【10】弟妹との触れ合い
「まずはっきり申しますが、騙されていたと認めるのは必須です。お父様。当主として頭を下げてください」
父が何かを言う前に、念押しした。
「お父様の世間での評価は今更です。一つ騙されたエピソードが増えても大した痛手になりません。ですが家の名前で招待状を出しているパーティで、偽物とわかっているものを本物のように出せば、家名に瑕がつきます。今はもう、お父様やお母様だけでは収まらず、フレディにまで飛び火しますわ」
何の責任もない子供でも、親の失態で嗤われる事はある。とはいえ、まだ社交界にも出ず一人前とみなされない年齢の頃ならば、まだ「親」のやらかしですむ。だがもうフレディは社交界に出て、大人となった。「親を止められなかった子」として見られ始めるのだ。
社交をしていない私でもそんな事は分かるのだ。当然、母は分かっているはずだ。実際私の言葉に頷いている。
「お父様。せっかく持ち直した家を、また元通りに没落させるのですか」
「そんな事…………絶対にしない」
「ならば謝るしかありません。とはいえ、謝るタイミングは……はぁ、難しいですね。いつにするのがいいか。…………パーティの開催はいつですか?」
私の問いかけにすぐ母が答えてくれた。
「来月なの」
「…………戻ってから、少し相談します。今すぐにこれという答えが浮かばないわ」
「ありがとう、アナベル。ごめんなさい、本当に」
「気にしないでお母様。さて。私、フレディたちと話してくるわ。せっかく皆に会えたのに、会話もしないで帰ったらつまらないもの」
そう言いながら立ち上がり、私は父母を置いて部屋の外へと出た。
廊下に出た所で、付いてきているジェロームに謝罪とお願いをする。
「ごめんなさい、情けない様子を見せてしまって。どうかこの内容は秘密にしておいてくれないかしら」
「秘密といいますと、執事頭にもでしょうか」
「ギブソンなら……別にいいわ。私からも相談するかもしれないから。でもそれ以外の人には、伏せておいてほしいの」
どうあがいてもブリンドル伯爵家の汚点にしかならない。ライダー侯爵家であまり広まってほしくない。今は一応、立場だけとはいえ女主人だからと皆秘してくれるだろうが、もし将来的に夫から離縁されるなんて事があれば…………その時は嬉々として語る者もいるかもしれない。ライダー侯爵家の使用人は皆しっかりとした人ばかりだけれど、噂好きなのは人間の性みたいな所があるから、絶対に言わないとは言い切れない。出来る限り知る人は少なくしたい。
その少ない人から漏れる可能性も勿論あるが、そこまで考えたら何もできなくなってしまうので、漏れたらその時はその時と諦めるしかない。
私の言葉にジェロームは頷いた。
「畏まりました。ご安心ください。主人と共に見聞きしたことを別の場所で漏らしたりいたしませんから」
「ありがとう、ジェローム」
私は廊下を歩いた。広くない家だ、フレディが行ける場所は多くはない。二人の妹はきっと自室にいるはずだ。だとすれば、彼もまた自室にいる可能性も高いか……。
そう思いながら歩いていたが、あっさりと彼を見つける事が出来た。
フレディは自室ではなく、裏口に繋がる廊下に立ち止まっていたのだ。
「フレディ」
足音で気づかれていたとは思うが、名前を呼ぶ。そうするとフレディは父によく似た焦げ茶の髪を揺らして振り返った。やはり父に似た緑の瞳は興奮からか少し色が濃くなっているように感じられた。
「……謝らない。あいつが悪いんだ、散々、母様に助けてもらったくせに、勝手な事したあいつが……」
あいつというのは間違いなく父の事だろう。
いつからかフレディは父の事を父様とは呼ばなくなった。人前で呼びかける時はそう呼ぶ時もあるが、家では全くそう呼ぼうとしない。最初は訂正しようとしていた母も、途中で「早い反抗期ね」と諦めていた。
確かに反抗ではあると思う。一時的なもの…………かどうかは分からないが。
「そうね。お父様は馬鹿だわ」
それは間違いない。学習能力が無いともいえる。
周りから見た父は、優しい人だろう。確かにそれは間違いではない。父が怒鳴った所など見た事がない。せいぜい、先ほどのように咄嗟に声が大きくなるぐらい。
父は妻や子供たちを愛していて、いつも優しかった。暴力も暴言もなく、子供たちが何か失敗しても優しく言い聞かせるだけ。
それは素晴らしい父親の像なのかもしれない。だが、家族からすれば……子供からすれば、父は情けなくて、頼りがいもない男性でしかなかった。
