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【01】流行りの歌劇を旧友と

 短編版の連載です。加筆修正しながら書くので、第一章も少しゆっくり進行になります。

 政略による結婚。夫婦の最初の仕事である初夜。その初夜を行うベッドの上で、新妻に夫は告げる。


「お前を愛する事はない」


 夫には妻以外に愛する女性がいた。しかしその女性は立場が弱く、彼女との結婚は難しい。けれど彼の立場が、結婚しない事は許さない。

 故に夫は妻を娶ったが、妻を愛する事も尊重する事もなかった。


 初夜を放置された妻は一人嘆き、そして奮起する。必ずや夫を見返してやると――。



 ■



 国一番の人口を誇る王都には、娯楽も国一番で集まっている。

 人気の高い娯楽の一つに劇があるが、ここ最近は国にあるどの劇場に通っても、似た筋書きの劇ばかりが上演されている。細部や展開は違うが、皆大筋は同じだ。どうやら最近この手の話が人気らしく、どの劇場でもこればかりが上演されているらしいので本当に困ってしまった。

 ひと昔前ならば、私も素直に楽しんで、あるいは感激したりして、この劇を見る事が出来ただろう。……しかし今では笑えもしないし、泣けもしない。


「……初夜の前に言ってきただけマシじゃない」

「アナベル、何か言った?」

「いいえ何も」


 つい心の声が漏れて横にいた友人のメラニアに聞かれてしまったが、笑顔で誤魔化すと彼女は感嘆の声か何かと思ったのか、さほど気にしていないようですぐ劇を見る方に意識を戻した。私たちが今いるのは劇場アデラ座のボックス席。劇の種類にもよるけれど、今は平民も貴族も同じ時間帯で同じ演目を見る事が多い。そのため、貴族の多くは身近な人間のみで座れるボックス席に席を取る。今回メラニアが取った席も勿論ボックス席で、最大一つの空間に三人が座れるのだろうという事が、設置された椅子から分かる。ボックス席内部にいるのは私と、メラニアと、私に付いてきた従者だ。従者は席にはつかず、席の出入り口の扉付近でずっと立っている。


「アナベル、ジョルジーヌだわ、観て頂戴!」


 興奮して身を乗り出すメラニアにつられてボックス席から頭だけを出すようにして眼下の舞台を見下ろす。丁度、本日の演目の主演女優であるジョルジーヌが舞台の中央に歩きながら、夫に対する怒りを歌い上げる所だった。舞台にこのような事を言ってはナンセンスだろうが、嫁いできた家の中で、家の主人に対して不平不満を叫べる神経が羨ましい。勿論、あくまで演劇的表現であり、実際にあったとしても口にする人は殆どいないだろう。誰にも聞かれないように小声でつぶやくか……心の中でなら、いくら叫んだって問題がない。


 過去に思いを馳せている間に、歌が終わり、話が進んでいく。途中休憩も挟んで、物語は全二幕で終わりを告げる。

 メラニアは舞台中央で胸を張りながら堂々と観客に向けて一礼するジョルジーヌに向けて、力いっぱい拍手をする。その音で我に返った私は、メラニア程ではないけれど、片手に扇を持ったままパチパチと手を打った。


 劇が終わり、客たちが喋りながら席を立ち始める。それをボックス席から見下ろしていると、メラニアが声をかけてきた。


「少し人が落ち着いてから出ましょう」

「ええそうね」


 人込みに揉まれるのは好きではない。どうせ今日の予定はこの歌劇を観賞する事だけ、そのあとにメラニアおすすめのカフェで軽食を取ろうかという話はしているが、急ぐ理由もない。

 私たちは今日観た歌劇の内容の感想について話し合った。話し合ったというよりも、メラニアが興奮した様子で喋るのに私が相槌を打つだけの事が多い。


「ジョルジーヌの歌はいつ聞いても素晴らしいわね、特に感情がこもった歌が最高だわ!」

「ええそうね」

「最初の夫への怒りの歌も良かったけれど、私はやっぱり“アルバーノ(ヒーロー)”に対して秘めた思いを自問自答する歌が良かったと思うわ。そう思わない?」

「ええ、あの歌が一番素敵だったわ」

「そうよね、やっぱり歌劇は愛、よねぇ。愛! 素敵だわ!」

「そう、ね。素敵だわ……愛は……」

「本当に素晴らしい劇だったわね!」

「……ええ」


 嘘、嘘嘘大嘘!

