつけるまで、私は心臓が跳ねて仕方なかった。紅茶の種類もカップも、私が選んだ物だ。どうか二人のお気に召すと良いのだが……と祈るような気持ちで二人の反応を持つ。
「ふむ。良い匂いの紅茶ですね」
お世辞かもしれないが、そのような言葉がスケルディング大臣補佐から聞こえて、肩の力が抜けた。ちらりとジェマを見れば、ジェマも安心したような顔をしていて、私たちは小さく頷きあった。
そこからすぐに本題――には入らず、暫くの間世間話が続いた。
ブロック館長がそういう流れに持っていかれたので、私も口出しせずに話を聞いたり、話題を振られれば答えたりしていた。
私は正直、国の主要な人々の役割についてはざっくりとした印象でしか物を知らない。なのでこの雑談はとてもためになった。
例えば、他国との外交を担うのは外務大臣とその部下の方々だ。
内務大臣はその逆という印象なので、ぼんやりと国内の政務を担当しているという印象があった。それは間違っていなかったが、内務大臣は国内で起きる様々な事案全てを取りまとめているという、極めて幅広い立場の方らしい。
勿論、国内の様々な問題を一人の人間――あるいは一部署――がこなすのは、無理がある。内務大臣を最終的なトップとしつつ、その下にいくつもの部署があり、それぞれの部署を各大臣たちが取りまとめているのだとか。
そんな重大な立場にいる大臣の補佐なので、大臣補佐という役職名の人はスケルディング大臣補佐だけでなく他にも複数いるそうだ。スケルディング大臣補佐はその中では年齢的に若いため「下の立場です。いつも使い走りにさせられるのです」と笑いながら仰られた。
「爵位授与の儀式について彼を頼りましたのは、彼が今の地位に就く前に、城内外の儀式を専門とする部署にいた事があったからなのです。爵位授与の儀式について、ラングストン子爵の不安についてお答え出来ると思い連れて来ました」
「そうなのですね」
「大臣補佐になる前に数年ではありますが、儀式の準備と運営――特に、城内で行われるものを受け持っておりましたので、ご質問にはお答えできるかと。ラングストン子爵は何をご不安に感じておられるのか、お伺いしても?」
ブロック館長の言葉で彼が連れてこられた理由が判明した。元専門家ならば、確かに頼れる。そう納得した所でスケルディング大臣補佐に尋ねられ、私は言葉に詰まった。そう改めて聞かれると、なんと答えたものか……。この胸に広がる、漠然とした拭いきれないもやもやを、なんと伝えたものか……。
「その……お恥ずかしいのですが、全て、と言いますか……。儀式の流れはお伺いしましたが、その通りに己が出来るのか、どうにも不安なのです」
「お気持ちはよくわかります。陛下と一対一で会話をする事になりますからね」
スケルディング大臣補佐の言葉に、大きく頷きそうになる。
勿論、型にはまった会話をする事になる……というのは聞いている。……それでも、今まで雲の上という遠い存在であった陛下と話す機会なんて、本来なら、私には一生縁がない事だったはずだ。緊張するな、というのは無理な話だと思う。
「では本日はもう一度、スケルディング大臣補佐から流れを説明するというのはどうでしょうか。細かい所作については後日、お二人で日程を調整されて指導の場を設けるという形にされては?」
ブロック館長の提案に、私は頷いた。
「では最初から簡単に、爵位授与の儀式の流れをお伝えいたします」
そういってから、スケルディング大臣補佐はさっと紙を取り出した。そこには既に文字が書かれている。どうやら儀式の流れのようだ。事前に準備してくださっていたらしい。
「儀式の当日ですが、まず早朝、登城していただきます。爵位授与の儀式は赤王の間で執り行われますので、赤王の間から最も近い控室に案内されます。こちらの控室までは護衛の者や従者を連れていくことが可能です」
城は大きい。〇〇の間という名前の部屋はいくつかあるという事なので、赤王の間という名前は忘れないようにした方が良いだろう。
「こちらでは同性の城の者による危険物の持ち込みなどがないかの検査をされる事になりますので、ご了承ください」
陛下に謁見するのだから、万が一がないように検査をされるのも仕方がない。
そう考えると、シンプルな服装の方が良いのだろうか。
いやでも陛下の前に出るのにあまりにシンプルな服装は、相手を軽んじている事になる気がする。そのあたりはメラニアと……いいえ、ライダー夫人にお伺いした方が良いのかも?
