Menu05.友がための粥 前編
飲み屋街の朝というものは、夜間の騒がしさに比べると驚くほど静かなものであり……。
「ん……」
シュロスの屋根に留まった鳥たちのさえずる声を目覚ましに、ようやくマルガレーテは起床した。
寝台の上で、軽く伸びをする。
二階の窓を開けてみれば、すでに日は高くなりつつあり……。
ハンベルク公爵家に仕えていた時からすると、随分な寝坊をしてしまったことがうかがえた。
「今日もいい朝だ……」
とはいえ、そのことは気にせず、いまだ明瞭ではない意識でそんなことを口走る。
人間という生き物は、一定以上の睡眠時間が必要不可欠な生き物であり……。
シュロスが他の店と同様、夜分遅くまで営業していることを踏まえれば、この時間に起床となるのは致し方ないことであった。
思えば、初日、アウレリアがあれだけ早く起き出して店の前を掃除していたのは、激動を迎えて気が昂ぶっていたのに違いないのである。
「おはよう、マルガレーテ」
自室の戸を開くと、同じく起き出してきたらしいアウレリアと顔を合わせた。
真の美人というものは、いついかなる時でも美しいもので、起き抜けにも関わらず、アウレリアのしとやかな美しさは差し込む朝日によく映える。
とはいえ、寝起き独特の隙というものは、どうしようもなく存在するものであり……。
この飲み屋街で働く商売女たちが使う店で購入した寝間着を着ていると、それがより蠱惑的に強調された。
彼女のそんな姿を堪能できるのは、ここまでついてきた自分だけの特権である。
あれから……。
アウレリアとマルガレーテは、シュロスの二階を寝室兼自室として過ごしていた。
この店を建てる際、予算の都合上から、二階建てにするかどうかは大いに迷った二人であったが……。
結局、外観の迫力を決め手に二階建てとしたのは、不幸中の幸いであったといえるだろう。
おかげで、今、自分たちは寝床に困らず済んでいるのである。
また、寝台や家具など、暮らしに必要なものを素早く手配してくれたヴァルター氏にも感謝をせねばならない。
とはいえ、彼がマルガレーテのそれまで素早く用意してくれたおかげで、アウレリアと同衾できたのは店に来た初日のみだったのだが……。
「さあ、朝食を済ませたら、二人で市場に行きましょうか」
「はい!」
アウレリアの言葉に、元気よくうなずく。
まだ、店を営業するようになってから数日であるが……。
二人の間では、一日の流れというものが出来上がりつつあった。
まずは、二人で簡単な朝食を取る。
その後は、市場に出て食材の仕入れを行い……。
帰ってきたならば、掃除や洗濯、料理の仕込みなどを行うのだ。
その後は、開店である。
充実している、と、思えた。
後援者であるヴァルターの尽力や、ロンデンやデニスという名士との縁に恵まれたこともあり、少しずつだが、シュロスは訪れる客の数が増えつつある。
――今日はどのくらい仕入れようかしら。
――この食材がいいから、普段の品書きとは別に料理を用意しようかしら。
二人でそのようなことに頭を悩ませるのは、楽しい。
まだまだ、シュロスは孵りたての雛であり、店の運営には試行錯誤が不可欠だ。
だが、新たな一歩を着実に踏み出している主の姿は感慨深いものがあったし、その手助けとなるのは、マルガレーテにとって本懐なのである。
――今日も、精一杯、アウレリア様のお力になろう!
口にはせずとも、胸中でそう気合いを入れていながら、廊下の窓を開く。
――ざわ……。
――ざわ……ざわ……。
すると、表の方で何やら騒がしくなっているのが、聞こえてきたのであった。
「あら、この辺りがこんな時間に騒がしくなるなんて、珍しいわね」
これを聞きつけたアウレリアが、階下に降りるのを止めて、こちらに歩み寄る。
聡明なる主が言っている通り、飲み屋街にとって、この時間はまだまだ眠っている時間であり……。
それが、ここまで騒がしくなるのは、普通ではないと思えた。
「どうしたんでしょうね?
どうも、飲み屋街への入り口辺りから音が響いているようですが……」
耳に手を当てながら、そう推察する。
どうも、最も騒々しいのは、目抜き通りとの接続部辺りらしかったが……。
よく聞いてみると、一箇所に留まらず、移動しているようであった。
しかも、騒音の中心は、徐々に徐々にと、この店に向かって近寄っているようなのだ。
この状況に、言い知れぬ悪寒を覚えて、アウレリアの方を向く。
それは、彼女もまた同じであったらしく……。
互いに、目を合わせる形となった。
マルガレーテとアウレリアがそうしたのには、理由がある。
かつて……。
同じようなことが、何度となくあったのである。
「祭りの日でもないというのに、この騒がしさ……」
「よくよく聞いてみると、行進の音も聞こえてきます……」
そして、どこからともなく漂うとんちきな空気……!
これは、間違いない。
――おーほっほっほ!
――おーほっほっほっほ!
マルガレーテの予感を裏付けるように響いてきたのは、空高くまで突き抜けそうなほどに豊かな声量の高笑いだ。
――おーほっほっほ!
――おーほっほっほっほ!
果たして、歌劇舞台の役者でも、これほどの大声で笑うことができるだろうか……。
加えて、声の主は、ほとんど息継ぎをすることなく笑い続けているのである。
およそ、人間技ではない。
もし、マルガレーテが同じことをしようとすれば、たちまち喉が枯れ果て、呼吸困難へと陥るに違いなかった。
「おーほっほっほ!
おーほっほっほっほ!」
ついに、声の主とそれを取り囲む一団が、シュロスの前までやって来る。
高笑い……というより、もはやバカ笑いと称したくなるそれを上げ続けている人物は、一人きりではなかった。
その身を、豪華絢爛なみこしの上に乗せ……。
幾人もの男たちに担ぎ上げられた状態で、こちらへと移動しているのだ。
「おーほっほっほ!
おーほっほっほっほ!」
笑い声も――。
「おーほっほっほ!
おーほっほっほっほ!」
笑い声――。
「おーほっほっほ!
おーほっほっほっほ!」
笑――。
「おーほっほっほ!
おーほっほっほっほ!」
……あまりに笑い声がうるさいため、意識からこれを切り離す。
そして、あらためて問題の人物を見やった。
笑い声も目立つが、それに負けじと人目を引く女性である。
長く伸ばされた金色の髪は、いくつもの縦巻きした房となって垂らされていた。
顔立ちは、隣のアウレリアとは性質が異なるものの、高貴の一言。
アウレリアが、他者を包み込むような包容力でそれを成立させているのに対し、こちらは、他者を圧する迫力で成り立たせているのが対照的である。
着ているドレスに関しては、これはもう、豪奢だとか華美だとか、そのような言葉で表せるものではない。
例えるなら――布の要塞。
着心地や暑さ以前の問題として、そもそも、重くはないのかと問いかけたくなる代物なのだ。
「フロレンティアさん……」
アウレリアが、この目立って仕方がない人物の名をつぶやく。
「一体、何しに来たんでしょうね……」
マルガレーテはといえば、これから起こるだろう騒動の予感にげんなりしながらそう言ったのだった。




