Menu26.因解の氷菓 その1
ハイデルバッハ王国へ、ヒイヅルの大使館を設立させるため……。
ひいては、極東の島国に過ぎない母国が、世界へ打って出る足がかりを築くため……。
はるばる王国へとやって来たスミレであったが、事は大望であり、そう簡単に達成できることではない。
何より厳しいのは、この国において、頼れる相手がいないということであった。
政治というもの……。
そして、交渉というものは、どこまでいっても、人と人との関わり合いである。
従って、頼る相手どころか、そもそも知り合いすらいないスミレにとって、現状は、足がかりすらない岩場へ、登攀しようとするかのごときものであった。
正確にいうならば、ヴァルターという頼れる存在はいる。
しかし、あくまで彼は商売人であり、築いている人脈も、取り引きを中心としたものであった。
そちらも重要であるが、スミレにとって、今大事なのは、あくまでも政治的なつながりだ。
手がかりや足がかりというものが、何もない状態……。
ならば、まずは楔を打ち込み、最初の一歩を踏み出せるようにするのが肝心……。
そのため、精力的に取り組んだのが、茶会や舞踏会を始めとする、各種催しへの参加であった。
無論、王国の文化を聞きかじっただけの小娘が、それら催しで十分に立ち振る舞えるわけもない。
しかし、それがかえって、好意的に映ったのだろう……。
王国貴族に対する受けは、良い。
時に、慣れない王国式ドレスでのステップを教わり……。
また時には、ティーテーブルを囲んで、王国とヒイヅルの違いについて語り合い……。
少しずつ、着実に、スミレは王国貴族たちとの顔を繋いでいたのであった。
その甲斐あってのことだろう。
まだ王国に滞在して日の浅いスミレであるが、現在、ハイデルバッハ王国において、貴族というものがどのような立ち位置であるかは、おおよそ理解しつつあった。
一言で表してしまえば――斜陽。
ヴァルターのような商人階級が台頭し、力を付けるのと比例して、徐々に力を失いつつあるのだ。
これは歴史書を見る限り、太平の世が続いた社会において、ほぼ必ず起こる事態である。
貴族……ヒイヅルでいけば武家であるが、その本質は、あくまでも暴力機構。
外敵から身を守るからこそ、人々から崇められ、力を持つことができるのだ。
が、長くその外敵と戦う機会がなく、その間に銭が物を言う世となると、これは途端に求心力を失ってしまう。
何しろ、暴力機構はあくまで、暴力機構。
その存在が、自発的に金を生み出すことはない。
むしろ、その階級に属する者が増えれば増えるほど、これを養う下層階級の負担は増すのだから、立場が悪くなるのは当然であった。
およそ人間が形成する社会において、無駄飯を食む者が優遇されることなどありえないのだ。
結果、需要増大や賃金上昇により、王国全体が良い意味で物価上昇を続ける中、税率を上げる名目を持たない貴族階級は、相対的に貧しくなっているのである。
分かるのだ。
違う土地柄、違う文化、違う人種……。
だが、貴き者として、人々の上に立つ階層が持つ匂いというのは、共通していた。
その感じられる匂いが、どうにも弱々しく、王国貴族の先行きが暗いことを予感させるのである。
スミレが会うような有力貴族たちでさえ、そうだったのだから、下級貴族家ともなれば、さぞかし困窮していることであろう。
だが、本日、スミレが招待された貴族家……。
この家に漂う活気は、これまで会ってきた貴族たちと、一線を画するものである。
統一された服装で働く使用人たちは、いかにもきびきびとしていて手際がよく、これは教育が行き届いているだけでなく、待遇そのものが良いのであろうと推察できた。
それに、この庭園……。
どうやら、ハイデルバッハ王国の貴族たちは、庭園へ力を入れる風習があるようであったが、ここに比べると、他家のそれがみすぼらしかったように思えてしまう。
文字通り、色とりどりの花が咲き乱れ……。
しかも、これは、各花壇ごとに主題を設けているのが見て伝わるのだ。
これだけの庭園を維持するのも、維持可能な庭師を雇い続けるのも、並大抵のことではあるまい。
この家が、貴族斜陽の世にありながらも、十分な財力と権力を保持していることが、一目で分かる光景であった。
だが、それも当然のことであろう。
この貴族家――ハンベルク公爵家は、亡き先代当主の東方冒険行により、莫大な財を築き上げているのだから。
「いかがでしょうか?
