Menu23.東方使節をもてなすスシ その6
――なるほど。
――亡き旦那様の理念が、形を得たかのようだ。
さすがは、街中を知り尽くす力車の車夫か。
あるいは、人々へ知れ渡っているほどに、かの店が巻き込まれた騒動の規模は、大きかったのか……。
ともかく、シュロスというその店には、難なく辿り着くことができた。
そして、実際にこれを目にしたクレーメンスは、先の感想を抱いたのである。
石造りの店構えは、城を意味する屋号に名前負けしておらず、真新しい建築物だというのに深い風格を感じさせた。
店の前で観葉植物を育てているのも、細かな心遣いで、別にここで食事をすることが目的でなくとも、ふと通りがかった際、これらが目に入れば、多少なりとも緑の癒やしを得られることだろう。
総じて、品格の感じられる店……。
これが、あのアウレリア様が構えた店であるというならば、ハンベルク公爵家で身に付けた数々の教養は、知識として収められるだけでなく、しっかりと活かされていると見てよい。
もっとも、そのハンベルク公爵家から、彼女は追放処分を受けたという話なのだが……。
――マインラート坊っちゃんも、何を考えているのか。
怒りを抱くというのも、多大な力を必要とするものであり、年老いてからは滅多にそれを感じることがない。
しかし、今ばかりは、あのそりが合わない現当主の顔を思い浮かべ、胸中に煮え立つものを感じながら、店の扉へ手をかけた。
「あ、すいません。
今はまだ、営業していなくて――」
ガラスが張られたドアを開き、店内に足を踏み入れると、まず自分を出迎えてくれたのは、懐かしき顔……。
アウレリア付きの侍女、マルガレーテである。
そして、カウンター越しにこちらを見やるのが、もう一人……。
「まあ……!?」
お別れしてから時を経て、ますますその美しさを増した主の孫娘――アウレリアである。
マルガレーテが……。
そして、アウレリアが言葉を失うのは、無理もない。
クレーメンス自身、もう一度会うことになるとは、夢にも思っていなかったのだから。
「マルガレーテ……。
そして、アウレリア様……。
無沙汰を致しました」
久しぶりにこの主従を前にすると、それだけで、長旅の労も報われた気がするのであった。
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――クレーメンス。
母方の祖父を知らぬアウレリアにとっては、第二の祖父というべき存在であり、また、ゲンノを第二の師とするならば、まさしく彼こそは、あらゆる調理技法の基本を教えてくれた第一の師である。
ハンベルク公爵家に使える使用人であった彼の役割こそは、料理人……。
それも、ただ厨房を預かっていただけではない。
若かりし日は、祖父である先代ハンベルク公爵の冒険へ同行し、様々な苦難と喜びを分かち合った人物なのだ。
「クレーメンス!
まさか、また会えるなんて……!」
かつて見送った時より、幾分か痩せているようであるし、顔のしわが増えていることは間違いない。
だが、年齢を考えれば、思いのほかに元気な忠臣の姿を見て、アウレリアは顔をほころばせた。
「お嬢様の一大事とあれば、駆けつけぬわけには参りません。
マルガレーテも、よく、アウレリア様を支えてくれたな。
お前にとっても、厳しい決断であっただろう」
「そんな……。
あたしにとって、アウレリア様のいる場所こそが居場所です。
アウレリア様がいない公爵家など、なんの価値もありません」
「そうか……。
よくぞ言い切った」
マルガレーテの言葉へ、クレーメンスが満足そうにうなずく。
「それより、どうしてここへ……?
お爺様が亡くなって、お前は故郷に帰っていたはずでしょう?
わたしの一大事と言っていたけど……」
そんな彼へ、当然の疑問を口にする。
すると、年老いた料理人は、にこりとほほ笑んでこう口にしたのだ。
「田舎とはいえ、一切の情報が入ってこないわけではありません。
時には行商や旅芸人などが訪れ、王都の話なども伝えてくれます。
その際、お嬢様が公爵家から追放されたことや、例のテンプル騎士団との間に起こったいさかいなどについて聞かされた時は、心底から驚きましたぞ」
それを聞いて、納得する。
テンプル騎士団との間で起こった、トマトに関する騒動……。
あれはかなりの大事であったし、王都を離れた地にも――面白おかしく脚色してだろうが――持ち込まれたとしても、全くおかしくはなかった。
引退したはずの料理人は、それを耳にして、居ても立っても居られなくなったに違いない。
「旦那様はお亡くなりになり、お嬢様も立派に成長し、後は王家に嫁ぐ日を待つばかり……。
この私も、役割を終えたと思い、故郷に引きこもっていましたが……」
そこで、クレーメンスが老齢に見合わぬきりりとした眼差しとなる。
「独立し、一人の料理人として店を構えた以上は、放っておくことなど、できようはずもありません。
このクレーメンス、老いたりとはいえど、アウレリア様のお力になれるのではと思い、遅参致しました……!」
「クレーメンス……!」
何しろ、五十代の終盤を迎えているクレーメンスだ。
故郷からこの王都へ来るだけでも、かなりの負担であったに違いない。
しかし、それをおしても尚、駆けつけてくれた。
その事実は、アウレリアの胸をどこまでも熱くすると共に、あらためて、これだけの忠義を勝ち得た祖父への尊敬が増したのである。
「さて……。
さしあたって、見たところ……。
どうやら、お嬢様はスシを作ろうとされているのですか?」
何しろ、祖父と共に東方世界へ向かって旅立ち、帰還したのがこの老人だ。
当然ながら、ヒイヅルの料理に関しても知見があった。
故に、アウレリアも素直にうなずいたのである。
「ええ、そうなの。
実は……」
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「なるほど……。
ハイデルバッハ王家も、無理難題をおっしゃる」
テーブル席の椅子に腰かけ、事のあらましを聞いたクレーメンスは、そう言って深々と溜め息を吐いた。
「やっぱり、クレーメンスから見ても難しいかしら?」
「少なくとも、かの地におけるスシをそのまま再現したとして、楽しい食卓とするのは不可能でしょうな」
王国のみならず、様々な国の食文化に触れてきた男の断言。
それは、あまりにも重くアウレリアの胸を射抜く。
「クレーメンス様なら、何か妙案もあるのでは?」
「期待してくれるのは嬉しいが、少なくとも、生の魚介を使うという固定観念に縛られていては、可能も不可能というものよ」
マルガレーテの問いかけに対しても、にべもない。
クレーメンスがこのような物言いをすることは珍しく、それだけ、今回の件が無理難題であるのだと、あらためて痛感させられた。
「とはいえ、ですな……」
老練の料理人が、にやりと笑みを浮かべる。
「そのまま叶えるのが無理難題というのなら、無理でない範疇で工夫をこらせば、案外、道は開けるものです。
そう……。
かつて、ある冒険貴族がお抱えの料理人に、新鮮な肉が手に入らぬ地でタルタルステーキを所望したように……」
「クレーメンス、それは……」
それは、何度となく聞いたハンバーグ誕生の逸話……。
そう、目の前にいるこの人物こそは、祖父の無理な要求から別種の……そして、美味なる料理を生み出した男なのだ。
「いかがですかな?
参考に、なったか、どうか……」
「ええ、十分よ」
師の助言を受け、柔らかくなった頭で、かき集めた材料を見やる。
擁するに、スシらしい形態を保ちながら、王国人もヒイヅル人も楽しめる美味なる料理であればよいのだ。
と、するならば……。