 唇を噛みしめそうになるのを、ギリギリで耐える。メラニアは一人で盛り上がっていてこちらを見ていないけれど、顔に出そうな本音を隠すのに私は必死だった。

 素晴らしい劇? まさか。そんな事思える筈がない。

 確かにジョルジーヌの歌は素晴らしい。愛の歌を歌わせれば、彼女に敵う人などはいないと劇場に通う人たちは囁き合う。それは、まだ劇場に足を運ぶようになってほんの少しの私でも頷ける事実。

 でも、そんな愛の歌も、この劇で描かれている物語のせいで、私の心に響かない。


 それでもそんな事をメラニアに言えるはずがない。この演目は最近演じられるようになったばかりで、人気が高い。そんな演目の席を、私と久しぶりに会うために取ってくれた彼女の前で、何も面白くなかった、むしろ見ていて辛かったなどと言えるだろうか。私は言えない……。

 ただただ、その場しのぎの言葉を紡ぐ。一年ぶりに会った友人に、変な事を想われたくない。誤解されたくない。疑われたくない。ただその理由だけで……。


「ふふ、アナベル、また二人で別の歌劇を観に来ましょうね!」

「ええ勿論。メラニア、今日は誘ってくれてありがとう」


 ……その頃には、流行っているのが今のような劇でないといいのだけれど。


 扉の外の様子を窺っていた私の従者が、人通りが減った事を告げる。私とメラニアは立ち上がり、劇場を後にした。

 メラニアが用意してくれた馬車に乗り込み、カフェへと移動する。貴族の馬車であれば身分を示す家紋や名前が記されているが、この馬車には何も書かれていなかった。私とメラニアが車内に乗り込み、従者は私が乗ってきた家の馬車に乗って、私たちの後をついてくる。カフェまでは私とメラニアで一つの馬車を使えるが、カフェで話が終わればすぐに解散し、それぞれ帰るだけ。私が乗る馬車が必要だからだ。


 二階建てでテラス席も用意されているカフェに入る。メラニアが入っていけば、店員はメラニアの事を覚えていたようですぐに二階席へと案内された。階段から離れた、一つ一つの席が黒色の木製のパーテーションで仕切られている。テーブル一つにつき四人ぐらいが腰かけられるように設計されていて、一つ一つの座席が離れている事から、普段からそれなりに身分が高かったり生活が裕福な人たちが来るカフェだと分かった。


「何か食べる? アナベル」

「……あまりお腹が空いていないのよ。果実水でいいわ」

「ここ、紅茶が美味しいけれど、試してみる?」

「……ごめんなさい、次の機会があれば」

「分かったわ」


 アナベルが軽く手を上げれば、店員が私たちに近づいてきて注文メニューを聞き取り、静かに去っていった。私は果実水、メラニアは聞きなれない名前の紅茶だった。

 そこでの会話の流れも、殆どがボックス席の中のものと同じだ。私は口数が少なく、その分をメラニアが話す。彼女の会話の中身は最初こそ劇の内容であったが、次第に日常へと変わっていった。一年会っていないので、話は尽きなかった。