それでも心の底からは嫌えない。私が子供で、相手が父親だからだろうか。
「……俺はあんな奴にはならない。あんな風に、家族に迷惑ばかりかける奴になんてならない……!」
私はそっと、フレディの背中を撫でた。
一つしか年の変わらない弟は、幼い頃から、男児だから、家を継ぐからと、頑張っていた。私も長子だからとあれこれ考えたりしていたが、きっとフレディほどのプレッシャーや責任は背負っていなかった。
社交界に出た後のこの子を、私は知らない。本当ならば嫁いだとはいえ実姉として手助けしなければならなかったが、私は夫に禁じられていたからと……なんの手助けも出来なかった。しなかった。
「ごめんね、フレディ。今まで何も助けてあげられなくて」
背は伸びたが、まだ私ほど高くはない弟の頭を抱き寄せると、少し嫌がるそぶりを見せた。しかしその抵抗もほんの少しの事で、すぐ大人しくなる。
フレディの頭を抱き寄せていたのはほんの数秒の事だった。彼がそっと体を動かしたので、私も腕を解く。僅かに潤んだ緑の瞳が私を見た。
「姉さん太ったな」
「はぁ?」
空気を壊す発言につい声が裏返る。フレディは口の端をわずかに釣り上げた。
「前はもっとガリガリだったろ。いい食べ物食べるとそうなるのか? そのうち丸々しそうだな」
「……おばか」
手に持っていた扇で二の腕を叩く。痛いと文句が出てくるが、私は呆れて言葉が出なかった。
「まあいいわ。久しぶりだから、姉弟水入らずで話しましょう。ジェイドとレイラも一緒にね」
「そうしよう。ジェイドたちこそ、姉さんと会いたいってずっと騒いでたんだからな」
フレディと共に二人がいる部屋へ向かえば、ジェイドとレイラが大喜びで出迎えてくれた。そのまま四人でお茶を飲むことにする。
四人分の紅茶と菓子が運ばれてきた。
出てきた紅茶は、一人ひとりバラバラのカップに淹れられている。それに懐かしさを覚えた。
社会的に地位が高い家では、複数人に茶が振る舞われる時にカップが違うという事はないだろう。見栄えが一番の理由だろうか?
しかし我が家では気にしない。最初はセットのカップを買っていたが、割れたり、家族が増えたりで別々のもので飲むようになった。まだ一人ひとり別のカップを使っているだけならマシで、場合によってはカップとソーサーが明らかに別の絵柄の時もあるぐらいだ。恐らくライダー侯爵家では未来永劫有り得ない事態だろう。
菓子はビスケットで、湿気てはいなかったが皿の上にビスケットの屑が散らばっている。こういうのも、ライダー侯爵家では見る事が出来ない光景だ。
全てに懐かしさを覚えながら紅茶を口にする。……薄い。香りも殆どなかったので察してはいたが。
相変わらず、少ない茶葉で紅茶を淹れているようだ。私相手ならばいいが、他のお客様にこれを出したら憤慨する人もいるかもしれない。一応、帰る前に母には伝えておこう。私はライダー侯爵家で通常の濃さの紅茶等を口にしているから違和感が凄いが、フレディたちは物心ついた頃からこの薄さの紅茶を飲んでいるから、違和感も感じていないのだろうなと考える。
「お姉様お姉様、侯爵家ではいつもどのように生活されているのですかっ?」
末妹のレイラの問に、来たなと思った。絶対にどこかで誰かに聞かれるとは思っていた。
レイラの目も、その横のジェイドの目もキラキラと輝いている。
ボロが出ないように気を付けながら、妹たちの夢を壊さないように口を開く。
「そうね、どのように……と言われると説明が難しいわ」
「社交界で姉さんを全然見かけないんだが、あまり外出はしていないのか?」
フレディ。痛いところを突いてくる。
少し困りつつ笑う。
「ええ、ほら、私、あまり大勢と話すの得意ではないでしょう? 旦那様はそれを知ってくださっていて、家で楽に好きに暮らしてくれと言われてね。私も甘えているの」
嘘……という訳でもない。
私が社交に苦手意識を持っている事を夫は気が付いていた。嘘じゃない。
家で暮らせと言われた。嘘じゃない。
好きに暮らせと言われた。嘘じゃない。
こ、これはギリギリ嘘じゃないラインだ。
「お義兄様はお姉様に惚れ込んでおられたものね…………凄いわぁ! 愛されてるって感じ!」
「良かったわねお姉様。いつもいつも、沢山の人の顔と名前を覚えられるかしらって言ってたもの」
レイラとジェイドはそれぞれそんな風に言う。
