Menu23.東方使節をもてなすスシ その5
少なめの水で炊いた米に、塩と砂糖が配合された酢を加えた上で、混ぜ合わせる。
これを切るように混ぜた上で、扇子を用い余分な水分を飛ばし、体温と同じくらいになったら濡れ頭巾と共に蓋をして蒸らした。
「これで、シャリというのはできましたね?」
女の二人暮らしであり、洗濯や掃除など、店の営業とは別に、こなさねばならない家事は数多い。
それらを一手に引き受けてくれているマルガレーテが、カウンター越しにシャリの収まった桶を覗き込んだ。
手に付いた数粒のシャリを味見し、うなずく。
「まだまだ、加えるお酢に関しては改良の余地があるでしょうけど、ひとまずは、これで良いと思う。
問題は、これに何を乗せるかね……」
ちらりと見やった調理台に置かれたもの……。
それらは、今朝、市場で仕入れたばかりの鮮魚である。
イワシ、アジ、甘鯛、ガザミ、カマス、クルマエビ、穴子……。
勢い余って、生では食せなさそうな魚まで仕入れてしまったが、ともかく、この時期に漁港の市場を賑わす食材たちだ。
これらは、冷たい井戸水が汲まれた桶の中で、出番を待っていた。
待っていた、が……。
「ううん……。
とりあえず、イワシやアジで試してみましょうか?
ヴァルター様から聞いた話によると、スミレ姫様という方も、それらのおスシを楽しみにしておられたそうだし……」
「そ、そうですね。
まずは、試さないとなんとも言えませんよね……」
カウンターを挟んだ主従が、引きつった顔を向け合う。
とはいえ、たった今、自分たちで口にした通り……。
怖気づいていては、永遠に料理の完成は望めぬ。
故に、アウレリアは手早く一尾のイワシを取り出し、これを三枚におろした。
そして、おろした切り身をさらに適当な大きさへ切り分ける。
後は、これを握るだけ……。
「こう……かしら?」
まずは、シャリを取り出し、一口大に握り固めた。
そして、これに切り分けたイワシを乗せ、もう一度握る。
言葉にしても、実際の動作にしても、必要な手順はこれだけ……。
小皿に乗せられたのは、二つ――この数え方でよいのだろうか?――のスシであった。
「多分、形はこれでいいはずよね」
「ええ。
後は、おろしたショウガか何かを乗せ、醤油に付けて食べるのでしたか……」
マルガレーテが言った通り……。
かつて、祖父やゲンノから聞いた話を元に、おろしショウガを乗せてみる。
これで、真に――完成。
完成した、その姿は……。
「……作っておいてなんだけど、とても食べようという気持ちが起きないわ。
お料理というより、その前段階……。
単なる素材を見ているかのよう」
アウレリアとしては極めて珍しい、料理への酷評を口にしてしまう。
しかし、それも無理のないことだろう。
実際、同じくこれを見たマルガレーテも、相変わらず引きつった表情であったのだ。
「単なる生魚の切り身を、味付けしたお米の上に乗せる……。
実物を目にしても、何かの悪ふざけとしか思えませんね」
アウレリアが、滅多なことでは料理への悪口を言わないように……。
いかに試作段階であるといえど、この侍女が主の作った料理に否定的な感想を述べることは、そうそうない。
それだけ、このスシという料理が、王国人にとって忌避的な一品ということであり……。
それが小皿の上に鎮座した様からは、一種の不気味さすら感じられるのだ。
「と、とにかく……。
食べてみないことには、始まらないかしら?」
「そ、そうですね。
食べてみましょうか……」
瞬間……。
主と侍女の目線が、交差し合った。
互いに、互いを自己の半身として認め合う間柄な二人である。
故に、言葉を介さずとも、そこに込められた意思は汲み取ることができた。
できた、が、あえてこれを言の葉に乗せる。
すなわち……。
「マルガレーテから、どうぞ?」
「いえいえ、そんな……。
是非、アウレリア様からお願いします」
――バチリ。
……と。
これも、この二人にとっては極めて珍しいことに、互いの視線が火花を立ててぶつかり合う。
「本当に、遠慮する必要はないのよ?」
「遠慮だなんて、そんな……。
是非、是非に……アウレリア様からお願いします……!」
そんなことを言い合い、しばし、黙った二人であるが……。
「……やっぱり、駄目ね」
「……そうですね。
駄目なものは、駄目ですね」
ついに同じ結論へ至り、諦めの溜め息を漏らし合った。
「そもそも、食べるのに勇気が必要な段階で、歓待の料理としてはいかがなものかと……」
「そうなのだけど、生のお魚を食べるという縛りが、どうしても、ね……。
逆に言えば、それさえなければ、いくらでも道はありそうだけど……」
「ですが、当のスミレ姫様は、生のお魚を使ったおスシに期待されてるんですよね……」
女二人、再び溜め息をこぼす。
生の魚介を用いるという、王国人にとってあまりに抵抗の大きい縛り……。
勢い込んで引き受けたはいいものの、これがある限り、どうにも突破口の見い出せないアウレリアなのであった。
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頭上からは、容赦なく太陽の光が降り注ぎ……。
王都の特徴である石畳は、これを反射し、表面に陽炎が生じているほどである。
かつての若き日、主である冒険貴族に従い、諸国を巡った頃であるならばまだしも……。
年老い、体力的にすっかり衰えたクレーメンスにとって、このナタシャという街は決して居心地の良い場所ではなかった。
主が亡くなると共に職を辞し、生まれ故郷の田舎に帰郷した際は、二度とこの地を踏むことはないと思っていたが……。
それでも奮起し、年甲斐もなくここまで旅してきたのは、ある理由あってのことである。
「もし、よろしいかな?」
「もちろんでさ!
どこまで行きたいんで?」
都合よく力車を見つけたため、これに声をかけて乗り込む。
告げた行き先は……。
「飲み屋街の片隅……。
シュロスという店が分かるなら、そこまで直接行ってくれるとありがたい」