「最初は大変だったのよ。今までと生活が違うし、優雅に座ってるだけにもいかなかったもの。夫は仕事仕事! って朝早くにベッドを出て行って、夜遅くまで走り回っているし。そうすると日中は暇になってしまうでしょう? 嫁いですぐって調子が出ないじゃない。大人しくしていたら義母にね、何なら出来るかしらって言われて。文字と数字は分かるわよねって言われて、つい、はい分かりますって答えたものだから大変だったのよ! 急に若い店員たちが集められてきてね、義母が彼らは雇ったばかりの人だと言うのよ。それで、文字を教えておいてって。先生なんて私、した事なんてないのに! でも驚いてしまったわ。王都でも、平民だとあんなに文字が読めないものなのね。最初は文字一つ一つから教えなくてはいけなくて、もう頭がおかしくなるかと思ったのよ。だけどだんだん楽しくなってきてね。あらやだ、私ばっかり喋ってるわ。アナベルはどう?」

「私……私も、ええ、大変だったわ、最初は…………」

「そうよね、そうよねえ。だって侯爵様に嫁いだものね」

「まだ次期侯爵という立場でしかないわ、メラニア」

「でも確実じゃない。だって侯爵家でご当主を継げるのは、貴女の夫しかいないじゃない?」

「……それはそうよ。一人息子ですから」

「ふふ、私今でも思い出すわ、アナベルの結婚式! ウェディングドレス、すごくすごく素敵だった……。宝石も使って、レースも沢山で。私が今まで見た中で、一番のウェディングドレスだったわよ! ……私も自分が好きなようにドレスは作らせてもらったけれど、結婚式でも夫はお仕事お仕事だったから」


 メラニアの口は止まらない。始めて出会った時はデビュタントで緊張していたけれど、私と話す内に今のように調子を取り戻していた事を思い出す。

 懐かしい思い出だけれど…………先ほどから何度も、メラニアの口から私の夫の話題が出るたびに、私は表情を動かさないように神経を張り巡らせなくてはならなかった。


 飲み物が届いてから、無くなるまでは早かった。何せメラニアはよく喋っていたので、喉が渇くのは当然だっただろう。対して私は殆ど相槌ぐらいで、喉はあまり乾かない。

 結局私が果実水一杯を飲み終えるまでに、メラニアは違う名前の紅茶を三杯も飲み干していた。


 代金を支払い、私とメラニアはカフェの外に出る。私が乗る侯爵家の馬車も、メラニアが乗る馬車も、どちらもカフェの前につけられて準備は万端だった。


 私はメラニアとハグをして、馬車に乗り込んだ。従僕(フットマン)がドアを閉める。車内には私一人だけ。

 馬車が走り出す時は、窓の外からこちらに手を振ってくれているメラニアの姿が見えた。最後の力を振り絞って私は笑顔を浮かべ、手を振り返した。


「…………はぁぁぁぁぁ」


 メラニアの姿も見えなくなると、今日一日何度も口から零れそうだった溜息が口から長く長く吐き出されていった。気を張る必要がなくなり、私は頬から力を抜く。きっと私の顔は今とてもだらしない。だが車内には私しかいないのだ、これぐらい、許してほしい。



 私は今日、メラニアに再会する事を選んだ事を、後悔していた。



 メラニアと私の関係性は、デビュタントまで遡る。舞踏会が多く行われる冬の季節、私は一つの舞踏会でデビュタントを行った。その舞踏会は王族主催のひときわ規模が大きいもので、同日デビュタントを行った貴族の令嬢は多かった。その、沢山の人間の中で、メラニアと出会い、親しくなったのは偶然だっただろう。理由は今でもよくわからないけれど、同じ伯爵位の令嬢だったからこそ、着飾った性格をしていなかった事から、仲良くなったのかもしれない。


 同じ日にデビュタントをして大人になった私たちは、一年前、ほぼ同時期に結婚した。今のメラニアはもう貴族ではない。

 彼女が嫁いだのは王都でも有名な商家だ。特に服飾店が有名で、その家の商人に請われるような形で嫁ぐ事になったと聞いている。

 一方で私は相手から請われて結婚したのは同じでも、爵位も歴史も格も実家より上であるライダー侯爵家の嫡男ブライアンに見初められていた。デビュタント以降に出た舞踏会で私に一目惚れをしたというブライアンは、あまりに熱烈だった。彼のご両親も私を簡単に認めてくださって、トントン拍子に結婚の日取りも決まっていったのだ。


