Menu23.東方使節をもてなすスシ その3
極東の島国ということもあってか、ヒイヅルは他に見られぬ独自の料理が数多い。
スシ、というのは、まさしくその代表格であるといえるだろう。
――スシ。
ひと口大で握った米の上に、サシミなる魚介の切り身を乗せ、もう一度握って供する料理である。
その、味は……。
味は……。
「それにしても、楽しみですわ。
故国を離れ遠方の地であるというのに、ヴァルター様の手配でお寿司が食べられるなんて」
ハイデルバッハ城内に存在する貴賓室……。
客人をもてなすため、豪奢な調度の限りを尽くされた室内で王国式のティーテーブルを挟みながら、スミレ姫は屈託なき笑みを浮かべた。
「は、はは……。
期待してもらえるとは、光栄です」
一方、ヴァルターとしては、笑みが引きつらないよう努力する他にない。
何しろ、自分は……。
スシを、食べたことがない、のである!
「この気候ですと、やはり、アジやイワシなどを使ったお寿司が美味しいでしょうか?
以前、おうかがいした話では、この都でも、それらの魚が取れるのですよね?」
「ええ、そうですとも」
謁見の間で見せた油断のなさは、どこへ消えたのか……。
年頃の少女そのものといった様子で口を開く彼女へ、相槌を打つ。
「特に、この時期は小さなイワシやアジが、港の周囲で群れを成していますからね。
殿下がお越しになられた際は、歓迎のため、そのようなことへ興じる者がいませんでしたが……。
この時期、平時においては、そういった魚を狙うにわかな釣り人で、堤防付近はごった返します」
先日、シュロスで行われたイワシ料理の宴……。
それを思い起こしながら、解説する。
「まあ! その辺りは、ヒイヅルと変わりありませんのね」
「魚あるところに、釣り人あり。
これは、私が目にした諸国においても同じことでした」
「確かに、王国までの道中、寄港したどの港においても、漁へ携わる方々が、お忙しく働いていたのを覚えています。
そして、招かれた各国の宴で出されるお料理も、魚介を使ったものが多かったですわ」
これまでの旅路……。
それを思い起こしながら、スミレ姫が言葉を紡ぐ。
そして、回想の果て、最後に出てきたのはこのような言葉であった。
「ですが、どこのお国においても、お刺身やお寿司のようなお料理は出ませんでした」
「ははは、私もサシミやスシのような料理は、結局、ヒイヅルでしか目にしませんでしたな」
――でしょうね。
心中でそう思いながらも、無難な相槌を打つ。
何しろ、ヴァルターは……。
スシを、食べたことが、ないのである!
「それが食べられると聞いて、ヒョウマを始めとするわたくしの配下たちも、楽しみにしているようです」
「それは何より……」
――ヒョウマ。
忠誠厚き剣術の達人であり、また、新しきことを貪欲に学び、吸収する男である。
いつか、自分も航海術を学び、広い世界に打って出ると言っていたものだが……。
それを有言実行する辺り、やはり、大した男だ。
「ヒョウマやその一党は、私にとっても旧知の仲。
彼らや殿下にお喜び頂けるならば、いかようにでも骨を折りましょう」
すらすらと、そんな言葉を吐き出してしまう自分の舌が呪わしい。
何しろ、ヴァルターは……。
スシを、食べたことが、ないのである!
「適切な力加減で握られた甘酸っぱいシャリが、ほろりとほぐれる感触……。
舌の熱でとろけ、脂を溢れさせる旬のお魚……。
本当に……本当に楽しみですわ」
「はっはっは……」
もう、言葉も何もなく、笑うしかない。
スシという料理の醍醐味なのだろう、今の言葉……。
その全てが、未体験であり、未経験のものであるからだ。
何しろ、ヴァルターは……。
スシを! 食べたことが! ないのである!
「さておき、王家と協力して、殿下とそのご家臣には、不自由なく過ごして頂けるよう努力いたします。
何か、足りないものなどがありましたら、遠慮なくおっしゃって下さい」
ともかく、ヴァルターとしては、そのような方向へ話を逸らすしかなかったのであった。
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ガタリガタリと、木製の車輪が石畳の上で転がる音も、その度に客席へと伝わってくる衝撃も、全てが馴染めぬものである。
王家に要請されて登城するとなれば、このように、馬車の一つも用立てねばならぬものなのであるが、できれば、あまり乗りたくないというのがヴァルターの変わらぬ感想であった。
特に、貴婦人などはこの乗り物を好んで使用するが……。
健脚を持つ者であるならば、素直に己の足で歩けばいいというのが、ヴァルターの考えなのだ。
あるいは、貧民街の孤児根性が抜けていないからこそ、そう考えてしまうのかもしれないが……。
とはいえ、何事においても利点は隠れ潜むものである。
この場合、隣の座席へ座ったゲルトと心置きなく今後の相談ができるのは、助かる点であるといえた。
「じゃあ、スシをメニューへ加えることになったんですかい?
それも、王国側との会席で」
そのゲルトが、玉座の間における顛末を聞いて眉根を寄せる。
それも、無理のないことだろう。
ヴァルターと同様、この男もまた、スシを食べた経験がない人間の一人なのだ。
ヴァルターにせよ、ゲルトにせよ、どうしてヒイヅルの地を踏んだことがありながら、かの地における馳走であるスシを食べたことがないのか?
理由は、簡単であった。
「王国人は、スシなんて食べられないでしょう?」
……このことである。
「というか、そもそもサシミが食べられないですよ。
おれたちからすりゃあ、生の魚をそのまま切り身で出すっていうのが、信じられないんですから」
「問題は、そこだな」
腕組みしながら、嘆息を漏らす。
魚介の生食。
これなるは、ハイデルバッハ王国に存在しない食文化である。
と、いうよりも、ヴァルターが知る限り、これを行う民族はヒイヅル人のみであった。
スミレ姫は、訪れた国々で母国のような料理はなかったと言っていたが……。
それも、そのはず。他に魚を生で食う民族はいないのである。
「まあ、本物の職人がやるようにはいかないだろうが、スシの形を真似るくらいは、多くの料理人ができるだろう。
また、多少、味が落ちるくらいでどうこう言うほど、スミレ姫もヒョウマも器は小さくない。
しかし、歓待の席で出された料理に、王国側の人間が一切手を付けないでは、まずい」
「その場合、叱責は……?」
「当然、私にくるな。
『王国人が食せないような品を歓待の席に出すとは、何事か』とな。
自分たちで要求しておきながら、勝手な話だ」
肩をすくめて言い放つ。
そして、その勝手な言い分を通すことこそが、敬愛すべき第一王子殿下の狙いというわけだ。
「それで、どうするんですかい?」
「決まっている。
食べ物絡みの問題となれば、アウレリア殿を頼る他にあるまいよ」
ゲルトの言葉に、そう答える。
しかし……。
食の探求者である彼女も、王国人であることに変わりはない。
となると、魚の生食に対して忌避感を抱いている可能性は大なのだ。