「その後、準備が整い時間となりましたら、控室から赤王の間に移動して頂きます。ただし護衛及び従者の方々が付いてくるのは赤王の間近辺までです。基本的には、控室にて待つように指示をされるかと。これは爵位授与は古来、王と臣下が二人きりで王と神に忠誠を誓う契約であった事に由来します。そうでない形で儀式が行われる事もありますが、ラングストン子爵の爵位授与式では陛下と二人きりになると予想されます」
恐らく一緒に行く事になるのはジェロームかジェマ、或いは二人とも。それもあり、壁際でこちらの様子を伺っている二人も耳を澄ましてスケルディング大臣補佐の説明を聞いていた。
だがそうか……やはり、誰かと共に行く事は出来ず、最終的には私一人で陛下に謁見する事になるのか……頭を抱えたくなったが、心の中でうめくだけに留める。
「赤王の間の前に控える兵士により、子爵が来られた事が陛下に宣言されます。その後ドアが開かれますので、子爵はまっすぐに陛下の方にお進みください。陛下は赤王の間に足を踏み入れれば、真正面に座しておられますので迷う事はないかと」
「その……歩く速度に決まり事などございますか?」
「ありません。勿論陛下をお待たせし過ぎる程ゆっくり歩かれると困りますが……そのような方は今までいらっしゃった事が御座いませんね。ただ緊張から早足になる方が多いですから、落ち着いて、ゆったりと歩いて行かれる方が余裕があるように見えるでしょう」
ゆっくり、ゆっくり……。でも想像するだけで、スタタタッと進んでしまいそうだ。気を付けなければ。
「陛下が座しておられる台座の少し前まで来ましたら、跪き、名乗りを上げます。この時の名前は簡潔なもので問題ありませんが、子爵が正式な名乗りをしたければ、そちらでも問題ありませんよ。子爵からの名乗りが終わりますと、陛下が子爵に対して一言声をかけられます。こちらは場合によって内容が異なりますが、大概が遠方から来た事を労わる言葉ですね」
一部を除き、貴族の当主は己の領地にいる事が多い。そのため、わざわざ王都まで来た臣下への忠誠を、陛下は労わるのが古来からの決まり事らしい。
私は王都在住なので対して距離はないが、そういう文言が定番になっているので、恐らくそのような形で言われるとか。
「その後、爵位授与の儀式が行われます。臣下が陛下に忠誠を誓い、陛下はそれを認めて爵位を授与する……以上が全体の流れになりますね。ここまでで一番不安に感じられる事はどこでしょうか?」
「やはり……儀式といいますか、誓いの言葉でしょうか……」
「どのような言葉を陛下に申し上げるかは、恐らく担当部署から書面で届くと思います。勿論、それを元に少し工夫される方もいらっしゃいますが、基本的には決まった文字を仰られるだけで問題ありませんよ。そうですね……袖のあたりに誓いの言葉を記したメモを忍ばせておけば気が楽になると思います」
スケルディング大臣補佐がサラリとそんな事を言うので驚いた。
「そのような事、してよいのですか!?」
「勿論ですよ。公の場で話す内容を服に忍ばせる位の事は、大臣たちもよくしている事ですから」
パチパチと、瞬く。よく、する事なのか。言うべきことのメモを忍ばせるのは。
てっきり、ああいう事は全て記憶して皆行動しているのだと思っていた。
「わ、分かってしまわないのですか……? その、周りから見て……という事なのですが」
「そのあたりは本人の技量次第ですが……基本的に分かったとしても、わざわざ指摘する人はおりません。むしろ内容を忘れてしまい、その場の空気が崩れる方が問題になります。特に儀式の場では」
確かに……私は陛下と二人きりで謁見する事になるのだから、私が何を言うかを忘れて硬直してしまったら、迷惑をかける相手は陛下だ……。そのような失態を犯すよりは、あからさまでもメモを見て粛々と儀式を行う方が良いのだろう。
「仕込み方は色々ございますよ。先ほどお伝えした袖に仕込む場合もありますし、手袋に直接書いて、堂々と掌を見ながら読み上げる方もいらっしゃいますね。私が記憶に残っている限り最も奇抜だったのは、服に刺繍でスピーチの内容を入れていた件ですね。大胆過ぎて、あれは城内で伝説となっています」
金と手間までかかっている。すごい。
笑い話にされようとも、絶対にその場ではスピーチを失敗させないという決意が見えるようだ。
「ですのでラングストン子爵も、全てを覚えなくてはならないとあまり思い詰める必要はありませんよ」
「その……ようですのね」
「ええ」
儀式に関する話題はそのあたりで終わって、そこからはまた暫く雑談をした。
そうしてスケルディング大臣補佐と私が直接やり取りが出来る位に話が盛り上がってから、館長と大臣補佐はお帰りになった。




