Menu24.引っ越し祝いのガレット 中編
馬車へ揺られて王城を後にし、誘われた場所……。
そこにそびえていたのは、極小規模かつヒイヅル様式の、城がごとき屋敷であった。
内部の機密性を維持するためだろう……。
外側は高い壁で覆われており、門をくぐるまで、全貌をうかがい知ることはできない。
だが、いざ、門をくぐって内部に降り立ってみれば……。
まず、目を奪われるのは腕利きの職人によって手入れされたのだろう庭園で、池を中心とし、起伏や自然石を活かした配置は、故郷のそれを思わせて心が癒える。
そして、ついに全貌が露わとなった母屋であるが、これは……。
まるで、ヒイヅルの建築物に翼が生え、はるばるこの地まで飛んできたかのような……。
ヴァルターが用意してくれた邸宅は、まことに見事なものであり、これを見た時はスミレのみならず、ヒョウマを始めとする家臣たちも感心の吐息を漏らしたものである。
「いや、はや……。
話に聞いてはいたが、これは想像以上のもの。
ヴァルター殿。
拙者、お主のことを、まだまだ侮っていたようだ」
月代をつるりと撫でたヒョウマが、自分たちを案内したヴァルターにそう告げた。
すると、この国において並ぶ者なき富を築き上げた男は、何ということもないかのように、涼しげな笑みを浮かべてみせたのである。
「なんの……。
これしきは、大したことではありません。
何しろ、近い将来は、この建物が大使館となり、長きに渡って王都へ根付くわけですから。
千年、とは言いません。
しかし、少なくとも、百年は色褪せることなきそれを目指したつもりです」
いかにヴァルターといえど、これだけの邸宅を用意するのは、並大抵の苦労ではなかったに違いない。
そもそも、ここへ来るまでの道すがら、馬車の窓から見た限り、この辺りは王都でも有数の富豪たちが住まうだろう高級住宅街であり……。
そのような場所に、これだけの土地を確保するだけでも、相応の出費があったはずなのだ。
にも関わらず、これを無償で提供するという……。
損して得取れ、とは商人に伝わる有名なことわざであるが、ヴァルターが見せたこの好意には、商売人として以上の……。
一人の人間としての、純粋な親切心が感じられた。
そして、スミレたちヒイヅル人は、それをもって粋と呼ぶのである。
「本当に、何とお礼を言ったらいいか……。
海を越えた地に、このような住まいを用意して頂き、スミレは感激しております」
そんな粋の体現者へ、精一杯の感謝と感動を込めた声で礼を述べた。
「はっはっは。
殿下からそのような言葉を賜っただけで、苦労が報われるというものです。
ささ、まずはお上がり下さい。
生活に苦労しないよう、一通りの品は揃えたつもりですが、まずは、何か不足がないかをご確認頂きたい」
そう言われて、スミレのみならず、ヒョウマを始めとする家臣一同が、邸宅の中へと足を踏み入れる。
嬉しいのは、玄関口で下足を脱ぐことが可能となっていることで、いざ、足袋越しに板敷きの感触を味わってみると、ほぼ常に履き物を必要とした王国様式の生活が、いかに窮屈なものであったかが浮き彫りとなった。
「おお! 道場もあるとは!
これはありがたい! 護衛のため、逗留する者たちが腕を鈍らせずに済む!」
船長を務め、海の男としても頭角を表しつつあるものの、やはり、本質は武人であるのだろう。
母屋からやや離れた場所へ築かれた道場を見たヒョウマが、快哉を叫ぶ。
一方、スミレと共にこの地へ根付く決心をして来た女官たちの眼差しは真剣そのもので、母屋の中を隅から隅まで一巡りし、奉公する上で不便な箇所がないかを、吟味しているようであった。
その他、ヒョウマの部下である船員にして侍たる者たちも、屋敷の中を巡り歩いていたが……。
「あら……?」
スミレが目を留めたのは、庭園の隅にある小さな……実に小さな小屋である。
母屋の豪華絢爛ぶりとは対象的に、その造りは、質素の二文字で表すことができた。
ちょっとした台風でもくれば吹き飛んでしまいそうな、薄い木造りの小屋であるのだ。
これなるは、間違いない……。
「ヴァルター様……。
茶室も、造って下さったのですね?」
――茶室。
ヒイヅルにおいて重要な外交の席である茶の湯に、欠かせぬ建築物がこれである。
しかも、この造りは故郷において最新の流行に沿ったもので、景色そのものへ溶け込むような飾り気なさが、かえってわびとさびを感じさせた。
手を合わせ、姫らしく、小さく、密やかに……。
しかし、確かな感謝と喜びの念を向ける自分に、ヴァルターはさわやかな笑みを返す。
その上で告げられたのは、まことに驚くべき言葉だったのだ。
「正確に言えば、造ったわけではありません。
ヒイヅルで一度建てられた建物を、解体し、この地まで運び込んだのです」
「まあ。
ヒイヅルで造ったものを?」
驚きのあまり、口元を手で抑えた自分に、ヴァルターはしかとうなずいてみせた。
「スミレ姫殿下が、お住まいになられるこのお屋敷……。
我が国で果たすべき役割を考えれば、茶室をおろそかにすることなど考えられません。
むしろ、茶室こそが最も力を注ぐべき場所……。
ヒイヅルの外交において、茶の湯が持つ重要性を理解していない私ではありません。
また、我が国においても茶会は重要な外交の場であり、同時に、ヒイヅルの茶葉が美味であることは知れ渡っているのです」
「ヴァルター様……。
格別のお心遣い、感謝致します」
こうなると、感激のあまり、目尻に涙すら浮かべてしまうのが乙女心というものだ。
今でこそ、ヒョウマやその配下も同行しているが……。
やがて彼らは、スミレを置いて帰国する手筈となっている。
何となれば、外洋航海術の習得こそが彼らの最重要任務であり、スミレの護送に関しては、副次的な任務に過ぎないからであった。
時が来れば、スミレは女官たちや、交代で逗留する数名の侍と共に、この地で外交使節として働かねばならぬのである。
小娘一人……。
遥か遠き異国の地で、腹の探り合いを行い続ける……。
それを思うと、この茶室は、スミレにとって最大の武器となり、同時に最大の防具ともなるのは明らかであった。
だから、いじらしい思いのこもった視線をヴァルターに向け続けていたのだが……。
「美味といえば、本日、この邸宅が完成したお祝いの料理は、先日の会席で活躍してくれた料理人が担当してくれています。
アウレリア殿といって、スミレ姫殿下と年齢の近い女性なのですがな。
腕の方は、先日、味わって頂いた通りです」
「そう……でございますか」
――アウレリア。
またも聞いたその名によって、すん……とした表情を、スミレは扇子の裏に隠したのである。
それは、乙女の嗅覚によって嗅ぎ取ったものを、遮断しようとするかのような行為であった。