 ……あの頃の私は、人生で一番浮かれていた。調子に乗っていた。

 メラニアが商人と結婚すると決まったのは、私がブライアンに口説かれ始めてからの事だ。彼女から初めてその件を聞いた時、私は言葉には出さなかったが、彼女を哀れみ、優越感を抱いた。確かに彼女の嫁ぎ先は裕福だろう。下手すれば、彼の家より貧乏な暮らしをしている貴族は多いだろう。顧客は貴族も多く、格が低い訳でもない。

 しかし、平民は平民だ。

 実家との縁が完全に切れる訳はないけれど、平民に嫁げば法律上は平民だ。一方で私は、貴族の中でもさらに高い地位の女性となる。メラニアとは、立場が変わる。そう思っていた。


 それが、今はどうだろう。


 久しぶりに会ったメラニアは一目見て分かるほどに幸せそうだった。

 彼女が袖を通している服は彼女が実家にいたころよりも立派なもの。今の流行りは分からないけれど、きっと最先端なんだろうと想像がついた。身に着ける装飾品もそうだ。ひとつひとつは小ぶりで目立たないけれど、だからこそ彼女が着る服や彼女の顔や化粧を映えさせていた。髪も、唇も、肌も、指の先までも、まるで宝石のように輝いている。日ごろから丁寧にされていた証拠だ。

 そんな彼女を見て、私は酷く劣等感を刺激された。

 だって私が着ている服は、一年ほど前に流行っていた型のドレス。安い物ではないし、使用人たちがいつも手入れをしてくれているから綺麗だ。……でも、古い。身に着けている装飾品だって、使用人が用意してくれたシンプルな耳飾りと結婚指輪だけ。爪や肌や髪の毛は私だって使用人が整えてくれているのに、メラニアとは比べるのも烏滸がましいほどだった。


 メラニアと会った時に、私はまた自分の状況を振り返る事になり、ショックを受けた。

 ……それでも容姿や服だけならば耐えられたが、彼女に言われるがまま移動した先の演劇の内容は、さらに私の心をえぐった。

 いいや、最初から分かっていたはずだ。私が意図的に見ないフリ聞こえないフリをしていただけだ。……今の流行りが始まった時に、いくつかの劇場で劇を見た。その内容を沢山見るのが辛くて、暫く演劇鑑賞からは距離を取っていたけれど、それでもアデラ座で新しい演目が始まった事は知っていたし、主演がジョルジーヌという事も聞き及んでいた。少し考えて調べればわかる事。でも私は、深く考えないようにしていた。だから歌劇を観て傷ついたのは、ただただ私一人が悪いのだ。あの劇を作った人も、演じた俳優女優たちも、私を連れて行ったメラニアも、誰も悪くない。


 私が今流行りの劇を見るのが辛い理由。


 それは、私もまた、結婚後、夫から愛するつもりはない事を告げられ、本当に愛する人は別にいると告げられていたからだ。

 けれど私と劇の主人公たちの一番の違いは、逃げる手段も能力も無い事だった。


 あの手の劇において、夫が妻に「愛することはない」と告げるのは、初夜の前だ。初夜を過ごす前に男は女に、本当に愛している相手は別にいると告げて、二人は体を交わす事もなく夜が終わる。だからこそ主人公である妻は、【三年体の関係が無ければ白い結婚であると認める】というこの国の法律を利用して、最終的に夫とは縁を切るのだ。全てが全てそうではないだろうが、私が見た劇はどれもそういう方法で夫との離縁を勝ち取っていた。今日観た劇もそうだ。でも、私にはそれが出来ない。


 私が夫に「愛していない」と告げられたのは、初夜に、二人で熱烈な夜を過ごした後の事だった。

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