当家の庭園は」
ハンベルク公爵家の令嬢カーヤ・ハンベルクが、咲き誇る花々とは対象的に無機質な表情でそう告げる。
「誠、お見事……。
花々の美しさに、スミレは目がくらむような思いでございます」
彼女に案内され、ハンベルク公爵家の庭園へと足を踏み入れたスミレは、素直な感想を口に出した。
四方八方を、原色の花々が覆う空間というものは、ヒイヅル式の庭園には見られぬ鮮やかさである。
どちらが、上というものでもない。
ただ一つ確かなのは、この庭園に、乙女をうっとりとさせる魅力があるということだ。
「お喜び頂けて、何より……。
長き年月をかけ、様々な土地から花々を取り寄せては根付かせてきた甲斐が、あろうというものです」
「まあ……。
では、これらの花は、全てが王国原産というわけではないのですね?」
自分の問いかけに、カーヤがうなずく。
それにしても、このカーヤという少女……。
姉であるはずのアウレリアとは、また随分と性質の異なる娘である。
冷たく――硬質。
髪の色は同じ黄金であり、顔立ちもよく似ていた。
ただ、表情の乏しさと、その眼差し……。
まるで、目に映る全てがつまらなく感じられているような……。
これだけ美しい花々に囲まれながら、その美しさに見向きもしない無感情さが、姉とは決定的に違う点だ。
「はい。
例えば――このトマト」
そんな少女が、花々の中にあって異彩を放つ果実……いや、野菜だったか。
枝に付いたままのそれを手に取り、遠く――東の方を眺めた。
「これの原種は、大陸と地続きの遥か東からもたらされたそうです」
大陸と地続きの、遥か東……。
それに関しては、スミレも知識がある。
目の前にいる少女の祖父がヒイヅルへもたらした地図によると、この大陸はヒイヅルの北方を細長く伸びており、その東側にはまた別の大陸が存在するのだ。
世界というのは、実に広大であり、スミレの父たる将軍が外洋航海術を熱望しているのも、そういった広い世の動きへ遅れないためなのであった。
「それは、実に素晴らしいことです」
すらすらと、返すべき言葉を紡ぐ。
「遠き地から、ここへ根付いて花を咲かせる……。
わたくしの国が置かれた立場を見ても、それは吉兆と思えますわ」
「遠き地より来たりて、根付くといえば……」
ふと、思い出したようにカーヤが語り始める。
「亡き祖父と共に、この地へ渡り来て、今は孫の代にまで至っているヒイヅル移民の皆様……。
彼らもまた、この庭園がごとき存在ですね」
「ええ。
そういえば、先日催した野点にも、ヒイヅルのお嬢様がいらしていました」
やや、含みを持たせた言葉……。
それに若干の不審感を抱きながら、答えた。
すると、カーヤは驚くべき……。
しかして、スミレが直感的に抱いていた疑惑を口にしたのである。
「異国より来て、花を咲かせるのは結構なこと。
けれど、その中に毒の花が混ざっていては、問題と思いませんか?
例えば、現将軍家が滅ぼしたという血族の、生き残りがいたとすれば……」
「それは……」
スミレの脳裏に、あのシズルという娘の顔が思い浮かんだ。
あの、顔立ち……。
あれは……。
「ねえ、どうでしょう?
スミレ姫殿下」
尋ねる少女の表情は、どこか怪しいものであった。




