【12】信頼できる専門家
メラニアは思い立ったら即行動という所があると思っていたが、こうして傍にいると、それをより感じさせる。あの宣言の後に私の腕を引くようにしてカンクーウッド美術館に赴いたかと思えば、着いて早々にブロック館長を呼ぶようお願いしたのだ。
相手は、この、国内外に名の知られている美術館のトップだというのに、この行動の速さ。私では恐らく一生出来ない。そう思った。
私たちの急な呼び出しに顔を出してくださったブロック館長は、いつもの通り、口ひげで隠れていても分かるほどに口角を上げて私たちを迎えてくださった。
「ようこそいらっしゃいました、ライダー夫人。アボット夫人。私をご指名されたという事で、どのような御用でしょうか」
「ブロック館長! ライダー夫人をお助け下さいませんか。私共では良い考えが浮かばないのです。どうかお知恵をお貸し頂きたいのです」
「勿論でございますよ。私がご協力できる事でございましたら手助けさせて頂きます」
館長は私たちの様子から只事ではないと思ったのか、美術館の中で関係者のみが通されるのだろう廊下を通り、それから椅子も机も高価なのが一目でわかる作りの部屋へと通された。ライダー侯爵家では一流だろう物しか使われていないので、あの屋敷で過ごすうちに高級志向のものと大衆向けのものは軽く見分けがつくようになった。
……恐らくだが、軽々しく出歩けない人が来られた時とかに対応する部屋なのではないだろうか? そんな所に通されてする相談が自分の困りごとというのが恥ずかしい。
席に着くと共に、メラニアはまずこの問題を外部に漏らさない事をお願いした。ブロック館長は混乱した若い女二人を安心させるように、ゆっくりと頷いた。
それを見てからメラニアは私を見た。さあ話して、と言われているようだった。
だが、いざ説明しようとすると、口が上手く言葉が出てこない。
「…………ぁ、………………っ」
喋ろうとしているのに、喋るつもりがあるのに。
けれど口を開いても、漏れるのは私の息だけで、言葉にならない。
メラニアにはあんなに説明していたのに。ついさっきまで、普通に声が出ていたのに。突然、何故?
ブロック館長もメラニアも何も言わずに私を待っていてくれたのだけれど、結局私はこの後まともに説明する事は出来なかった。ある程度待った所で私がメラニアに視線を向けると、こちらの縋る気持ちを察してくれたメラニアが私の目をまっすぐに見つめてきた。膝の上の私の手を、メラニアの左手が握る。握られて初めて私は自分の手が震えていると気が付いた。
「私が説明するわね。何か間違っていたら教えて頂戴」
「……」
私は頷いた。
メラニアは私に代わり、ブロック館長に悩みについての相談をした。
ブロック館長は極めて落ち着いたまま説明を聞いた。
説明の途中、館長の顔に呆れや蔑み、失望などが浮かぶのではないかという感情から、ブロック館長を見つめてしまった。父が偽物を騙されて買った事から始まり、本物かの確認もまともにせず周囲に通達した事等、様々な本物の芸術と日々触れ合っている館長からすれば怒りを感じてもおかしくない愚行ばかりだ。
けれどブロック館長の表情は、メラニアによる説明が全て終わるまで、特に変わる事はなくただ真剣な表情のまま説明を聞いているだけだった。
肩透かしを食らったような気持ちになった。…………同時に、結婚後では恐らく一番喋っているだろう外部の人から失望したような目線を向けられなかった事に、安堵もした。
「なるほど。確かに対応が難しいですね」
「ぁ、の」
「はい」
今度は、少し掠れているものの、ちゃんと自分の声が出た。
「私の、持っている絵で、何か、『小麦畑』に匹敵するような作品とか、ありませんでしょうか……」
「ライダー夫人が購入された絵画を全て把握している訳ではありませんので、良ければ後でお持ちになっている絵画の一覧をお送りいただけますか? ただ、カンクーウッド美術館がご紹介させていただいた絵となりますと、中々……ドリューウェットの、しかも『小麦畑』を超える知名度を持ち万人から価値を認識されている物はないでしょう。…………それ以外ですと、ライダー侯爵家が所有している絵画であれば、『小麦畑』に匹敵するものはいくつかあったはずですが」
「! 本当ですかっ」
「ですが夫人。その絵画は、ある程度芸術作品に精通している者ならば、ライダー侯爵家所有だと知っているのですよ。その場は誤魔化せても、後から夫人の御実家の物ではないという事が露見する可能性が高いのです」
それでは駄目だ。一時的に貸し出す事は別に良いとして、けれどそれは汚名をそそいだり有耶無耶に出来るインパクトは持たない。買ったならともかく、借りたという事は、結局その絵を所有した訳ではないのだから。
「それ以外、それ以外ですと…………ふむ、私の伝手を少し当たってみましょう。あまり期待はしないでいただきたいですが」
「…………いえ、ブロック館長にはいつもお世話になっております。これ以上迷惑はお掛けできません」
私は力なく首を横に振った。横からメラニアが咎めるかのように私の名を呼んできたが、そっと重ねたままの彼女の手を握る。
結局、もとはと言えば自業自得なのだ。
父は勿論のこと…………父がああいう人だと知っていたのに、生活が好転した事で父への監視を緩めてしまった母も、自分の事ばかりで家族の事を少しも考えなかった私も。
もっと早く母が気が付けば。もっと前から自分から、家族と触れ合おうと考え行動していれば。もしかすれば、今みたいに悩む必要は無かったかもしれないのだから。
「ブロック館長。突然お時間を取らせてしまい、申し訳ありません。お仕事の邪魔でしたでしょう」
「邪魔なんて、まさかまさか。……ライダー夫人、私は迷惑などとは思っておりませんよ」
「ありがとうございます」
普段客としてきている相手に、本心など言える訳がない。私は申し訳ないと思いながらメラニアの手を握ったまま、立ち上がった。
「本日はこれにて失礼いたします。私が個人で保有しております絵画の一覧は、用意が出来次第送らせていただいますわ。ブロック館長を頼ってしまう事、どうかお許しくださいまし」
私はそういって、カンクーウッド美術館を後にした。
「もうアナベル! ブロック館長以上に絵について頼れる方なんていないじゃない!」
「私の極めて個人的な問題に時間を割いてもらうなんて、申し訳ないもの」
「もう。侯爵家に嫁いだっていうのに、そういう考えはあまり変わってないのね。誰かに迷惑をかけないとか、誰にも弱みを見せないとか、無理なのよ。問題は誰にどう迷惑をかけるのか、誰に弱みを見せるのかなのよ? 迷惑をかけた相手にはそれに見合う行為を、後でお礼として出すにしろ、その後相手が困った時に力になるにしろ、すればいいの! その点ブロック館長は信頼出来るし、普段からアナベルは訪れたり展示会で絵を買ったりしているのだから、後から挽回する事はいくらでも可能じゃない。それぐらいのやり取りはしなくては」
メラニアの言う通りなのだけれど、中々、生まれ育った性格というのは変わらないのだ。
その後もメラニアは私にぽこぽこと怒っていたけれど、ある程度の所でサッパリ切り替えた。
「私も少し考えてみるわ。ただあまり期待はしないでちょうだいね。それと、もしかしたら夫には相談するかも。夫も口は硬いから許してほしいのだけど」
「メラニアが信頼出来ると思っているのでしょう? なら大丈夫よ」
そんな会話をしてから私たちは別れた。
私は彼女を見送ってから、溜息をつくのだった。