どうやらいい感じに誤解してくれたらしい。婚約していた頃の夫の私への態度を見ていた人たちは、夫が私を甘やかしていると思うのだろう。これならいい感じに誤魔化せそうだと安心する。
「ええ、旦那様には感謝しているわ。……フレディ。社交で何か困った事でもある? 私ってば、姉のくせに何も助けてあげられなくて……」
「別にないよ。俺は姉さんほど対人に苦手意識を持ってないから」
紅茶を飲みながらフレディはさらりと言う。確かに私よりはフレディの方が社交界でうまくやるだろう。心配し過ぎるのは、余計……邪魔かもしれない。
「ジェイドとレイラは、何か困っている事はない?」
「うーん、すぐにパッとは思い浮かばないわ」
そう言うジェイドに対して、レイラが膝の上で指先を擦り合わせながら言った。
「あのね、お姉様……私、新しい服が欲しくて」
「おいレイラ」
レイラの言葉にフレディが眉を寄せた。しかしレイラは頬を膨らませて兄を睨む。
「フレディ兄様は出掛ける用だと言ってお父様たちから三着も仕立てて貰っているではありませんか! 私だって後二着…………一着ぐらい、お出かけ用のお洋服が欲しいわ! ねえジェイド姉様、お姉様もそうでしょう?」
レイラが横のジェイドに同意を求めると、ジェイドは私ともフレディとも目線を合わさず、斜め上を見上げた。ジェイドが困るとよくする動作で、恐らくレイラと気持ちは一緒なのだろうが、そうだと言い辛いのだろう。
フレディに対してズルいという感情はあれど、ドレスを何着も用意するのは大変だという事も分かっているのだ。あと二年もすればジェイドもデビュタントを行うので、その準備のために一年でドレスは何枚まで、とか言われているのかもしれない。
そうはいっても二人は年頃の少女だ。社交界には出ずとも、私的なパーティに参加する事は皆無ではないし、そうでなくてもどこかに出掛ける時に素敵な服や新しい服を着たい気持ちがあっておかしくない。
ジェイドからの支援が得られなかったレイラは横の姉を睨んでから、私に向かって両手を組む。
「お願い、アナベル姉様。私もアナベル姉様みたいな素敵な服が欲しいわ!」
「服一着にいくらかかると思ってる。姉さん。聞かなくていい。服だけで終わるもんか、次は靴だ、帽子だ、鞄だ、アクセサリーだとキリがないぞ!」
「フレディ兄様酷い! 私を何だと思ってるの?」
「余裕が出たからと、あれこれ買う余裕は我が家には無いと言ってるんだ、調子に乗るな」
「だから我が家じゃなくて、お姉様に強請ってるんじゃないっ! 侯爵家は我が家と違ってお金持ちなんでしょう?」
「お、前なぁ!」
「こらこら。二人とも止めなさい」
兄妹喧嘩を始めそうになる二人を止める。
フレディは嫡男としての考えがある故に、レイラの考えを認められないのだろう。一方でレイラも、それはそれで分かっていたとしても、自分の気持ちというものがある。特にこの年頃の女心というのは難しいのだ。私も、少し親に反抗気味だった時期があるので分かる。……私がレイラの年頃の頃は、どうせデビュタントなんて出来やしないだろうと思っていた。懐かしい。
「そうね。そういえば、結婚してからは忙しくって、ちゃんと誕生日の贈り物も送れていなかったわね」
「何言ってるんだ姉さん。花束に敷物やカーテンを送ってくれただろ」
知らない。そんな話知らない。
え? 送ってない。だって結婚してから半年間の私はもう、周りの事とか考える余裕もなくて。その後も、外に出れた事で頭が一杯で、家族の記念日も忘れていたのだ。家族からも連絡が無かったから、嫁いだらこんなものなのかと思っていたのだけれど……。
驚いてしまったが、それを隠すようにフレディに言う。
「それだと、家全体にという感じがしたでしょう。もっと個人的な形で送るわ。昨年の分と、今年の分。合わせて渡すという形なら、ドレスを一着作っても問題ないでしょう」
「ありがとう、お姉様!」
「良かったね、レイラ」
ジェイドが微笑んでレイラに声をかける。なんだか他人事のような反応をしていたので、つい突っ込んだ。
「あら他人事? ジェイドもよ」
「え、えぇっ! わ、私も? アナベルお姉様。本当に?」
「当たり前じゃない。フレディにもね。三人共、可愛い弟妹だもの」
「あっありがとうお姉様!」
「…………わ、分かったよ」
こうして私は三人に誕生日のプレゼントを渡す事を約束し、懐かしい家を後にした。弟妹たちとの触れ合いは私の心を温めてくれた。